150 秋葉原の思い出、建物の思い出
肉の万世が消える
秋葉原の神田方面の象徴。肉の万世は3月末で閉店するとさっき知った。店がすべて無くなるわけではなく、あのビルが無くなるという。自分にとっての秋葉原は、そもそも石丸電気がなくなったときで終わっているのだけれど、トドメを刺されたような気もする。
もちろん、いまもなお、ガード下の電気部品の店たち、少し離れているが中古パソコンなどを扱う店などは、かろうじて自分の中にある秋葉原とつながっているけれど。
それほど頻繁に肉の万世に行っていたわけではない。むしろほかの場所によく行っている。神田、御茶ノ水、新橋だ。なぜか秋葉原では立ち寄ることが少なかった。それは、古い時代にとても高価な印象があったこと、それでいてかなり混雑していた印象もあったからだ。
ただ、あの建物(小豆色とでも言うのだろうか)のイメージがある。
そういう、自分なりのランドマークがあって、それが消えてしまうとなにか楽しみは減ってしまった気がしてしまう。
そうそう行くわけではないけれど、浅草ならもし神谷バーの建物が変わってしまったら、ずいぶん寂しく感じるに違いない。すでに仁丹塔は2000年に消えているし。一方、まだまだ古いイメージも残っているのは好ましいけれど、それも徐々に、いやときには大きく変わってしまっている。「ひさご通り」にあるカツラとか雑貨が置いてある不思議な店も、無くなったらきっと残念な気がしてしまうだろう。
人間は勝手なもので、自分なりのお気に入りの雰囲気みたいなものをふわっと頭の中に記憶するので、それが再現できないことで少しイライラする。
私の銀座の記憶はかなり古いので、いま銀座へ行ってもぜんぜん愛着を感じない。かなり最近まで愛着のあった東銀座も、歌舞伎座もすっかりきれいになってしまい、その界隈の店もだいぶ整理されてしまっている。確かにまだ風情は残っているけれど、どうもなにか違う。
生まれ育った場所の変化
ざっと30年はそこで生きてきた場所がある。横浜郊外の小さな町。その駅前をストリートビューで見ると、毎日のように立ち寄った書店はなくなっている。スーパーもなくなってしまった。同級生の実家だった畳屋さんが残っていたが、その隣はまさかの「餃子の王将」になっていて、そこがかつてなんだったのかまったく思い出せない。
やはり同級生の実家だったパチンコ店もなくなって、住宅地になっていた。
もちろん駄菓子屋もないし、耳鼻科もない。
これは以前から知っていることだけど、自分の卒業した中学校は統廃合によってなくなり、跡地は分譲住宅となっている。
「本当に卒業したのかな」とさえ疑わしく感じる。当然、中学時代によく立ち寄ったパン屋もない。
一方で、公園やゴルフ場(打ちっぱなし)など、けっこう残っているものも多く、小学校も当時の規模のまま残っている。
この町にはまだ多くの知り合いがいるけれど、そもそも疎遠になって久しく、東京での生活の方が長くなってしまっている。
そのため、自分の記憶そのものが、怪しくなっている気もするけれど、ストリートビューで確かめると、そうでもなかった。つまり案外、覚えているものである。
変わる方がいいと口では言う
私自身は、「変わる方がいい」と考える方である。どんどん変わっていけばいい。無責任だけど。変わらないよりは変わった方がいいと思っている。
ただ、最近、老いた父(94歳)が、スマホをほとんど操作できない、食洗機もうまく扱えない、電子レンジさえもすぐには時間設定のやり方を思い出せないといった状況を見ていると、変わらないことの方がいい場合もあると感じることも出て来た。
スマホはアップデートをするたびに、操作性に変化が生じる。戸惑う。この頃は大きな変化はない「X」だけど、これも「いいね」の場所が変わるなど、操作性がたびたび変化してしまう。自分でもそれはまいったな、と思うことがゼロではない。
父だって、かつては常に新車に乗っていた。新しい機械は好きだった。それが年齢を重ねるとそうでもなくなっていく。恐らく日本もでもっとも長くMDを使い続けていた人だと思うし、いまもICレコーダーは活用している(カラオケの練習用なのだが)。そうした装置は使えるのに、スマホは歯が立たない。
PCのキーボードでローマ字入力することに特化してしてしまった私は、スマホのフリック入力は苦手である。とても遅い。スマホでもPCのようなキーボードで入力は可能だけど、小さいからそれもなかなかしんどい。
変化を手放しで肯定できていた自分は、もうここにはいない。