好きなバンドが活動休止する

初めて「若者のすべて」を聴いた高一の冬、「あ、わたし、この曲と結婚するんだ」と思った。運命なんて便利なものでぼんやりさせる術をわたしはまだ知らなかったから、曲と結婚するという少々奇妙な感情を覚えた。そこからまずは、YouTubeにあるMVを片っ端から見漁り、志村正彦という人物と、その終わりを知るまでに、そう時間はかからなかった。

それまでの人生で出会ったあらゆる人の中で、群を抜いてのめり込んだのが志村さんだった。志村さんが作った曲、志村さんが作ったバンドとして、フジファブリックと、その曲を好きになった。

フジファブリックと出会ってから3年と少しが経って、わたしはようやく彼らのライブに足を運んだ。I FAB YOUツアーの神戸公演だ。フジファブリックが好きなバンドであることには何一つ疑いはない。でも、志村さんのいない3人のフジファブリックを見て、果たしてわたしは胸を張ってフジファブリックが好きだと思えるのだろうか?ちゃんと楽しめるのだろうか?とずっと不安だったのだ。だから、ライブに行くかどうか随分と悩んでいた。そのために出会ってから3年という時間がかかった。結果から言うと、その日のライブを見て、ちゃんとフジファブリックを好きだと思えた。現体制の曲はもちろん、志村さんの作った曲が、今もしっかりとフジファブリックの手で鳴らされている。そのことだけでもう十分だと思えた。

それから、何度かフジファブリックのライブに足を運んだ。どのライブも楽しくて、強くて、面白くて、かっこよくて、何よりもやさしいライブだった。それと同時に、やっぱり志村さんはいない、ということを感じざるを得なかった。

ライブ後、その日のセトリにあった志村さんの曲を聴くと、志村さんの声を聴いているはずなのに思い出すのはのびのびと歌う山内さんの姿で、それはどう頑張っても志村さんではなかった。それが、とんでもなく寂しかった。「楽しかったー!」と純度100パーセントで口にするファンの群れに混ざるのが、なんだか居心地悪く思えた。

わたしはフジファブリックのライブで、「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」の、いわゆる「四季盤」を聴きたいと思っていた。4回ライブに行って、四季盤をすべて聴くことができた。あれほど聴きたかったはずなのに、いざすべて聴いてみると何故かすごく寂しくなった。音源で聴く志村さんの声が、記憶の中でライブで聴いた山内さんの声に塗り替えられてしまう気がした。それは何も悪いことではなくて、むしろ今なお歌い続けられていることがとても嬉しいのだが、やっぱり寂しかった。

フジファブリックのライブに行く一番の目的は、志村さんの遺したものが今も忘れられていないことを確認したい、だった。忘れられているわけなんてないのは分かっているけど、フジファブリックが立つステージを見て、フロアにはフジファブリックの曲で踊る人たちがいる、そういう景色を自分の目で見て、安心したかった。

ライブに行くと確かに安心した。何かあっても、フジファブリックに会いに行けば大丈夫だと思えた。一方で、ライブに行くほど、やっぱり志村さんのいるフジファブリックを一度でいいからこの目で見てみたかった、と強く思った。

金澤さん、加藤さん、山内さんの3人が守り続けるフジファブリックも確かに好きだ。でも、時にいたずらっ子な志村さんに邪魔されながらキーボードを弾くダイちゃんと、それをやさしい目で見守るかとをさんと、志村さんの横でギターを掻き鳴らしコーラスをする総くんと、何よりその真ん中で歌う志村さんが見てみたかった。そう、4人の方が好きとか、今が好きじゃないとかそういうことじゃなくて、一度見てみたかった。

わたしは3人のファン、4人のファン、と割り切れるほど強くはなくて、でも確かにフジファブリックというバンドのファンでありたいと思っている。だから今回の発表には驚いたし、ショックだし、でも3人が決めたことならもう言えることはない。それでも、安心できる場所で居続けて欲しいと思ってしまうのは、わがままなんだろうか。

20周年という節目をフジファブリックという名前で迎え、解散ではなく、あくまで活動休止という言葉を選んだこと。彼らが歩んできた歴史を考えれば、それだけでもう十分すぎるほどに強く、やさしいバンドだ。いつかその強さとやさしさに「大丈夫だ」と思える日が来ますように。

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