学生時代の挫折から鬱病に。救ってくれたのは起業家の活躍だった
■代表取締役社長 畠山和也(はたけやま・かずや)
新規事業に「支援」「実行」「教育」「投資」の4軸で携わる複業家。
「支援」は主に大企業向けに新規事業支援を行い、「実行」は複数のスタートアップに株主・経営陣として参画。「教育」は株式会社BYD内で学生起業家育成講座を講師として運営しており、「投資」はエンジェル投資家として活動中。
新卒で入社したソフトバンクBB以後、リクルート、スターティアラボ、ラクスルと4社の会社を経験を経て2014年に独立。会社員時代から一貫して新規事業に携わる。「当たり前にイノベーションが生まれる世界を作りたい」と2014年に独立。
著書に『17スタートアップ』(早稲田大学出版部、2019年)がある。
「若者が未来に希望を持てる社会をつくる」
ーー本気ファクトリーの事業について教えてください。
畠山:本気ファクトリーは、企業様の新規事業支援や広報支援を行っています。
業種や業態は問わずですが、立ち上げに近い時期の事業の支援をさせていただいています。
また、過去、経験した管轄領域も幅広く、法務や広報、システム開発など、50社以上の経営に様々な形で参画してきましたので、立ち上げ期であればほとんどの課題に対応することが可能だと思っています。
ーー畠山さんは、現在本気ファクトリーで取り組まれている経営・コンサルティング以外にも、教育家・投資家としての顔もありますが、それはなぜでしょうか?
畠山:私は「若者が未来に希望を持てる社会」をつくりたいと考えています。
若者が未来に希望を持てる社会をつくるためには、「若者にとってチャンスの多い社会環境を創り出すこと」、「自ら未来を切り開いていく若者を育てていくこと」が必要だと考えています。
まずは上記2つを達成するために、主に新規事業の分野で「支援」「実行」「教育」「投資」という4つの軸に取り組んでいます。
ーー具体的に、それぞれの分野でどんなことに取り組まれているのでしょうか。
畠山:まず「支援」ですが、新規事業を生み出し続けられる社会作りをサポートするべく、本気ファクトリーで大企業の新規事業開発支援をしています。
次の「実行」としては、複数のスタートアップの役員として事業開発をしています。現在は株式会社BYDの取締役や投資先のスタートアップの株主として、社会に必要な事業創りなどをしています。
次に「教育」。BYDで3rdClassという学生向けのキャリア教育サービスに取り組んでいる他、情報経営イノベーション専門職大学で客員教授として講義を担当しています。学生にキャリアの教育、起業家の教育を行うことで、未来を自らの力で切り開いていく若者を育てていきたいと考えています。
最後が「投資」です。エンジェル投資家として、シードステージのスタートアップ企業にノウハウや資金を提供しています。
学生時代の挫折から、鬱病に。救ってくれたのは起業家の活躍だった
ーー畠山さんはなぜ「若者が未来に希望をもてる社会をつくる」というミッションを掲げていらっしゃるのでしょうか。
畠山:学生時代に経験したことがきっかけとなっています。
私は1981年生まれで、幼い頃はバブルの絶頂期。「日本はこれからまだまだ良くなる」、そう言われていた時代でした。
しかし、1991年にバブルが崩壊。中学生になる頃には、幼い頃に聞かされていた「キラキラした日本」ではありませんでした。高校生のときには、「日本は未来に希望が持てない社会になってきているな」と感じていました。
私は、「未来に希望が持ちにくい状況になってしまった」と感じる一番の原因は「教育」だと考えました。
教育をいいものにしなくては、優秀な人が出てきません。またバブル崩壊後の「失われた10年」のような同じ過ちを繰り返す可能性が高まります。
そこで私は、教育の仕組み自体を変えられる事務次官になろうと決意しました。事務次官になるために、東大合格を目指すようになりました。
当時はまだ高校生で、ハッキリと言語化はできていませんでしたが、この頃にはすでに現在のミッションである「若者が未来に希望を持てる社会をつくりたい」という想いがあったんだと思います。
ーー若者が未来に希望を持てる社会をつくるべく、東大合格を目指して勉学に励まれていたのですね。
畠山:ところが、東大に合格することはできませんでした。
正直、「死ぬほど頑張った」と自分でも言えるほど受験勉強漬けの高校生活でした。それだけに、「どれだけ努力をしても、自分は東大に入れないレベルなんだ」と、自分の限界を感じて絶望しました。
この後の人生で、会社をクビになったり、起業に失敗したりと色々な経験をしますが、一番の挫折を味わったのはこのときです。
その後大学に進学しましたが、この挫折がきっかけで鬱になってしまい、「あと1つでも単位落としたら留年」というところまで落ちこぼれてしまいました。
そんなとき、世間では「ベンチャーブーム」が巻き起こっており、サイバーエージェントの藤田さんをはじめとする起業家が出てきました。
それまで私は、「社会を変えたいのなら官僚になる必要がある」と思っていました。ですが、このベンチャーブームで起業家たちがビジネスで社会を変革していく様を目の当たりにし、「社会はビジネスの世界でも変えられるんだ」と感動したんです。
ビジネスの世界は、官僚に比べると学歴はそこまで必要不可欠なものではありません。
「ビジネスの世界だったら、頑張れば頑張るだけ実力がつき、結果につながるかもしれない」そう思えた私は、再び前を向くことができたのです。
そこからはビジネスの道を志すようになりました。
年商3万円からの再スタート
ーー畠山さんは大学卒業後、ソフトバンクグループに就職されていますよね。
畠山:はい。ソフトバンクBB(当時)という会社に新卒で入社しました。
そして新規事業の立ち上げを経験した後、リクルートへ転職します。
リクルート入社当時は実力が足りず、ボロカスに言われていました。
アポイントへ出かければ必ずクレームをもらってくるような状況だったので、「1アポ1クレームの男」というあだ名がついたほどです(笑)。
最終的には社内MVPなど賞を年間30個ほどいただけるまでに成長することができ、自信がついてきたので一度独立をしました。
ところが見事に失敗し、年商3万円で終わりました。事業をたたんだあとの総資産は、3,000円。私の二度目の挫折です。
ーーその後は再び会社員としてキャリアを再スタートさせたのですよね。
畠山:はい。スターティアラボで約3年間、ラクスルで半年間働きました。
一度起業で失敗したこともあり、「どうやったら会社に貢献できるのか?」「顧客の満足度を上げるためにはどうすれば良いのか?」「どうすれば売り上げを更に上げる仕組みが作れるか?」などとにかく成果を出すために頭と体をフル稼働させ、再度起業しました。
ーー再度起業しようと思ったのはなぜですか?
畠山:「若者が未来に希望を持てる社会」をつくりたいからです。
一度目の起業との違いでいうと、新規事業を成功させるための法則をある程度理解できたことも大きかったですね。
ソフトバンク、リクルート、1度目の起業、スターティアラボ、ラクスル……とこれまでのキャリアを通して、新規事業開発における失敗パターン、成功パターンをたくさん見ることができました。
自分自身が実際にチャレンジして経験したからこそ、新規事業立ち上げのリアルが自分の中に蓄積されていきました。
また、これまでの私の仕事に対する姿勢や実績、考え方を信頼してくださった方から、新規事業開発に関するご相談を受ける機会が増えていたことも大きいです。
私を信頼して任せてくださる方たちの期待に応えていきたい、いや、期待を超える事をし続けていこう、と起業を決意しました。
ーー畠山さんの原動力は、昔から変わらず「若者が未来に希望を持てる社会をつくる」という想いによるものなのですね。
畠山:はい。若者には、無限の可能性が広がっていると思っています。
私は、今でこそ周りの方から「成功している」と言っていただくことが増えましたが、今回お話した通り、実際は思い通りにいかない事の方が多い人生でした。正直大変でしたし、何度「人生終わった」と思ったか分かりません。
ただ、たくさんの失敗と挫折を繰り返す中で学んだことは、「本人の心が死んでいない限り、人生は何度でもやり直すことができる」ということ。
世の中は常に変化していきます。1つの思考にとらわれてはいけません。
これまでの経験から私が思うのは、重要なことは、失敗しないことではないと思います。それよりも、失敗しても何度でも立ち上がり、チャレンジを続ける中で、最適解を見つけていく力。
だからこそ、若者が希望を持って、多くのことにチャレンジできる社会づくりをしていきたいと考えています。
これからも「若者が未来に希望を持てる社会をつくる」というミッションを実現するために、本気ファクトリーをはじめとする事業に取り組みながら、私自身もチャレンジし続けたいと思っています。