電車の隣の席で試験勉強をしている学生を見て思ったこと
我々は義務教育の9年間と高校、大学を通して、勉強を強要されてきた。
学校の勉強をすることがいいこととされ、自分のやりたいことをやるのは学校の宿題、試験勉強の後にすべきだと繰り返し言われてきた。
やりたくもないのに、宿題をしなかったときや成績が悪かったときの先生や親からの圧力に負けて、宿題をやり、嫌々知識を頭に詰め込む。試験が終わったらすぐにこぼれ落ちるものであろうとも。
「やりたいと思ったことをすぐにやる」ことを抑制され続けるうちに、「やりたい!」との思いに気付くことさえ少なくなっていく。「やりたい」と思っても叶わなければ、その感覚にどんどん鈍感になって行くのは当然のことだろう。
こうして自分のやりたいことがどんどん見えなくなり、やりたいことがないからとりあえず勉強をして少しでもいい学校、いい会社に入ることをとりあえずの目標とする。その方がいい人生が待っていると親からも先生からも社会からも言われているからだ。
学校というシステムと、それを肯定する社会、親が、子どもの無限の可能性を、時間を掛けて徐々に潰して行く。そして、魅力のない大人とつまらない人生を大量生産していく。
逆に、やりたいことを即座にやるようにしていれば、「やりたい」という閃き、天からの声にどんどん敏感になり、その子の本来やるべきことをやって、才能がどんどん開花していくことだろう。
子どもが子どもらしくあり続けるため、人間が自由で最大の能力を発揮するためには、今の学校というシステムを根本から作り直す必要がある。
「改革」で済むレベルではないので、一旦ゼロにして、一から作り直す必要があるだろう。
私も子どもたちのための理想的な居場所作りに参加する予定だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?