237 政治のことは、話しにくい
社会には問題が多すぎる
政治ってなにか。それは「変えたい」人たちと、「変えたくない」人たちの戦いだ。もし私がなにか世の中を変えたいと思ったとき、自分や仲間たちだけでやれることもあるけれど、いずれ法律の壁にぶつかる。「それは許可できません」「そういうことはしてはいけません」といった社会の反応を乗り越えるために政治をしなければならない。
そして私がなにかを変えたいと思ったとたん、「私は変えたくありません」が登場する。私はてっきり、変えればみんなが喜ぶと思ったのに、その人は「これを変えたらとんでもないことになる」と主張して譲らない。そればかりか、私のことを「あなたたちの本当の狙いはこっちでしょ」などと、思いがけない方向からも非難してくる。
こうして、「変えたい」と「変えたくない」がせめぎ合っていくのが政治だ。
しかも、世の中には、このせめぎ合いの生じる問題であふれている。自分の身の回りだけでもいくつもあるし、一度も訪れたこともない地域ではまた別の問題を生み出しているだろう。国内だけではない。海外からも問題は突きつけられる。
「なるほど、あなたのことを支持したいけれど、こっちの問題についてはどう思うのか?」と問われることになる。その問題は、正直「知ったことじゃない」と言いたいけれど、政治に持ち込んだ以上、そんなふざけたことは言えないので、なにか答えなければならなくなる。
有権者も同様に、自分で判断のつく問題もあれば、まったく想像できない問題もあるので、「変えたい」にも「変えたくない」にも賛同できないままとなってしまう。
もしシンプルに賛否のみで政治を進めることができればいいけれど、世の中はそんなに甘くない。賛成派、反対派、静観派、検討派、そして「どっちでもいい派」がいる。
世界中で学生たちが「これではいけない!」と声を上げて運動を展開していても、「どっちでもいい派」は揺るがない。どっちでもいい、と思ってしまったら、私たちはもうなにも考えなくていいので、楽ちんだから。
こうして、このnoteにおいても、私としては政治の話はしにくいのである。
自分の意見のみ言えばいいのか?
「そんなことはない。言いたいことだけ言えばいい。それがSNSだ」と言う人もいる。「どんな問題にも、それなりに言いたいことぐらいあるだろう。なければひねり出せばいい」と言うかもしれない。
しかし、だ。それもなにか「罠」のような気がしてしまう。好きなことを好きなように述べたとたん、ガチャッと音がして罠にかかる……。そんな気がしてしまう。
政治について、ただ自分の思い込み、あるいは主張のみを述べることで済むのだろうか? 私にはそれがわからない。戸惑うのである。
もちろん、身の回りの話については、一方的に自分の意見のみ書いているとも言えるけれど、こと政治については、それじゃダメな気がしてしまう。
とくに、よくわからず、自分の意見もあまり判然としていない問題については、踏み込めない。踏み込めないどころか、そういう問題に関心を寄せていることさえも、世間に告知しない方がいいような気がする。「私は変える派です」、「私は変えない派です」と宣言するよりは、「私はどっちでもいい派です」とつい、言いたくなってしまう。
ところが、世の中ではもっとも軽蔑され非難されるのが「どっちでもいい派」なのだ。かなり多数、存在しているにも関わらず、「どっちでもいいです」は口が裂けても言ってはいけない気がしてしまう。「どっちでもいい」と言ったとたん、すべての権利を失うような気がしてしまう。だから、なんとか考えて、どっちを支持するか決めなければいけなくなる。それが政治なのである。
結果、「私は賛成です(どっちでもいいけど)」と「私は反対です(どっちでもいいけど)」という戦いも始まってしまう。お互いに、本当はどっちでもいいのだけど、そうはいかないので戦うハメになるのだ。「どっちでもいいよな」とお互いに認めれば平和でいられたのに。そういう消極的平和は、恐らく必ず叩かれるだろうけど、消極的でも平和な方が戦うよりよくないか、と思ったとしても、それを政治の世界に持ち込んではいけない。
といったことから、私は政治についてはここではほぼ、語ることはないだろう。もっとも、自分のことになったときは、きっと主張するはずだ。いやたぶん。
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