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350 輪廻を信じたい気持ちもあるけれど

いろいろ面倒なことが起こる

 お盆の頃などは特にそうなのだが、部屋にとても小さな虫が入ってきて、それをなんとか殺そうとしたとき、「もしや、誰かの生まれ変わりで、こちらを見に来たのではないか」などと思ってしまう。
 人間はなにを考えても自由なので、頭の中で輪廻を思い描くのはまったく自由だ。ただ行動はそうはいかない。行動に移すには、また別の思考とある程度の学習や訓練(経験)を伴う。
 もしも、誰かが虫に生まれ変わって、私の様子を見に来たのだとしたら、それはちょっと心にいい風が吹く。気持ちとして、そういうことがあってもいいよね、となる。
 だけどその次に、「いや、虫のままじゃかわいそうだ」と思う。輪廻を考えれば、早く殺してあげて虫よりもいい段階へ進んでもらわなければ。つまり、輪廻を思うなら、さっさと殺した方がいい。果たしてこれは正しいか?
 どっちにしろ、小さな虫は殺すのである。うざいから、というだけの理由で。殺虫剤をパーッと撒いて。さようなら。
 たぶん、それきり虫のことは忘れてしまう。
 鳥は大空を自由に飛べていいね、とか気楽なことを言う。だけど、それも誰かの生まれ変わりだとしたら、空を必死で飛び回り、地面を這いつくばって虫を探して食べている鳥では、かわいそうではないか?
 今朝、家の窓から十羽ほどの鳥が群れて飛んでいるのを見た。昨日はわずか六羽ほどだったので、少し増えて実はホッとしている。以前は二十羽から三十羽の群れだったのだ。それが台風10号とその影響による雨の間に姿を消して、明らかに減っている。
 群れがバラバラになったのならまだいいが、もしかしたら雨に打たれて死んでしまったのかもしれない。鳥だって楽じゃないよね。あれだけ飛ぶためのエネルギーをどうやって摂取しているのだろう。常になにかを食べ続けないと維持できないのではないだろうか。
 もしも、私の知っている人が輪廻の結果、鳥になっているとしたら、やっぱり思うのは「かわいそう」。だからって、殺したりはしないけど。

AIに質問してみたら

 AIに輪廻について質問したら、「科学的にはムリ。宗教的・哲学的な概念だから」と答えてきた(勝手にこちらで言葉はアレンジしていますけどね)。そして輪廻の問題点をいくつか挙げてくれた。
・転生後に自我はどこへ行くのか? そもそも「自分」が輪廻の道を進むという意識がないのなら、輪廻は意味がないのではないか?
・記憶を消してしまうのに、業(カルマ)を背負うなんて酷すぎないか? どうして自分がそうなっているのかわからないのだから、業をいい方向へ修正しようとするはずもない。
・人口は常に増え続けている。この人たちはなんの生まれ変わりなのか?
・進化をどう説明できるのか。人から動物へ、動物から人へと輪廻転生するとして、その間に進化したり退化することを説明できる?
・転生先は業(カルマ)しだいという。それも自分だけではなく先祖の業まで関わる。だったら現世でなにをしたってムダになってしまうではないか。いまを生きた方がよくない?
 AIはこんなにいろいろと輪廻転生の悪口をあげつらっているけど、「自分の一生が終わったあとも、なんだか続きがあるんだよな」と思った方が気が楽になる時もある。それは事実なので、気持ちの持ちようとしてはあってもいいのかもしれない。
 解決しない思いを持つことは、必ずしも悪いことではない。それが科学的ではない場合はなおさらいい気がする。あくまで個人の感想だけど。

まだ未完成。もう少し。



 
 

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