6 自分の信じる現実が歪むとき
恐怖について考える
かつて、『恐怖の報酬』という映画があった。リメイクされたが私にとってはオリジナル版のモノクロの映画の記憶である。それをある日の午後。たぶん土曜日だろう。テレビでやっていて、とんでもなく恐ろしかった、と思う。思うだけで具体的にはなにも思い出せない。オンボロのトラックで道なき道を、爆薬を積んで走る危険な仕事。『アフリカの女王』もその頃に見たはずで、川の中をほぼ漬かりながらヒルに喰われたりしつつ女性を乗せたボロ船を押すシーンがあったのではないだろうか。曖昧な記憶である。これも全体としてはむしろコメディと捉えることもできるけど、なんだか怖いシーンが印象として残っている。
さらに古い記憶ではモノクロテレビで夕方に放送されていた『マリンコング』という番組(だと思う)。怪獣が登場するのだが、毎回、怪獣が人を食うシーンがタイトルとして登場し、それが本当に食べているのか食べていないのかも定かではないけれど、とにかく怖すぎて見ることができなかった(だから見ていないのであるし、ちゃんと覚えていない)。
高校時代にはいくつかの恐怖がある。通学時、満員の電車で不良に絡まれたとき。スケバンみたいな女子が「可哀想だからやめな」と不良たちを遠ざけてくれるまでが怖かった。この頃、山登りをはじめ(登山というほどではない)、丹沢へよく行ったのだが、霧で手をのばした先ぐらいまでしか見えない道を山頂へ向かったところ、なにか黒っぽい影に囲まれた。やがて、目の前に大きなツノが現われた。鹿の群れに出くわしたのだ。立派なオスが私を威嚇する。気づけば周囲はすべて彼の群れであるメスたちだ。完全に囲まれた。
どうすることもできず、群れが山の斜面へと消えて行くまで、ただ立っているしかなかった。
そのほか、原付免許を取って乗り回していたとき、ふいに左から大型トラックが出てきてゾッとしたとか、自動車で山道を走っていたとき、濡れた落ち葉でブレーキが効かずカーブを曲がりきれなくなりガードレールに衝突したときも怖かった。このときは事故の処理は冷静だったのだが、山の下まで歩いて警察を呼んでもらい(当時携帯のない時代)、パトカーで現場に戻ったときに、思ったより酷い事故だとわかってゾッとした。「ケガがなくてよかったですね」と言われた。たぶん、スピードはそれほど出ていなかったからだろう。
怖いことは、そこらじゅうにあるし、いちいち反応していたら生きていけないと割り切って、「大したことない」と自分を納得させる。それでも、ふいに恐怖は立ち上がる。
『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)
hontoで購入した『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)を読み始めた。確かに、正面から恐怖について書かれた本はこれまであまり見なかったし、たぶん、いままでなら手に取らなかっただろう。なぜなら、怖いからだ。
実際読み始めてみると、この本そのものがとても怖い。著者は精神科医として臨床に携わっている上に、「幼い頃から甲殻類恐怖症なのである」。
幸い、ここに出ている恐怖症の定義からすれば、私自身はとくに恐怖症ではないようだ。それでも、ある時から人が大勢いるところは苦手だし、閉塞的な空間(映画館、ライブハウスなど)も避けたい。コロナのせいもあるのだろうが、この数年で外食をほとんどしなくなったこともあり、たまに店舗の席についたとき、ほかにも席がいっぱいあるのに私のすぐ近くに誰かがやってくると、それだけでうんざりしてしまう。また、カウンターしかない店で、少し離れたところでも大声で話をしている客がいると、一刻も早く外に出たくなる。怖いのである。
そしてこの本では、冒頭から、電車にまつわる怖い話を含め、とにかく具体的な事例がどれもこれも異様に怖いのだ。著者はさまざまな恐怖例を、古今東西のさまざまな本などから引き合いに出してくる。
怖いじゃないか、と思いつつも、だんだんおもしろくなってきてしまうのだが……。
ライドシェアとインボイス
たとえば、この数か月、SNSでは、「インボイス」「ライドシェア」は、とてもよく目にするキーワードである。だが、地上波のテレビでは、まず登場しない。
今朝も、ある番組で地方の路線バスが運転手不足で運行が難しくなっている話をしていた。ところが、そこで期待されているのは、いつ実用化されるか誰にもわからない「無人運転」「自動運転」である。技術のみで解決したいというのだろうか。「ライドシェア」はどうした。「ライドシェア」を解禁すればかなり解決できるではないか? だが、そういう議論にはならないのである。一言も触れられないのである。
ジャニーズ問題ではないが、明らかに大手メディアにはこのような「忖度」がまん延しているようで、ほかにも、まったく触れようとしない社会問題とその解決策は数え上げたらきりがないだろう。
インボイスに関する50万人署名やデモも、街中に出没するクマよりもウエイトが低い。そのくせ、誰も要望していない電動キックボードはご存知のように現実に街中に出現している。もっとも、あれに乗っている人を見ると、なんだか間抜けに見えるのだが、それは私の認識が間違っているのだろう。
こうなってくると、私が感じている「現実」は、現実ではないのだ、と思えてくる。
『アメリカ紀行』(千葉雅也著)では、ライドシェアのLYFT(リフト、書籍の中ではLyftと記されている)を著者はとても便利に活用していた。タクシーも少し使う。単語として「タクシー」は6回、「Lyft」は14回登場する。ほぼライドシェア一択である。しかもここに描かれているのは2019年のアメリカである。iPhone 11の頃である。
このところ、日本に対する自分自身のイメージが、ことごとく歪んでいくのを感じている。劣化だ、老害だ、と言えば済む段階はとっくに超えている気がする。
私はいま、それが怖い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?