308 オリンピックがあるみたい
素直に楽しめていた頃が懐かしい
オリンピックは、テレビっ子には最高のイベントだった。どの競技をどのチャンネルでいつやるのか。遠い国で行われるので時差もある。見たい競技を必ず放送してくれるわけではない(日本選手中心だから)。しかも、生放送で見たい。
録画もネットもなかった頃は、新聞の番組表を熱心に眺めた。かつてはオリンピック特集の別冊がついていた時もあった。それでも足りなければ、テレビガイドを書店で購入した。そこまでしても見たかった。
それは遙か昔の話になってしまった。
それは、ファミレスがとんでもない憧れの場所だったようなものだ。
のど自慢のような番組の収録が近くであるとワクワクした頃。
先日、某高校を舞台にした「ハマダ歌謡祭」を見た。とんでもなく懐かしいフォーマットだった。そういえば「有吉の壁」も、一般人を巻き込んだお笑いをやっていて、これは新しいようで懐かしさもある。
オリンピックにときめくことなく、ファミレスへ行く発想も消えたいま、午前4時半にタイマーでついたテレビから流れてきたセーヌ川を使った選手入場(?)を眺めていて、「へえ」と思った。パリ・オリンピックの開会式だった。雨も降っていた。船に乗せられて会場へ行く。会場もエッフェル塔の下の特設会場でそのカタチはランウエイのようでもあり、リオのカーニバル風でもあり、阿波踊りっぽくもあった。
スタジアムでやることが常識だった開会式をパリの街中でやる。このアイデアだけで、今回の絵は特別になったと思いきや、それはそうだけど、こっちのすれっからしの心は大して動かない。
「愛の賛歌」の感動
妻は、酷暑ということもあり、朝4時半に支度して犬の散歩を決行した。夫はその帰りを待ち、ぼんやりパリの中継を見ていた。NHKの実況が下手だな。羽鳥慎一で見たかったな。などと思っている。画面に映る人の説明がほとんどなく、同時通訳もあったりなかったり。こんな中継、大失敗じゃないの、と思ったりもする。
そして妻と犬が帰ってくる。犬には濡らして着せる、少しでも涼しくなるジャケットを着せていた。妻が犬を洗い、夫がドライヤーで乾かす。これは先々代の犬からずっとやってきたことだった。
ところが、いまの8歳になる子(犬のこと)は、最初からドライヤーが嫌いだった。とくに耳をやらせない。耳の毛はそれなりに長いのでちゃんと乾かしたいのだが暴れて逃げてしまう。最近、ドライヤーを新しくしたら余計に抵抗も激しくなった。騙し騙し乾かす。
その間にオリンピックの開会式はいろいろあったようだが、セリーヌ・ディオンの「愛の賛歌」は感動した。負け惜しみではなく、「愛の賛歌」は、どんなシチュエーションでも感動する説を「水曜日のダウンタウン」で検証して欲しいものだ。これはフランスのキラーコンテンツだろう。セリーヌ・ディオンはカナダの人だけど。
ともかくオリンピックが開会したことはわかった。
たぶんニュースやダイジェストや再放送でちょくちょく見るんだろう。日常の楽しみに加わるかどうかはいまのところ不明だ。見たい競技も特にない。応援している競技もない。かろうじて興味のあるのは、ブレイキンかもしれない。エンタメ化された競技だから。いやもうオリンピックという概念ではない。脱オリンピックかもしれない。誰かにメダルをあげなくちゃいけないのが残念でならない。「仮装大賞」みたいな表彰じゃダメかな。ダメだろうね。