Honmonoの発足前から今後の展開までを洗いざらいお話する
こんにちは。
Honmono協会 三井所(ミイショ)です。
そもそもHonmonoって何なの?って思われるかもしれないので、簡単に書いておきますと
様々な業種のプロが集まり、事業を展開している
現在は、クライアントの課題解決や、映像・SNS・アートなどの5つの事業を展開中
クリエイター/アーティスト/フリーランス/パラレルワーカーなど、総勢54名が所属
といったプロフィールになります。
その代表が私です。
普段は何かとカッコいいことを言いがちなのですが
今回はHonmonoを立ち上げる前から今後までを
カッコいいこと言うの禁止で振り返っていきたいと思います。
目次からも分かるのですが
実は、Honmonoは赤パンツから始まっています。
「なんだそれ?」
と思われた方、ぜひ目を通してみてくださいね。
大企業でトップの成績を収めるも退屈だった
私は大企業に10年ほど務めていました。
新卒入社から8年は法人営業、あとの2年は企画でした。
法人営業の8年
新卒から8年は法人営業。
新卒の研修期間に入った部署の懇親会で「トップの成績をとってやります」と大見得を切って、その飲み会でゲロしてやらかしました。
本来であれば研修期間の部署と本配属の部署は違うようになるルールがあったのに、私だけはその「大見得切ってゲロをやらかした研修の部署」に配属となりました。
めちゃくちゃ目をつけられてたんですね。
体育会系の極みのような部署であったこともあり「やっべ、どうなる俺」と病む毎日でした。
営業を本格的に開始してしばらく経ち、周りの同期は契約を取っていくのに私だけはどうしても上手くできませんでした。
はじめの病み期が尾を引いていたのかもしれません。
そんな時に「験(げん)を担いでみよう」と履いたのが赤パンツ。
なんと赤パンツを履いて商談をしたら契約が取れたんです。
普段は、縁起が良いとか運がいいとか、そうゆうことは考えないタチですが、この時だけは「赤パンツのおかげだ!」と思っていました。
それからは赤パンツが手放せなくなり、商談の際には必ず赤パンツです。
そうこうして2年たったら法人営業でトップの成績を収めていました。
Thanks for Aka-pantsu!!!
企画の2年
法人営業の次は、企画の部署に異動となりました。
ここが本当に肌に合わなかった...。
企画という仕事はいいんです。
色々アイデアを考えるのは楽しい!
でも、大企業あるあるでしょうか。
なかなか思うように企画を進めることが出来ず、じれったい日々でした。
育休2年とって赤パンツ作ろう!
企画の仕事をし始めて少し経った頃、3人目の子どもが生まれました。
育休制度があるんだよな〜と、それまでは頭の片隅にあったのですが
大企業での企画の仕事の向いてなさを実感していた時期でもあったので
思い切って育休を2年とりました。
そして、起業しました。
1人になってしまえば誰も止める人はいませんから、大企業でのじれったさを感じることはなく、自分で企画して自分で実行できます。
この起業で作ったのが赤パンツです。
コレしか無いと本気で思い、作りました。
せっかくの赤パンツ。
大恩ある赤パンツ。
こだわりまくるしかない!と仕様を決め、作りました。
そんな赤パンツの特徴は、主に次の通りです。
インド最南部のTAMIL NADU州の一角でしか栽培が許されていないコットンを使用
全行程を手作業で行い「縫い」は一切なし
赤パンツ専用の特注洗濯ネットを付属
赤パンツや洗濯ネット以外の和紙、桐箱、パンフレットも日本の本物の職人により制作
価格は
男性用:¥15,000- / 枚
女性用:¥14,000- / 枚
どうですか。
ほしいでしょ?
結果は・・・
赤パンツ、大赤字で終わった…
もう一度、言います。
大赤字でした。
在庫であふれる自宅。
残った借金。
子ども3人、貯金なし。
ヤバすぎますよね。
育休2年を消化したら会社に復帰しようか、とも考えました。
熱い想いをもった人との仕事が本当に楽しかった!
もっとしたい!
赤パンツを作った過程で出会った人たちは本当に熱い情熱を持った人たちでした。
「このような人たちともっと仕事がしたい。」
この気持ちが本当に強く、抑えられませんでした。
もう一度書きますが、子ども3人、借金あり、貯金なし、です。
それでもやりたかったので、えいや!とやってしまった。
(今でも妻には頭が上がりません。)
激熱な想いで始まったHonmonoは七転び八起き
どうしてもやりたくてHonmonoを立ち上げました。
コンセプトは
「色んなジャンルのプロが集まり共に創って新しい価値を世の中に生み出す」
です。
我ながらかっこいい。
けど、ここから失敗の連続でした。
山あり谷ありではありません。
ほぼ谷。
細かいことは別の記事で書いてますので割愛して、Honmonoがたどってきた失敗の連続と垣間見えてきた希望を列挙しますね。
心の声が混ざってます。
1年目
お金がねぇ、コネもねぇ、チカラもねぇ
共創?生まれなかったよ、結局
創業パートナーが…いなくなった…
Honmonoは一般社団法人なので、投資は受けられません。
無給で子供3人を育てなきゃなりませんでした。
頼みの融資は赤パンの借金の影響でブラックリスト入りし、打ち止めとなりました。
2年目
いろんな人が集まった!けど、事業にできたのは映像だけだった...
メンバーから不満爆発したよ
結局、メンバーが多く離脱した...つらすぎた…
心が折れかかったし、Honmonoなんて辞めてやろうかとも思いました。
本当にカオスでした。
書いていて胃が痛いですが…。
それでも支えがあったんです!
「確認せい!お前にまだ残っておるものは何じゃ!」
「心強い骨太な仲間がいるよ!!!」
こんな感じです。(ONE PIECE 60巻からセリフを引用してます。)
今でこそ、こんな小ネタを挟めますが
当時は、運営も成り立ってないし事業もうまく展開できていない状態です。
そんな状態であっても「それでもHonmonoでやりたい」と仲間が残ってくれました。
何よりの救いでした。
感謝しかありません。
続いて3年目
映像事業が全国1730社中、全国1位の評価をとった!
事業を展開してクライアントワークに集中!
骨太メンバーが増加!
これが2021年のお話です。
やっと社会とつながりを持てたという感じですね。
少しホッとしたところでもあり、いよいよここから!という嬉しい気持ちも出てきました。
現状と今後の展望
事業が成り立ち始めると、また様々な意見が出てきます。
「Honmono?あれ?普通の会社っぽくない?」
「ここでやる意味ある?」
「どこ目指してるん?もっと伝えてくれなきゃ。メッセージ足らんよ。」
などなど。
分かりますよ。
分かりますけども。
まずは、Honmonoとしてのチームが機能しないのが大問題だったので強化しなきゃならなかったし、色んな企業と繋がりを持って、影響力アップが必要でした。
それに、おまんま食えなきゃアカンかったっていうのもある。
ということで
準備はここまでです。
2022年はクライアンワークをやっている事業の枠を外して、社会に新しい価値をお届けします。
今がその道中です。
やっとです。
やっとHonmonoを立ち上げた当時のビジョン
「色んなジャンルのプロが集まり共に創って新しい価値を世の中に生み出す」
に手をかけるところに来ました。
また上手くいかないこともあるでしょう。
挫折もするでしょう。
それでも挑戦しつづけます。
支えてくれた仲間がいます。
これから迎える仲間がいます。
みんなで一緒に盛り上げていきます。
いつもの活動の雰囲気はInstagramにあげていますので、ぜひ覗いてみてください!
この記事を読んで
なんか面白いことやってんなー
色んなジャンルのプロって興味ある
自分もやってみたい
など、思った方はお気軽にコンタクトしてきてくださいね。
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