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273 人生に戦略はあるのか?

まあ、ボーッと生きてきた者としては

 人生に戦略はあるのか? それを、ボーッと生きてきた人に聞く? そんなコラムです、今回は。

 戦略と戦術については、出版関係の仕事上、ビジネス書を企画する上で最初に深く学ぶべき事項だった。最初は物流業界、流通業界が中心だった。たとえば、日本ロジスティクスシステム協会がある。私がこの世界を学びはじめたのは、その前身のひとつ、日本物的流通協会が日本ロジスティクス協会となった頃だった。「ロジスティクス」とは兵站のことで、必要なところへ必要な物資を送り届けるための最適化を図ること。そのための戦略や戦術がある、ということだった。それを物流全般を示す言葉として使っている。
 ビジネスで言えば、経営者とその近い役員らによって作られた戦略と、それを実現するために各部署で考えて実行する戦術ってことになる。「物を運ぶのに戦略や戦術があるのか」とは、1970年代頃の認識だったろう。私が関係する頃にはそんなことを言う人はほとんどいなかった。
 そういうことを学んだからといって、自分の人生にそれを活かせるかといえば、そりゃもう、ボー生き者(ぼーいきもの)としては、まったく自分とは無関係でございます、といったスタンスになる。
 いや、広くとらえると、私はボーッと生きる、という戦略を取った。そのために、邪魔になるものをさまざま排除したり改変してきたのではないだろうか。
 思えば確かにそうだった。いくつか心当たりはある。その話は内緒だ。いろいろ差し障りがありそうだから。
 戦略は、いわば「方向性」と言ってもいい。どっちの方向を目指すのか。あるいは目指さないのか。これは、企業なら業種にあまり関係なく共通している(顧客満足度のため、とかいうやつだ)。もちろん、中には嘘もある。嘘とまでは言わないけれど、かっこつけている部分は絶対にある。だから、どんな人に聞いても「私の人生の戦略は、ボーッと生きること」などと言うはずがない。もっとかっこいいことを言うだろう。いま、いくつかかっこいい戦略を思いついたけど、恥ずかしいのでここには記さない。どこかの宗教団体のお題目のようになってしまいそうだ。ただ、自分の中に秘めておけばいい。

戦略は転換する

 方向性を決めたところで、私たちの寿命は限られている。それ以上に限られているのが資源である。人生における資源とは、祖先から引き継いだものがあればそれと、自分で獲得したもの(知識、性格、パートナー、仲間、人脈、おカネ、信用などなど)があるだろう。加えて状況がある。外部環境(年齢や病気、ケガも含む)は大事。私たちはその影響をもろに受けるから。
 どんなにかっこつけた戦略を立てたところで、有限の資源を投じてさまざまな戦術を立ててはトライアンドエラーを繰り返すことになる。めでたく達成できればいい。いや達成しちゃったら、新たな戦略が必要になる。
 エラーばっかりになってきたら、「これはダメだな」と方向性を変える。あるいは外部環境の変化によって、方向を変えることを余儀なくされる。
 企業に比べると、人生の方が、戦略をがらりと変えやすい。「やっぱ、こっちか!」と、いままでと正反対のところを目指したっていいからだ。
 戦略を変えたとき、世の中的には「人が変わったよう」と言われてしまうこともあるだろう。「なんだ、あいつ」とか。「一貫性がない」と非難されることもあるかもしれない。だから企業はなかなか戦略を大きく変えることができないまま消えて行く。
 人生はそれではつまらないので、ひとつの人生を2倍、3倍に楽しむ(あるいは苦しむ)ために必要なら「これまでの自分を捨てる!」みたいなことをやったっていいのである。
 もっとも、私の乏しい知見では、人は「これまでの自分は捨てた!」と言っていても、案外、大して変わっていない。筋肉ムキムキにしようがスキンヘッドにしようが、本人の思っているほど変わっていないことが多い。
 それはたぶん、方向転換を戦略として捉え切れていないからだろう。人生にもし戦略があるとしたら、それを大きく変えるのだから、外見だけ変えるのでは足りないことに気付くはずだ。
 多くのバンドが方向性の違いを理由に解散したり主要メンバーが抜けたりするのを見てもわかるように、戦略の転換はそれなりに犠牲を払うことになるだろう。
 なにを犠牲にして、なにを獲得するか。
 ボーッと生きるのもそれなりに大変なのである。

左が氷あずきに見えてきた。


 
 
 

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