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382 不毛な気がするとき
自分の正しさ、相手の間違い
相手と時と場合によって大いに違うだろうと思われる話。
自分の正しさを証明するために時間を費やすべきか、相手の間違いを正すために時間を費やすべきか。
なんとなく、どっちも不毛な気がしてしまうけれど、私たちはときどきこういう現場に直面してしまう。
やっぱり、自分の正しさをなんとかして立証したい。立証できれば堂々と主張できる。堂々と主張できればおそらく完全に理解されるはずだ、といった願望である。
あるいは、相手の間違いを正してあげなければならない。相手を救うのだ。それは社会のために大切なことだし、自分にとっても大事なことなのだ、といった思考である。
さて、こう書いてみて、やっぱりどっちも不毛な気がしてしまうのはなぜなのか。同じことを繰り返しているからか? 確かにわざと、私はこの文章を繰り返している。まさに不毛中の不毛ってことだけど。
これは、どっちもたぶん「正義」の話につながっている。
自分に正義があるから自分の正しさを証明する。それが俺の人生だ、というわけだ。あるいは自分に正義があるので、相手の間違いを正してあげなければならない。それが俺の人生だ、というわけだ。
ほらね、やっぱりまたなにか繰り返している感がするよね。不毛感が漂っていく。
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