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126 美術を知らずに生きてきた

新しい美術の教科書

 雑誌『芸術新潮 2月号』を購入した。会田誠による「新しい美術の教科書」が掲載されているからだ。
 そして、ふと思う。
 そもそも、古い美術の教科書もろくに読んでいない、と。恐ろしいことに、大して美術を知らずにここまで生きてきてしまった。いや、自分が美術についてなにも知らないことに、いままでぜんぜん気づかず、しかも「知った風」な感じで生きてきてしまった。
 美術館には行ったことがある。美術展にも行った。雑誌編集時には、大して知りもしないくせに、イラストレーターやカメラマン、デザイナーに文句をつけていた。
 一方、写真が好きで、写真集を購入していた時期もあれば、自ら写真を撮りまくっていた時期もあった。先日、そのネガやポジが大量に出てきて、全部いっぺんに捨ててしまおうかと思ったのに、「いや、待てよ」と見始めたらあっという間に数日経ってしまうのだった。大した写真は残っていないけれど、自分のものだから、少し愛着があるんだね。
 それでも、いまの自分から見れば、どの写真にも文句がつけたくなった。「もうちょっと引けよ」とか「もう一歩、近づいてくれよ」と言いたい。いまさらだけど。

もうちょっと、いい感じで撮りたかった

いたずら書き

 実は、2年ほど前に、どういうわけか「そうだ、絵を描こう」と思いついた。自分に絵の才能があったなんて、自分自身でも聞いたこともないし、過去に絵を学んだり描いた記憶がないのである。せいぜい小学校と中学校でそれらしい学習時間はあったと思うけれど、以前に書いたかもしれないが、特別に上手い絵を描いた記憶がまるでないし、褒められたこともなかった。
 子どもの頃は、「いたずら書き」をするものである。たぶん、それはしていた。鉄腕アトムや鉄人28号を真似て描くことはあっても、「エイトマン」は難しい。「スーパージェッター」はよく描いたと思う。「原子力潜水艦シービュー号」「サンダーバード」も描いただろう。どれも、メカばかりで人物を描いてない。
 それきりである。
 スケッチブック、色鉛筆と黒鉛筆のセット、さらにマーカーや、水彩っぽいタッチのペンもいまは、手元にある。この2年ほど、ある。
 さらに、PCにはメディバンが入っていて、ワコムの小型のタブレットもある。
「やっぱり、なんでも基礎からやらないとな」と気持ちでは思っても、実際にはぜんぜん、やっていない。デッサンの教科書を持っているけど、一度か二度、開いてみたぐらいで、まじめにやっていない。
 そのくせ、竹久夢二がどうとか、印象派がどうとか、パウル・クレーがどうとか、なんか、知った風なことが言えそうな気がしてしまう。だけど、とてもムリだ。美術について語るなんて不可能だ。なんにも知らないことを、いま知ったばかりなのだから。
 それでいて、このnoteには、冒頭に自分で撮った写真を配置してきたし、110回目の記事から自作の絵(らしきもの)を添えるようになってきた。毎日、なにか描いているのだ。スケッチブックの色鉛筆で描く、鉛筆で描く、水彩ペンで描く、メディバンでタブレットで描く、あるいはマウスで描く。そんな感じでやっている。これは明確に言えるが、これは美術ではない。いたずら書きである。だって、いたずら書きしかしてこなかったんだから。
 きっとこれからも、いたずら書きを続けるのだろう。だから、謝っておいた方がいいかもしれない。

どーも、スミマセン




 


 

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