「危ないから!」はずるい大人が使う「魔法のフレーズ」
大人が子どもに向かってよく言う言葉、「危ないから」。
自分が子どもだった頃、この言葉に対しては疑問と反発しかなかった。「本当に危ないの?」と。いや、ほとんどのケースは危なくないことを分かっていた。
大人は、子どもの行動を規制したいときに「危ないから!」とのフレーズをよく使う。本当に危ないときにも使われるが、そうでないときの方が圧倒的に多いように感じる。
車が全くいなくても、道で子どもが走ると、多くの母親は「危ないから走らない!」と言う。
「〜しない!」との言い方も、日本語としてどうなのかという意味で気に入らないが一旦置いておいて、「危ない」の一言で子どもの行動を規制することが気に入らない。子どもはそうしたいのだ!その経験をしたいのだ!
「危ないから!」とのフレーズは、子どもがそのことをすべきでない理由を論理的に説明できない大人が、単に自分にとって都合が悪いからやめさせたいだけなのを隠すためのずるい言葉だと思っている。
大人は「危ないから」と言えば子どもは大人しく引き下がると思い込んでいる節がある。便利な「魔法のフレーズ」なのだ。子どもはこの一言を浴びせられるたびに活動エリアや行動パターンを狭められていく。大人は子どもの可能性をどんどん潰しているのだ。
工事現場には「危険⚠️立ち入り禁止🚧」などの看板が掲示されている。
確かに工事中なら危険だが、工事が休みの日であれば危険でないこともある。
立ち入り禁止にしてあるのは、立ち入った人が怪我をするのを心配しているのではなく、そこで怪我をされると管理者の責任問題になるのを避けるためだろう。私有地であれば部外者が立ち入れば不法侵入の罪に問われるのかもしれない。
そうであれば、その通り書けばいいのだ。それなのに、まるで「あなたの安全を考えていますよ」的な文言が押し付けがましくて気に入らない。
親やその他の大人が子どもに対して発する「危ないから!」との言葉は、何がどう危なくて、それをやったらどうなるかを考える機会を子どもから奪い、危険なことを体験する機会も奪い、危険の判断能力に磨きを掛ける機会を奪う愚挙だ。
小学校低学年くらいまでは難しいかもしれないが、少なくともそれ以降は、危ないかどうかの判断を自分でさせてやればいいだろう。死なない程度の怪我であればいい経験だ。
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