316 根無し草
夏、お盆、故郷
昨日、この記事を読ませてもらった。
神野さんは、熱心にいろいろな記事を紹介してくれていて、こちらとしては楽しみのひとつになっている。
そして今回は、故郷を思うこと。その距離感についてだった。
もちろん、これは、神野さんが言うように、これがあっての話だ。
そして、近くから思うか、遠くから思うか、といった視点と気持ちの話になっていく。
この時期、夏休み、お盆といった話で浮かぶのは「故郷」なのだろう。7月のお盆の地域、8月のお盆の地域と別れているようだが、どうもお盆と言えば8月のイメージが強いようだ。8月はお盆、そして敗戦記念の日。終戦とは言いにくい。映画「ゴジラ-1.0」やいまの朝ドラ「虎と翼」でもそのあたりの事情を比較的、近年のドラマとしてはきちんと描いていたと思う。
こうした時期に、多くの人は故郷を思うのだろう。帰る帰らないはともかくとして。
私はその点、故郷がない。根無し草だ。こういうときに思うべき故郷を持たない人間は、どれぐらいいるのかわからないけれど、少なくとも私は生まれ育った横浜の住宅地を、故郷のように思うことはない。
すでに東京に住むようになってからの年数の方が、横浜にいた期間より長くなっている。
懐かしさを感じる土地はいくつかあるけれど、故郷とは違う。自分のルーツのような世界は、私なりに持っているものの、お盆の季節にことさら思うわけではない。
私の祖先は関西にあり、その墓参りをした記憶はほとんどない。何回かはあるはずだ。残念なことに幼かったので明瞭な記憶ではない。父母は横浜に長く住み、その間に比較的近いところに墓地を購入している。仏様は誰も入っていない。そうこうするうちに父母も東京に引っ越してきてしまったので、いまや「あのお墓、どうしようか」と言っている始末である。そこへ行くにはかなり遠いから、確かに考えなければならない。
どこへ行くのか、いまだ定まらず
だいたい、いま住んでいるところが「終の住処」になるのかもわからない。たぶん、そうはいかない気がする。3LDKのマンションは、子どもがいるときは狭く、いなくなるとそこそこ広い。誰がこれを標準化したのかわからないけど、その中途半端さ。
いまはなき実家は、6LDKだった。二世帯住める間取りだったので、一時、同居していたこともあった。もしあそこに住み続けていたらそこが故郷と感じていただろうか。
そもそもが横浜の中心である横浜駅、桜木町駅、関内駅(あえてJRのみで考えているけれど)のあたりは、私が住んでいた頃から再開発をする一方でどこか懐かしさや歴史を感じる地区だった。いまでもそれなりの愛着は感じている。とはいえ遊びに行く場所だったので、郷愁もほどほどだ。青春の地はどちらかといえば小田急江ノ島線沿線だったから、江ノ島や湘南付近も同じぐらい愛着はあるものの、それ以上ではない。
もしいま住んでいるところから離れることがあったとしても、やはり移る先は都会だろう。私は都会が好きだ。一時、田舎へ行こうかと妻と真剣に話していたものの、結局、諦めた。自分たちは合わない。そう結論づけたのだった。
根無し草なのだからどこへでも行けそうなものだけど、そうもいかないようだ。