ノルウェイの森を読んで

村上春樹の文章は初めて読んでみたけど、文体がすごくよかった。
最近宮下奈都の『羊と鋼の森』を読んで、凄く文章が綺麗で最初はうっとりとしていたけど、だんだん
美しさを狙った表現に興醒めしてしまったから、村上春樹の文章を読み始めた時これだ!と思った。
教科書に載っていた坂口安吾の日本文化史観がとても好きで(というか坂口安吾が好き)、実用性に即さない飾りだけの美しさなど捨ててしまえ、真の美しさは人間の営為に伴う実用性にのみ宿るという内容に衝撃を覚えて夢中で何度も読み返したけれど、村上春樹の文章にはその美しさが内包されていると思う。事物に即して余計な誇張がなく、素直な表現だけれど、使っている言葉や切り取るシーンや心情のセンスが良くて(あたりまえ)読んでいてとっても楽しかった。村上春樹の本が全世界で翻訳されて読まれている理由がよくわかった。昔現代文の授業で、村上春樹の文章は海外受けを狙って翻訳しやすいような日本語で構成されている、これは日本語の独自の味わい深さを重視する観点においてけしからん!という文章と、それに対する村上春樹の、全然そんなつもりなく普通に書いてただけなんだけど、めっちゃ酷評されててぴえん、というような文章を読んだことを思い出した。村上春樹は海外作品を好んで読むという情報をどこかで見たことがあるので、洋書特有の理知的さが文章にも現れているように思う。日本人によって日本語で書かれたものなので、和訳特有の不自然さだけが取り除かれていて良かった。
村上春樹の良さをすごく感じた一節があって、それが

「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだ」

ここを、とろけて溶けてしまうくらい好き ではなくてこう表現するところに、翻訳しても普遍性が保たれそうである事と語彙の取り合わせの面白さとが表れているように感じた。
虎とバターなんて絶対に交差しないのに、取り合わされたことによって特別に素敵な一節になって、緑良かったねという気持ち。私もこんなこと言われてみたい。でもこの一節は、本当は直子の事も好きだということを知っていて、それでもそんなことを無理矢理頭から消し去るために好きって言ってって言った時に言われた言葉なのが、苦しすぎる。
実はこの一節は読む前から知っていて、この一節に惹かれてノルウェイの森を読み始めたのだけれど、これがあんまりにも愛情表現として綺麗すぎるから、直子と楽しく会話が交わされる度に来い!来い!と願っていたのに、最後にあんな状況で緑にかけられた言葉だったなんて現実は厳しい(小説だけど)

私は、緑みたいに色々背負っているのに明るく健気な人に感情移入してしまう節があるので、本当に幸せになって欲しかったのに最後苦しそうで私もしんどかった。失ったものを悲しむ気持ちはそれはそれで尊いものだとは思うけれど、今ある幸せを当たり前に思うんじゃなくて噛み締めて享受することもまて大切なことなのになって思った。私が緑なら1ヶ月も音信不通になったら相手の身勝手さに冷めてしまうし、前回の謝罪も口だけだったのかって悲しくなるけど、本人はあまり悪気がなくて、これは私がワタナベと気が合わないのか男の人の気持ちを理解できていないのかどっちなんだろう 笑
ハツミさんの事を振り返る描写で
僕の親しい人は決まって死んでしまう
というような内容を言っていた事と最後の終わり方からなんとなく緑は死んでしまうような気がしてそれも苦しい。レイコさんと何度もする時間や余裕があるなら早く緑の元に行けばいいのにってワタナベにいらいらして読んでいた。
出て来る人はみんな一方で素晴らしくて変え難く光るものがあるのに、一方で少しずつ足りない所があって歯車が合わさって行かなくて、誰も幸せにならないのが辛い。でも人生ってそんなもんだよなとか開き直ったりしたりした。人間の人生における浮き沈みが率直に描かれていて、自分の今の状況も相まってすごく心に残る一冊だった。


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