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349 写真嫌い

ふと夜中に思う

 父(95歳)、母(90歳)。いまのところ自分のことは自分で出来る。だから自分たちで暮らしている。とはいえ、さすがにこの酷暑もあって、衰えは隠せない。
 いずれ、この二人とはお別れをしなければならない。いや、自分が先にならないようにしなくてはならないけれど。
 ふと夜中に、「遺影はどうしよう」と思う。先日など、誰かわからないけれど葬儀の夢まで見た。そもそも「遺影」っていつからの習慣なのか。わからないけど。あれは必須なのか。それもわからないけど。
 二人とも写真嫌いなので、いい時の写真がないのである。かろうじて手元にカラーの写真が一枚ある。家族の集合写真だから、とても小さい。これじゃあなあ、とか思う。
 あれだけ写真嫌いだったのに、定期的に訪問してくれる若い医者が「お誕生日だから撮りましょう」と、医者とツーショットの写真を撮っている。ただそれはあまりにもよくなく(髪ボサボサ、表情暗い、全体暗い)、とても使えない。
 ひるがえって自分の遺影はあるのかと問われると、確かに自分もない。ろくな写真はないのである。あれって、みんなちゃんと撮っているのかな。
 おっと、そうだ。こちらも家族写真で撮ったのがある。これはちゃんと写真館でプロに撮ってもらったやつだから。これでいいや。
 この写真館もなくなってしまった。あっという間に町は変わってしまう。
 こういう記事があった。

 というか、たとえば遺影とか葬儀とかネットで検索をかけると、もう、あらゆるとこに「家族葬」のCMが入ってくるんだけど。これもご時世か。
 ただ参考までに家族葬の広告サイトに行ってみると、家族葬でもけっこう費用がかかるよね。
 そもそもオプションが多すぎて、結局いくらになるの、という気もする。心配していてもしょうがないけど。早割はないだろうね、さすがに。

写真という趣味

 実は、父も私も写真を趣味としていた時期があった。父は多趣味で、自動車、写真、囲碁、謡曲、カラオケ、ほかにもあったかもしれないけれど、そうそう盆栽や園芸もあったし大工仕事も趣味だった。過去形だけど、まだ死んでいない。いまや残された趣味はカラオケ、そしてテレビで囲碁を見る。これは続いている。写真はずいぶん前にやめてしまった。四、五台ほどあったカメラもいまは手元にない。処分してしまったようだ。
 自分も写真は興味を持っていた。中学時代に写真部に入ったら部長ひとりと部員ひとりだけでその部長が辞めてしまったので、顧問と自分だけになり「終了」と写真部は閉鎖となった。二、三度、暗室の経験をさせてもらっただけだ。
 高校時代から山に登るようになってカメラを持ち歩くようになった。小さくて簡単なカメラだ。当時はフィルム。できるだけ小さなカメラを求めて、スパイカメラみたいなやつを使っていた。細長く、横に伸びて撮る。これはとても便利だったがあまり画質はよくなかった。レンズがそもそもダメなのだ。そのほか、フィルムの節約になるのでハーフサイズのカメラも使った。同じフィルムで二倍撮れる。
 出版関係の仕事に入って、最初は業界紙の記者だったのでニコンの一眼レフを使う。それでさんざん、写真を撮った。仕事だから。すべてマニュアルだった。シャッター速度優先、絞り優先はあった。当時のみんなは、よく写真で失敗した。「撮れてない」「こんな表情、載せられない」。人物は難しい。撮り直しに行ったこともある。
 そこにオートフォーカスが登場する。「あー、助かった!」と私はうれしかった。自動でピントが合ってくれるのだから。これもジャカジャカ撮影した。あまり撮ると「現像代がバカにならない」と経理に言われる。会社に現像屋さん(ラボと呼んでいた気がする)が毎日のようにフィルムを受け取りに来る。コダックの保冷バッグに入れていたような気がする。気がするばかりで記憶は曖昧だ。
 そしていま。写真はスマホでしか撮らない。スマホで十分すぎる。世界中、どこへ行っても写真を趣味とする人でいっぱいだ。誰もがスマホを構えている。もはや、写真は「趣味」ではない。人間の日常活動の一環だ。
 古い映画で「私をスキーに連れてって」の中で、「とりあえず」とやたら写真を撮る沖田浩之演じるメカマニアがいた。あの頃には想像もつかなかったことだが、いまや、全世界の人たちがとりあえずスマホで撮影している。もうすぐ写真が発明されて200年になる。全人類が破滅のときに備えて遺影を残しているのかもしれない。

このへんに一匹。向こうに二匹。


 

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