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309 インスピレーション

アイデアよりインスピレーション

 これは言葉の意味から得た感触なのだが、アイデアは比較的、論理的な思考の産物ではないだろうか。というのもアイデアを求められるときはたいがい出口(成果物とか)を想定されているはずなので、そこから逆算する、新しいアプローチを試す、過去の事例にもう一度あたる、といったなにかしら「作業」を通して得られる気がするからだ。
 インスピレーションは、出口をまったく考えることなく、いきなりふわーっと、あるいはズドンとやってくる。アイデアも大切だけど、インスピレーションはもっと大事。なぜなら、インスピレーションこそは最初から自分の力を発揮するための動機を備えているからだ。
 アイデアは理詰めで考えがちで「どうせこんなアイデアは上に潰される」とか「予算を考えるとこのアイデアは使えない」といった理性と共にある。
 しかしインスピレーションは強烈な自我とともにやってくるから、「なにがなんでもこれをやってみたい!」「試して見たい!」「失敗してもいい!」といった感じになりやすい。あくまで個人の感想だけど。
 アイデアを生み出すための方法については、さまざまな本がありそう。仕事柄、ハウツーとして確立している人も大勢いることだろう。
 だけどインスピレーションはそうそう簡単に得られない。これは言い方の問題かもしれないけど、「これだ!」と直感的に選択できる「なにか」は理屈じゃないだけに、どういう条件によって得られるのか、わからない。
 人と話しているときにパッと閃くこともあるだろう。辛いものを食べると得られるかもしれない。夢の中とか。あと、私は道具から得られるような気がしてならない。

道具とインスピレーション

 たとえば、ヒットを飛ばしたアーティストたちは、ほぼ例外なく道具にこだわりはじめる。有名なギタリストは何十、あるいは何百ものギターをコレクションしたがる。ボーカリストはマイクにこだわる。バイオリンやサックスだってそうだろう。これはすべてインスピレーションのためではないか、と私は思っている。
 文章を書くにあたって、紙と鉛筆がいいとか、たまに筆を使ってみるとか、PCでやったり、スマホでやったり。かつて、私自身、ワープロとPCのいわゆるローマ字変換のキーボードを得たことは、人生にとって(大げさじゃなく)とても大きなことだった。もしワープロがなかったら、PCがなかったら、こうして毎日noteを書くこともなかっただろう。
 それは書くための道具と自分の関係性によって生じている。道具は道具だから、その性能以上のものは発揮しない。ただ人間はそこに感情を通わせるようになり、自分の指先から文章を生み出す快楽を覚えてしまうと、もうやめられない。
 おそらくギタリストも「新しい曲」を生み出すために、特別なギターを弾いてみることで得られる「なにか」を大切にしているのではないか。
 スマホでXを眺めているとき。あるいはnoteをいろいろ読んでいるとき。ふとやってくるインスピレーションは、そのままスマホでメモすることができる。そのメモをPCで開いてみると、ずいぶん違って見える。それがまたおもしろい。
 ブラインドタッチでPCのキーボードを打つのと、スマホであまり慣れていない入力をするときでは感覚はかなり違う。
 ちなみに、いま絵については毎日少しでも描くようにしているのだが、いまのところはメディバンの機能、ペンの操作に慣れることを主目的にしている。だからあえて「描きたい題材」をムリに探すことなく、自分の撮った写真を題材に描いている。これがかなりこなせるようになったら、いずれは自分のオリジナル発想による絵を描きたくなるに違いない。そうなるとインスピレーションを必要とすることだろうし、たぶんそれで苦しむことになるだろう。
 そのとき、メディバンは文章におけるPCやスマホのような作用を、私にもたらしてくれるのではないかと思っている。違っているかもしれないけど。だったら別の道具を使いはじめるだろう。
 文章で人生の大半を生きてきた人間としては、いつか絵でそんな楽しい状況になったらいいなと夢を見ている。

マンションは7階部分に取りかかる。


 
 
 

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