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選択的夫婦別姓について

 政権交代が起きるかもしれない状況の中で、選択的夫婦別姓について話題になっているようなので、私の考えを述べておく。

 私は今から27年ほど前、結婚により女性の名字が変わることの問題点を考慮し、入籍をせずに事実婚を選んだ。働く女性にとって、名字が変わることはアイデンティティーの喪失であるだけでなく、仕事で築き上げてきた看板が書き換わることになるので、仕事上の大きなマイナスになる。

 「夫婦同姓は日本の伝統だ」のような意見を見掛けるが、国民全員が名字を持つようになったのは明治から。150年ほど前からのことだ。

 そして夫婦同姓が定められたのは1898年からだ。僅か120年ほどの歴史しかない。

 それ以前は家族の一体感がなかったのだろうか?そしてそれが社会問題になっていたのだろうか?

 夫婦の姓が同じか別かによって家族の一体感が左右されるとは思わない。

 そもそも夫婦同姓の現在でも、日本では離婚する夫婦が全体の1/3もいるのだ。

 すでに、姓以外の理由で、家族の一体感は充分に失われているのではないのか?

 先進国と呼ばれる国々の中で、日本以外に夫婦同性を義務としている国はないと言われている。

 事実婚を選択した私の経験からいって、選択的夫婦別姓に問題があるとは思えない。夫婦の名字が異なることによって問題が起きたことは記憶にない。
 選択的夫婦別姓であるから、同姓にしたければすればいいわけだし。

 私はそれ以前に、今の結婚制度に疑問を感じている。
 これは恐らく国の都合で作られた制度だろう。

 なぜ、結婚制度を作ったのか?国にとって何らかのメリットがあるからだろう。

 調べてみると、「国民の管理のため」がその理由のようだ。

 結婚制度の前提である「家制度」が必要とされた理由は以下の通り。

 家制度が誕生した背景には、1871(明治4)年にできた戸籍制度が関わっています。政府は、税金を集めたり男子を兵隊に取ったりするために国民の状況を把握して管理する必要があり、戸籍制度を整えました。

 「国による管理」以前に、支配のピラミッドの最底辺にある「家」という小さなピラミッドの中に女性と子どもを縛り付け、家長をコントロールすればその下の家族をすべてコントロールできる状態を支配者が望んでいたということだろう。

 この仕組みが明治にできたのがその証拠だ。日本が世界の支配者の配下に組み込まれたのが明治以降なのだから。

 一方の国民にとって、メリットは、夫婦の片方が働いていない時に、働いている方の扶養に入り、手当や年金をもらえることがある。しかし共働きの場合にそのメリットはない。片方の名字を変えなければいけないデメリットだけを引き受けることになる。私が入籍しなかった理由の一つはこれだ。入籍するメリットがなかったのだ。


 本来、子どもは誰と誰の間の子どもであるかは大事なことではなく、それよりも、すべての子どもが温かく穏やかな環境の中で伸び伸びと幸せに育つことの方が大事だろう。
 私は、生まれた子どもは社会全体で育てればいいと思っている。多くの大人が関わることで、虐待は起きにくくなるし、経済的に苦しいから子どもを作れないということも起きないはずだ。少子化の解消になる。

 結婚に代わる新しい形、制度などの具体的な案は持っていないが、動物界が制度なしに成り立っているのだから、人間界だってどうにでもなるはずだ。支配者の都合を考えなければ。

 支配者は恐らく結婚制度の廃止には反対するだろう。管理する側としては極めて不都合そうだから。

 話が若干逸れたが、結婚制度自体に疑問を感じているので、夫婦が同姓であるかどうかなどどうでもいい話だと思っている。どうでもいいことなので、本人たちの希望に任せればいいだろう。
家族の姓を揃えたければ同姓にすればいいし、女性(あるいは男性)の仕事上の都合を重視するのであれば別姓にすればいい。


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