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282 ロケットを飛ばす
H3ロケットをネットで見て
7月になった。1日にJAXAはH3ロケットの試験3号機を打ち上げた。
その様子を眺めていて、どうして私たちはロケットを見てしまうのだろう、とふと思った。誰もというわけではないが、相当数の人たちはロケットの打ち上げを楽しみにしている。それは、鉄道オタクのような意味でロケットオタクなのかもしれない。いや、それは少し違う気もする。オタクというよりはファンと呼ぶべきかもしれない。
たとえばXを眺めていると、定期的にイーロン・マスクのロケットを見せられる。かなり素晴らしい映像なので、目が離せない。あの、推進用の2本のロケットが地上に戻ってくるシーンなんて、特撮(古いな)というかVFXじゃないかと思うぐらい嘘っぽい。
— Elon Musk (@elonmusk) July 1, 2024
同時に、ロケットについては、世代によってリテラシーの違いが大きいのではないかと気付く。
私は、サターンロケットの模型を作ったことがある。いわゆる月面着陸というやつで、着陸船については別に大きめの模型も作ったことがあった。しかしスペースシャトルの模型は作っていない。作る気にもならなかった。気に入らないということではなく、なんとなく、特別感が薄れた気がしてしまったのだ。
一方、相変わらず北のあの国は、なにかと言うとミサイルらしきものを打放っている。あの国でも人々は打ち上げシーンで楽しんでいるのだろうか。子どもたちは模型を作っているのだろうか。
他国のぶっぱなすロケットあるいはミサイルは「地球温暖化に影響するんじゃないか」とか「資源のムダじゃないか」と思ってしまうけれど、自国の打ち上げにはそういうことは最初に思うことではない。素直に「飛ぶんだねえ」と感心してしまう。
重力に逆らう
いまは内耳の関係もあるので飛行機に乗りたいと思うことはないけれど、一時は出張や旅行で何度か飛行機に乗っている。一番楽しいのは離陸であった。のんびりと滑走路に向かうときは落ち着かないけれど、スタートラインについて、エンジンをフルパワーにするとき、体の底から「行け!」と思ってしまう。そして車輪がたたみ込まれて旋回をはじめると、さっきまでいた空港施設がもうあんなに小さい……。
ロケットとなったら、もっと強烈なGがかかって、外を見ている余裕などないだろう。だけどきっと「行け!」と叫びたくなるのではないか。
7月といえば、隅田川の花火も予定されている。この花火も、ドーンと打ち上げるときの気持ちよさは特別なものだろう。
飛行機、花火、ロケット。いずれも重力に逆らっていく。それを「勇姿」と思えてしまう。
日頃、自分は地面に這いつくばって生きている。ここから自力で飛べるかと言えば、せいぜい階段1段ぐらい。それだって、「やめておけ」と思う。飛ぶなんて大それたこと。
それをドドーンとやってのけるから、痛快なのかもしれない。
ところが、ドローンや空飛ぶ自動車には、まったくそういう気持ちが起こらない。「鳥だって飛んでいるしな」と冷めた気持ちになってしまう。とくに空飛ぶ自動車には「事故がやばそう」としか思えない。実用化されたら電動キックボードどころの騒ぎではない。空飛ぶ自動車は、マンションの上の階にだって突っ込めてしまうのだから、安全な場所はなくなってしまう。ただでさえ、アクセルとブレーキを踏み間違える事故があるのだ。ベランダにガードレールをつけろというのだろうか?
ま、そんな意地悪に考えることもないとはいえ、同じように重力に逆らっているのに、それほどワクワクしない場合もあるのは不思議なことだ。
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