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345 チャリティー

最初は素朴でも

 昨日まで例の24時間やるチャリティー番組があった。台風の影響もあっただろうけれど、無事にやり遂げたらしい。らしい、というのは見ていないからだが、チャンネルを変えるたびに、チラチラを見てしまう。やす子が走っている。MISIAがいたり、YOSHIKIがいたり(どっちもアルファベットだな)。海砂利水魚だった人がいたり。年を取ったね。地毛なのかな。あ、けっこう見ちゃってる。
 そしてnoteでこの記事を読んだ。

 そうそう、最初はニッポン放送の萩本欽一のラジオ番組からはじまった。確か当時、アメリカではテレビでチャリティー番組があって、そこにはチャリティーだからこそ登場してくれる俳優らがいたりして賑わっていたのだ。私が80年代にアメリカへ行ったときも、延々、チャリティーをやっているチャンネルがあった。司会者がいて「誰か来て!」みたいにダラダラやっている。印象ではすでに廃れかけていた。70年代はそれが盛り上がったのだろう。
 目的は寄付金を集めることだ。しかし、日本の放送関係者は、むしろ「チャリティーだったら出てくれるかもしれない大物」に目を向けた。通常ならギャラをいくら出しても出てくれない人たちが、チャリティーなら出てくれるかもしれない。少なくとも、アメリカではそうだった。当時、テレビに映画俳優は出ない。出たがらない。それを引っ張り出して歌まで歌わせる。しかもカウンターで見る見る寄付金が増えていく。
 これって、すごくアメリカな感覚なんだなあ、と思った。
 しかし日本ではもちろん文化が違うので、そうはいかない。
 欽ちゃんのラジオも、かなり苦労していて、まさか翌年もやるとは、という感じだった。いやその後、毎年のようにやる。ゲストが来てくれる。ニニ・ロッソがトランペットを吹いてくれる。クロード・チアリがやってくる、みたいな。そして応援に行くファンたち。有楽町のニッポン放送へ募金を持って行くんだ、みたいなノリがあった。
 ラジオを聴いている側は、通常の番組を吹っ飛ばして、次になにが起こるかわからないスリルを同時体験していた。チャリティーはその得がたい体験のお礼みたいに感じていた。

日本では慈善活動は地味にやる

 日本の慈善活動は地味だ。というか、地味にやるのが流儀だった。アメリカでは地味にやるわけにはいかない理由がいくつかあった。主催する側の団体の名前を売りたい。そうした活動をしていることをみんなに知ってもらいたい。寄付金額はパワーだ。たくさん集められる団体は政治的にも力を得られる。寄付する側にしても、税金逃れだけではなく、ちゃんと活動としてやっていることを示さないといけない。コソコソやったらむしろヤバイ。
 日本は寄付する側は、売名と思われたくない。寄付控除は大して大きくないのでそれでとやかく言われたくない。財団があればそっちでやるから、別に名を売る必要もない。粛々とやればいい。寄付金を政治的パワーとして使うことはほぼない。
 何年経っても、この文化の違いはそのまま平行線を辿っている。アメリカは大統領選さえも寄付金の額で決まるのである。日本とは大違いだ。
 おまけに当初こそ、大物が登場するワクワク感もあっただろうけれど、何年もやっている間に見ている側は麻痺する。あるときマラソンに着目し、「誰が走るのか」へと興味を移してしまった。そもそもチャリティーだからマラソンだけを目立たさせる必要はまったくない。当初こそ、その苛酷さに人々は注目しないわけにはいかなかった。「ゴールできるのか」の一点だけである。これはもう、チャリティーどうでもよくなるよね、と思ってしまう。
 せっかくいい部分もあるのに(あると信じている、見ていないのでわからないけど)、いろいろ積み重ねていくとムリにムリが重なってしまう。そもそも全国ネットを生かそうとか、ご当地のなにかを絡めようとか、もうそれはやりすぎの極みだろう。
 クリスマスの夜、ロウソクを灯すようなラジオから聞こえてきた微かな驚きとワクワクは、もう戻ってこない。

終わらせるのが嫌でちびちびやっているわけではない。


 



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