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353 勘違いが生むアイデア
勘違いは大切
どうも粗忽なところがあるね、やつは。
なんて言葉で語ると落語っぽくなる。粗忽って言葉は落語で知った。ほかにもいろいろ落語で知った言葉はある。悋気。へっつい(竈)。じゅげむ。
小学生の頃にコント55号になりたかったのだが、落語も好きだった。当時はテレビ(いまの地上波)で落語をよく見た。テレビ用なので短い話ばかり。中には枕だけで終わるなんてこともあったけど。古典落語の全集を揃えた。全集といっても文庫版だ。確か興津要の。3冊か4冊だったか。繰り返し読んだ。
粗忽は早合点というか、軽率、そそっかしいこと。「一を聞いて十を知る」ならかっこいいけれど、そんな気持ちになるだけでまったく的外れな行動に出てしまう。
笑い話の種としては、古典落語だけではなく、日々のちょっとした居酒屋トークや喫茶店トークで多少は盛り上がる。勘違いもあれば、思い込みもあるのが人間なので、誰にも多少はそうした失敗はある。
そしてこの勘違いは、しばしばアイデアにつながる。負け惜しみではないけれど、「あ、これは勘違いだ」と内心は思いつつ、「いや、本当だって。本当にあるんだ。いやあってもいいよね」と取り繕ううちに、未知の領域へ踏み込んでいく。
人の話を聞かない、自分の意見を正当化する、意地でも曲げない、といった光景を、最近はニュースでちょくちょく見受ける。きっとそういう人のところには、そういう家族が生まれるから、「お父さん、がんばって」とかって応援しちゃったりしているんだろうな、あー、勘違いも甚だしいな、なんて思うかもしれない。
だけど勘違いはこっちかもしれない。ニュースで報じられていることはなにか大きな氷山の一角に過ぎず、もしかするとなにか裏の裏(それは表)があるかもしれない。ただ、そういうことは、こちらは知ったことではないわけだけども。
勘違いは恥ずかしいこと。「勘違いしないでよ! このバカ、アホ、おたんこなす」といったセリフを思いつくように(昭和だなあ)、非難される対象である。
取り繕ったり誤魔化したり、自己正当化ばかりではなく、「待てよ」とそこで自分の勘違いについて少し立ち止まって考えてみてはどうだろう。
なにが原因で勘違いしたのか。
よくあることから生まれるアイデア
原因を究明していくことによって、自分の浅はかさに気付くのもいいけれど、同時に「これって、おれだけじゃないかもな」と思ったときに、ちょっとだけ気持ちが揺れる。ググッとくる。「これって、使えるな」。
もちろん詐欺や犯罪に使うのはダメだ。しかし自分の間違いは、誰かも同じように苦しんでいるかもしれない。だったらそれを解消する方法を見つければいい。自分だって同じ過ちは二度繰り返したくない。一生の間に似たシチュエーションが何度訪れるかわからないけれど、次はちゃんと対応したい。そのために、どうすればいいのだろうか。
そんな風に考えて行くと、いつの間にか、なにかが生まれていることがある。
だいたい世の中のアイデアの多くは、とんでもない異次元から斜めにカッ飛んでくるようなものではなく、誰もが見て、誰もが聞いて、誰もが知っていることの中から生まれてくる。
その生まれてくるときに、よくあることをいつもと違う角度で見る。それは一種の勘違いかもしれない。
わざわざ勘違いを連発することはないけれど、たまに起きる不思議な齟齬、間違い、勘違いは笑いの種だけではなく、さまざまなアイデアに結びつく貴重な体験と言っちゃってもいい。自分自身、そう考えているのは、たぶん勘違いなのだろうけど、天才バカボンのパパなら「それでいいのだ!」と言ってくれるだろう。
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