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昭和のお小遣い稼ぎ

昭和を懐かしむnote へようこそ!昭和時代の良き想い出を掘り起こしてみたいと思い、noteをはじめました。
今回は子供の頃の小遣い稼ぎを懐かしんでみたいと思います。

1リットル瓶を持って行って30円

私がまだ小さかった頃は、コーラやファンタなどのビンを店に返却すると、そのビン代が戻って来た時代でした。確か1リットルの大瓶で30円が戻って来たように記憶しています。(違ったかな?)そのお金をお小遣いとして貰っていました。
何かの手伝いをして5円貰えるだけでも大喜びしていた位ですから、その金額はボーナスの様なもので、それはそれは嬉しいお小遣いでした。

我が家ではコカ・コーラとサイダー、時々ファンタが登場していました。
母親はコーラ以外の炭酸1リットル瓶の事を全て「サイダー」と呼んでおりまして、
スプライトを「緑のサイダー」(中身は透明ですが、ビンが緑色でした)
ファンタオレンジを「黄色のサイダー」
ファンタグレープを「紫のサイダー」
という感じでした。
友達の前でもそうやって呼ぶものですから「サイダー」というあだ名を付けられた時期もあった程です。全然嬉しくないあだ名なんですが、もっとヘンテコなあだ名を付けられた事もありますので、それよりはずっとマシなんです。もっとヘンテコなあだ名についてはまた今度。

刺繡の裏紙を取って1枚1~3円

母親は工業ミシンを使った刺繍の内職をしておりまして、婦人服の生地がいつも山のように積まれていました。生地が撚れるのを防ぐために裏紙というものをあてがった状態で刺繍を入れるのですが、縫い終わった後にその裏紙を剥がす作業がありまして、それを手伝っておりました。これが安かった。
基本1枚1円でしたので200枚やっても200円。今思えば、かなり高度な刺繍でしたので1枚仕上げるのにも相当な労力を要しました。
小生意気にも交渉しましたもんね。これがこうだから3円な?とか言って。これが社会に出てからの営業時代に役に立った、ワケはない。

ぜんまい、わらびの綿(わた)を取って、いくらだったかな~?

ポツンと一軒家の取材に来てもおかしくない程の、とんでもない田舎育ちの両親にとって山菜取りは生活の一部でした。市街地に居を構えた後でも山菜取りは続き、我が家では毎年春になると家族総出で山菜取りに行っておりました。
ぜんまいやわらび、ふき、いたどりなどを大量に収穫して近所の方にお渡ししたりしていました。大人になり、スーパーで買おうとしてビックリしましたよ。めっちゃ高いっ!って。かなりの高級品だったのですね。
でも、コレ、高くて当然なんです。
ご存知の方が少ないと思うのですが、山に生えてる時のぜんまいは、綿(わた)に包まれておりまして、その綿を1本1本とらなければいけないのです。スムーズに取れるものもあれば、細かい所に綿が詰まっていてなかなか取れないものがあったり、力が入ってポキッと折れてしまったりもします。
楽しいけど、面倒くさい。面倒くさいけど、楽しい!
子供のそのへんの、微妙な感情の曖昧さを上手く利用されて手伝わされていた訳ですね。この綿取りでもいくらか貰っていた記憶があるのですが、金額は覚えていないです。

他にも、
仏壇の仏具磨き(ピカールで終わりの見えないやつです)や、
植木の水やりなどでもチマチマと稼いでいましたね。
そのお金を何に使ったのか、それも覚えておりませぬ。。。

・・・ おまけ ・・・
ぜんまいの綿取りの様子の動画がYouTubeにありましたので紹介させていただきます。→ YouTube ぜんまい わた取り


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