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読書日記〜歩くことで生きていく〜

 歩くことは、放浪や犯罪、社会的困難や貧困と結びつけて考えられた。(略)ワーズワス兄妹は、このことを分かっていた。

 旅はここからはじまる。私がソファを後にし、外に出たところから。

 (略)私達のうちの一人が本から視線を上げ、落ち着きなく期待の眼差しでもう一方を見つめる。「準備はできたか? 背中にリュックを担ぎ、大道を歩く準備はできているのかい?」

   「歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術」
        トマス・エスペダル 著

 久し振りにポメラを使うからか、何だかバックスペースとエンターの効きが悪い…ストライキだろうか。
 やはり家電も生き物。定期的に使わねば。


 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
 私は海岸へ行って、その後に本屋さんへ行ったところ、翌日熱中症になりました。日差し、怖い。
 皆さんも水分補給と日陰で休憩を忘れずに!


 さてはて。
 久々の読書日記になりました。
 昨年はあまり読書量が多くなく(当社比)、よって記事のネタも貯まらずという憂き目にあったので、更新がすっかりご無沙汰になってしまった。
 新年に入って読書のペースが元に戻って来たので、こうしてnoteの更新が出来た次第です。

 今回は私にとって初体験!ノルウェー文学です。


 主人公は作家。
 結婚も子育ても経験し、物を書かない日々に耐えられなくなった彼は家族の元を離れ新しい恋人を作り、再び本を書き始める。
 しかしいつしか恋人は去っていき、彼は酒びたりの生活を送るように。
 そんな彼が家を出て、近所の通りを歩くところから物語が始まる。

 カント、ワーズワス、ランボー。
 偉大な哲学者、詩人や思想家たちは皆歩いていた。
 歩いて自分自身の思想を深めていった。
 先人たちに習って放浪者になる決意をした作家は、ドイツやノルウェー、トルコやギリシャを文字通り『歩いて』行く。


 本書は自伝とフィクションが入り交じった、小説のようなドキュメンタリーのような本で読んでいる間ずっと自分が一体どこにいるのかが分からなくなる。
 作家として生きること、愛や死、音楽、舞台や食事や手紙…内容が様々なジャンルに及ぶ姿はまさに徒歩旅行だ。

 今では想像も出来ないけれど、昔は歩いて長距離(近所じゃなくて隣町までの距離ですら)を移動する人間はいわゆる『宿無し』と見なされることがあった。
 女性が一人で歩くことは『娼婦』と判断されても仕方のないことだった。
 『歩くこと』は『堕落すること』を意味した。

 そこから人々は『歩く権利』を獲得していく。
 歩くことは自立することでもある。それは自分自身の力で生きて行くことと同義でもあった。
 歩いて、考えて、確かめる。歩くことは自分の人生を生きるということでもある。
 足を動かして腕を振り、息を吸い込んで前へ進む。
 多分、生きるとは本来こういうことなのではないだろうか。

 著者はノルウェー本国で最も権威ある文学賞を受賞した作家であり、歯に衣着せぬ文学談義で新聞を賑わせる人、らしい。かなりの読書家のようで作中には文学作品からの引用が多分にある。
 ノルウェー文学に触れたのは初めての経験だったのだけれど、知の匂いに土や苔の匂いが混ざってとても落ち着く作品だった。


 歩くことは生きること。
 車や列車で移動することがめっきり多くなった私たちは、歩くことを放棄し始めている。
 私はきちんと自分の人生を生きているだろうか?
 そんなことを考えながら雨に濡れた道を見ている。

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