身のこなしをキレイにする方法 ①/5
どうして、そんなにキレイに動けるの?
誰しも、自分の身体を変えたい、改善したいという思いを抱いているものだと思います。
ダイエットしてスリムになりたい、筋力をつけて強くなりたい、一日の仕事をフルにこなすために持久力をつけたい、機敏でキレのある動きをしたい、美しい身のこなしができる身体になりたい・・。そんな思いは様々です。
しかし、私自身の経験から言えば、「キレイな動き」というものは、できる人にはできるし、できない人には難しい、といったタイプの能力のように感じます。私には、一人だけ、ものすごく美しく動く知人がいます。
その動作の美しさは本当に奇跡的で、新鮮で、鮮烈でした。独特なラインを描きながらも押しつけがましくなく、その残像が何度となくまぶたの裏を駆け抜けていく感じがしました。学生時代から、私はいつも感心して彼のことを見ていました。どうしてあんな動きができるのだろう? と。
あまりに美しすぎたり、あまりに優れた才能を持っている人は、そのこと自体が周りの人々に恐怖を与えてしまうことがありますが、彼の動きにはそういった感情を抱かせない何かが備わっていました。むしろ、見る側の感情を知らないうちに心地よい場所へと運んでくれるような作用がありました。その動きの中には、視覚的な効果以上の何かがあって、それが私の興味を引いたのです。
彼は劇団に所属し、役者として舞台に立っていました。もちろん、十分に観客の注目を集めていました。見事としか言いようのない身のこなしをしていたのです。
一度、機会があって「どうして、そんなにキレイに動けるの?」と聞いたことがあります。「何かコツがあるの?」と。
彼はその時、だいたい次のような言葉で答えてくれました。
鏡を見て、関節の動きを見る。本当にそれだけなのだろうか? 私はそう思わずにはいられませんでした。彼は、本当に洗練された華のある動きができ、目が離せなくなるくらいの素晴らしい身体能力を持っていました。
才能なのだ、やっぱり、とその時は思いました。私はその能力に嫉妬していて、だからこそ本当に彼の言葉をちゃんと聞けていなかったのです。でも、彼はありのままを素直に話していたんだと、数年前に気がつきました。彼がその時、自分の身体の使い方のコツを、自分が感じていた通りに話してくれていたことが今ではわかります。でも、その時には理解できていなかったのです。自転車に乗れるようになるのと一緒なのです。あるいは新しい習慣を身に着けるのと同じです。
能力のない自分には、能力のある人がはるか遠くに感じられます。とても自分がその領域に踏み入れることができるとは思えない。しかし、それが出来るようになると、今度は出来なかった頃の状態自体が不思議に感じられるものです。
読者の皆さんには、自転車の乗り方を学ぶような気持ちで読み進めていただきたいと思います。確かに壁はあります。実際、美しく動きたいという憧れに近い気持ちが現実のものとなるまでには、試行錯誤の連続です。転んだり挫折しそうになることもあるでしょう。確実にすぐにキレイになれる、と言えたら良いのですが、そう簡単にはいきません。
しかし、美しく動く能力は、才能や天性のものだとあきらめる必要はまったくありません。私の知人には天才的な何かがあると今でも思っていますが、日常レベルで美しく動く方法は後天的に学ぶことができます。さまざまなアプローチが考えられます。私はその一つ、具体的に言えば「動きを見る」ということに焦点を絞った方法を提示します。
視覚を通してインプットされる情報をフルに活用し、視覚にインスパイアされる身体感覚を扱っていきます。
まずはとにかく他の人の身体を見ること。具体的な視点の持ち方について述べていますが、知人の言葉を借りれば「関節」の動きを見ていきます。動きは関節と筋肉の収縮によって生まれるのです。
後半では鏡を使って、自分の身体や自分の動きを見る、具体的な視点を提示していきます。敏感に自分の身体を感じ取り、操作していくことで、キレイな動きを探っていきます。
できる人とできない人の壁を越える鍵は、才能ではなく、効果的なトレーニング方法と、そのトレーニングを継続的に行えるかどうかです。
「これを行えば、自分の身体はきっと変わる。そしてこの方法なら続けられる」と読者が確信できるかどうか。そう思っていただけるよう、出来る限りの工夫を凝らして文章を構成していきます。
身体は「関節」で読み解く
身体の動作を根本的に変えることは、とても難しいものです。
どれだけ強い意志や決意があっても、それだけで身体に変化が起こるわけではありません。多くの時間をかけて身体に関する知識を集めても、何も知らないように見える隣人が、やすやすと自然で華やかな動きを見せることもあるのです。
「無意識にでも美しい動作ができる」という人がいる一方で、「美しい動きはとても難しい」と感じる人もいます。この現実は、身体を変えること自体がどれほど困難であるかを物語っています。
一度身についた身体的な癖を拭い去ることが難しいからこそ、このような差が生まれてしまうのです。つまり「美しく動くこと」そのものが難しいのではなく、身体に変化を与えること自体が困難なのです。
では、なぜこのような困難が生じるのでしょうか?自分の動きを変えようと努力しても、なかなか身体が思うように変わってくれないのはどうしてなのでしょうか。
その最大の理由は、動きを生み出す素材である「あなたの身体」が、取り替え不可能なものであるからです。料理の腕を上げるプロセスとは大きく異なり、自分の身体という唯一の素材しか扱えないため、一般的なコツや知識では十分な効果を得ることが難しいのです。各自の身体には独自の癖があり、それを変えるには他人が見つけた方法では不十分です。あなたは自分自身で「美しい動き」のコツを見つけ出す必要があります。
その際に非常に役立つ視点が、「関節」に注目するということでです。
「関節」は身体を細分化して理解するための最小単位です。些細な「関節に対する実感」や「関節に対する洞察」を積み重ねていくことで、身体の見方をより洗練されたものにしていけます。あなたは、自分の身体に語りかけるための言葉をこうして獲得し、自然と動きを変えていけるのです。この文章は、そのための一助に過ぎません。
人の身体を冷静に見る能力
自分の身体を美しく整えるためには、他人の身体をよく観察することがとても有効です。ただし、それは単に真似をするためではありません。あなたの中にある「身体」についての理解を改め、より深めることに役立つからです。
美しい動きとはこういうものだ、とあなたもすでにイメージを持っているかもしれません。周りにいる美しく動ける人をひとり挙げてください、と言われたらすぐに思い浮かぶでしょうし、逆に美しくないと感じる動きをする人も思い浮かぶかもしれません。
これから述べる、人を観察する方法についての記述は、あなたの中にある「美醜のイメージ」をいったん壊し、再構築することを目的としています。「関節」についてより深く知ることで、美醜の基準をより細分化し、あなたの中に新しい視点を持ってもらいたいからです。
その理由は、「どれほど努力しても、自分の身体はなかなか綺麗にならない」と感じている多くの方々は、その「美醜のイメージ」がまだ十分に洗練されていないことにあります。
動きを思うようにコントロールできていない人の「美醜のイメージ」は、偏っていたり大雑把だったりします。美しい動きとは何かという認識そのものに問題があり、その認識に縛られてしまうことで、自分の身体を思うように改善できていないのです。
「関節」をきちんと冷静に見る力を身に付けることができれば、より細分化されたレベルで「美醜」を判断できるようになります。今まで単に「あの人の動きは美しい」と済ませていた動作の中にも、無駄な動きやブレている関節、逆に予想以上に高い身体能力が現れている部分が見えてくるのです。
知人が言ったように「動きは関節だ」という考え方を、あなたはどれほど意識していますか? どれだけ関節を有効に豊かに使えているでしょうか? 他人の関節をよく観察することで、自然と自分の関節の使い方もうまくなります。それによって、あなたが持つ「美しい動き」のイメージが、関節を通してより具体的で洗練されたものへと変わっていくのです。そのとき初めて、あなたはそのイメージから何かを学び取れるようになるのです。
他人を真似ても美しくはならない
あなたは周りの美しい姿勢の人を見て、その首のラインや足の曲げ方、背中のカーブを自分に取り入れようとしたことがあるのではないでしょうか?私も、そういったことを本当に長い間続けてきました。しかし、それでも彼らのように美しい姿勢を保てず、どうしてあんなに魅力的に歩けるのか悩み続けていました。
そして数年前、こういった方法では自分の身体は綺麗にならないという結論に達しました。結局、他人の美しい動きをそのまま取り入れることは不可能だったのです。
それから私は、自分の身体を鏡に映し、しっかりと観察するようになりました。自分の「関節の動き」を冷静に見つめることを覚え、関節ごとに身体の動きを細かく分けて認識し、他人の動きも同じ目で分析するようにしました。
他人の美しい部分を真似しても自分が美しくなれない理由、それはとても単純です。あの人の美しさと私の美しさは違うということ、それだけのことです。土台となる身体がそもそも異なるのに、ただ真似をするだけでは自分の動きが洗練されることはないのです。
顔の表情を例に考えればわかりやすいかと思います。例えば、素敵な笑顔が印象的な人がいるとします。その笑顔の魅力は、その人特有のものです。もし他の誰かがその笑顔を真似して同じように好印象を与えようとしても、それがうまくいくことは非常に難しいでしょう。たとえ成功しても、それは「型」としての模倣に過ぎません。そのような笑顔に果たしてどれほどの価値があるのでしょうか。人を真似ることが上手な人がいるかもしれませんが、それは似ているだけであり、その笑顔の本当の魅力を自分のものにすることはできないのです。
私はしつこいくらいに他人の動きを観察することをお勧めしますが、どうか「他人の美しいラインをそのまま自分に取り入れる」という視点では観察しないでください。その代わりに、目に映る「関節」を丁寧に見つめてください。そうすることで、自分の中の「人の身体のイメージ」を豊かにし、人の身体の美しさや醜さがどのポイントで、どのように生じるのかを理解していってほしいのです。
「関節」をしっかりと見つめることこそが、身体を変える確実な方法であり、自分の身体だからこそ表現できる美しさへのアプローチになります。そしてあなたがあなたのままで美しくなれる、そんな道を見つけることができるのです。
銭湯で観察する その1
銭湯は、人の動作を観察する場として私が最もお薦めする場所です。なぜなら、身体そのものをじっくりと観察できるからです(まあ、当然ですね)。裸の身体は、関節の動きやその可動域、スピード、美しさの違いなど、多くのことを教えてくれます。これらを知ることで、自分自身の身体をより良く理解し、変えていく手助けとなるでしょう。
▫️普段は見えないものが見える
裸の身体を観察していると、衣服というものは人の身体の癖を隠すための道具でもあるのだなと感じます。服を選ぶとき、私たちは無意識に、自分の欠点を隠すことに適したものを選んでいることが多いのです。例えば、私が細身のジーンズを持っていないのはきっとO脚を隠したいからですし、やや大きめの上着を好むのは、猫背気味の背中のラインや、ぎこちない腕の動きを隠すためかもしれません。
銭湯では普段隠されている人々の身体の癖を観察することができます。各々の人が持つ身体の特徴や癖を、その動きとともに目の前で見ることができるのです。ただし、不躾な視線を送るのはやめましょう。浴場では、あくまでも控えめに他の人の身体を観察していただきたいと思います。
▫️関節が身体のラインを描く
さて、他人の裸体を観察する際、どこをどう見たら良いのでしょうか。できるだけ全ての部分を観察してほしいのですが、まずは身体のラインに注目してみてください。普段は衣服に隠れている膝や腰、背骨、肩、肘などの関節をしっかり観察し、それらがどのように身体の美しさや印象を左右しているかを考えてみましょう。
人の身体的なラインは、関節を基礎に描かれています。体型がどのようであれ、関節がその奥で影響を与えているのです。お腹の出た中年の方であっても、腰や背骨、膝の関節の使い方が上手な方は、堂々とした貫禄のある姿に見えることがあります。
例えば、頭と胸の位置関係や、腰の角度、膝の曲げ方、足首の使い方など、一つ一つの動きに注目してみてください。関節がどのように身体のラインを形成し、私たちにどのような印象を与えるのか、その本質を探ることができると思います。
浴場に10人の人がいれば、そのうち1〜2人くらいは「美しい」と感じる身体のラインをしているのではないでしょうか。そしてまた、同じ数だけ美しくないと感じるラインの人もいるでしょう。この美しさや醜さの違いはどこからくるのか、疑問に思うかもしれません。ここでは、筋肉や脂肪の付き方ではなく、関節の使い方に注目します。姿勢が良い人や、関節を上手に使って身体のラインを作っている人を観察することが鍵になります。
□■筋力の適切な分配
美しいと感じる人には共通して、関節のバランスが良いという特徴が見られます。膝、腰、背骨、首など、全ての関節が整った形でバランスを取り、描き出すラインが自然であることが、その美しさの秘密です。
また、筋肉の使われ方も重要です。全身の関節に対して、ほど良い緊張が適切に配分されているため、一点に負荷が集中したり、ある関節が無造作に扱われることがないのです。動きの中でも、そのバランスが保たれていることが美しい身体の条件です。
例えば、猫背の人が二人いたとしましょう。同じような背骨のカーブを持っていても、一方はだらしなく見え、もう一方はどこか魅力的に映ることがあります。舞台に立つ役者の中にも猫背の方はいますが、決して醜いとは感じないことが多いのは、その人が動きの中で関節のバランスを保っているからです。猫背のままでも美しく見えることはあり、姿勢を無理に正すだけが答えではありません。
□■動きが作る身体の印象
私たちが美しいと感じる身体は、「動き」なくして語ることはできません。身体は動きの中でその本質をさらけ出し、私たちはそれに対して美醜の判断を下しています。静止している状態では美しく見える人でも、少し動いた瞬間にそのバランスが崩れ、本質が露わになることがあります。反対に、多少猫背であっても、動きの中で関節の使い方が上手な人は、美しく見えることがあるのです。
私は、いわゆる「頭のてっぺんから糸で吊られるような感覚で立つ」といった定石のアドバイスを、必ずしも有効だとは考えていません。それよりも、関節単位で身体を理解することの方が、はるかに汎用性が高いと感じています。自分の身体を根本から変えたいのであれば、まず関節の使い方に目を向けるべきです。そして、その後にイメージを使った身体の使い方を取り入れることで、より良い結果が得られるでしょう。
最後に、美しい身体の多くには共通点があります。それは、胸の後ろ側にある背骨がまっすぐであることです。これはあくまで一つの法則に過ぎませんが、銭湯で人を観察していると、多くの美しい方に共通して見られる特徴です。美しい人は「胸を張っている」というよりは、背骨の上部を自然に伸ばしているのです。これは、姿勢に自信がない方にとっても効果的な方法の一つです。
しかし、完璧な身体などありません。誰もが自分の身体のどこかに課題を抱えており、そのバランスを取るために工夫が必要です。背骨の上部を伸ばすことが難しいと感じる人は、他の場所で無駄な動きを改善することから始めてみてください。そうすることで、自分の身体に自信を持つことができるようになるでしょう。
銭湯で観察する その2
銭湯で人を観察していると、身体というものは本当に一人ひとり違うものだと実感します。その中から共通点を見つけ出すことももちろん大事で面白いのですが、まずは「関節」という身体の動きの装置、美を形作る装置そのものに注目してほしいのです。
□■美しい座り方
例えば、身体を洗っている人を観察してみましょう。
腰掛けに裸で座っているその姿には、特に美しさの違いがはっきりと表れます。美しい座り方をしている人は、まず腰の角度が違います。腰に角度があるということは、普段の日常生活ではあまり実感することがないかもしれません。この先、「腰が立っている」とか「腰が寝ている」といった表現を使うことがあると思いますが、そのイメージを掴むには銭湯で人の身体を見ることが大いに役立つと思います。
美しい座り方をする人は、腰をしっかり立てています。つまり、腰を地面に対してほぼ垂直に保ち、股関節を柔軟に曲げているのです。逆に、美しさが感じられない座り方では、股関節が伸びたままで、そのため腰を寝かせてしまいます。重心が後ろに下がりがちになり、それを補うために背中のカーブを強くして上半身を前に持ってきているような姿勢です。中には、腰を寝かせた状態で腹筋で上半身を支えて背中のカーブを美しく保とうとする方もいますが、多くの場合、腹部に皺が寄り、何となく窮屈そうに見えてしまいます。
私自身も少し前まで、こういった窮屈な座り方をしていました。身体を洗い終わって立ち上がる頃にはお腹にスジが残るような座り方で、腰を寝かせた座り方に慣れすぎていたのです。そのため、意識して腰を立てた座り方をしてみると、お尻の骨が座面に当たって痛みを感じました。しかし、股関節をしっかり曲げることで膝の方に体重を預けることができると発見してからは、座り方が改善されました。その方が身体にかかる負担が少なく、座った状態では重心が前方気味にある方が身体は安定することを実感できました。
関節を曲げることで重心が移動する、ということは非常に重要な事実です。
身体の使い方が上手な人は、関節を使って重心をスムーズに移動させることができています。
重心の下に位置する股関節や膝、足首に注目してみてください。これは美しい立ち姿勢にも通じるものですが、安定感のある身のこなしをする人は足首や膝をうまく使っています。ブレの少ない動きをする人を観察すると、方向を変える前や振り向く瞬間に、自然と片方の足首を曲げてつま先に体重を乗せる場面があります。彼らはその瞬間にバランスの崩れを吸収し、滑らかに重心を移動させる準備をしているのです。
次の章では、関節のもう一つの大切な働き、「回転」についてお話ししようと思います。関節は曲がることでラインを作り、バランスを保つ役割を果たしていますが、それに加えて「回転」することで動きに方向性を持たせることができます。
美しく関節を「回転」させることを意識するようになれば、より豊かで自由度の高い動作が可能になるでしょう。
まだまだつづきます・・・
が、もったいぶるほどの結論もないので、
※ 結局何をすればいいのか知りたい方のために
私の、身のこなしをキレイにする方法は「見ること」から始まります。
視覚によって、その動作の質を判断し、身体的な感覚に修正を加えます。別の言い方をすれば、自分を観察しながら、身体の動かし方を変えるのです。
「鏡の前で、キレイな身体の使い方を模索する」
お気に入りの音楽を聴きながら、ノリノリで身体を動かしつつ、鏡に映る自分の関節について考察し、何らかの気づきのようなものを得ていくだけです。方法、メソッド、技法、そんな言葉を使うには気恥ずかしいくらい当たり前でシンプルな内容です(使ってますが)。
必要なものは鏡だけです。
私の文章は別の視点から見れば、trial and errorを最速で繰り返す効能を述べているだけです。"鏡の凄み"に気づくことができれば、身体は良い方へ簡単に変わります。
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