第二次世界大戦の真相について〜ナチスを作ったのは誰なのか?
私の信頼するオーストリア在住の著述家、佐藤シューちひろさんが第二次世界大戦の真相について書いて下さっています!
2020年にロシアが機密解除した内容について、プーチン大統領が書いている記事もご紹介します。
「ヒトラーは英国スパイだった!(上巻)」(グレッグ・ハレット&スパイマスター著)の序文によれば、
「歴史の記録はいつも2つある。世間一般向けに1つと、30、50、100年あるいはそれ以上秘密裏に保管された真の記録だ」
「歴史書の95%、情報の3分の2は誤っている。
世間一般が受け入れている歴史はナンセンスだ」
とのことで、私の認識以上に歴史は嘘に満ちているようです!
以下、ちひろさんの記事の転載です。
【ナチを作ったのは誰なのか?】
第二次世界大戦は、ロシアにとってはナチとの戦いだった。そのことが忘れられているのは、危険な傾向だと、ロシア政府は繰り返し言っている。イギリスやフランス、ドイツやアメリカにとって、第二次世界大戦は植民地争いだった。アフリカやアラブ、アジアの植民地で、領土争いが繰り広げられていた。しかしロシアは、アフリカにもアラブにもアジアにも、植民地というものを持っていない。ヨーロッパ諸国が植民地争いをしている中で、そんなものを持とうともしていなかった。ロシアはすでに広大な領土を持つ大国だったから、国外に領土を広げる必要はなかったのだ。
しかし私たちは、ソ連もまた他のヨーロッパの国々のように、領土争いで戦っていたのだと思っていることが多い。スターリンは独裁者で、当時のロシア人たちは、共産主義の理想に洗脳されて、東欧へ攻めてきて、残虐な行為を行っていたのだというようなイメージを持っている。だから、ロシアの政治家たちが、ソ連はナチス・ドイツと戦うために、とてつもない犠牲を払ったのだと言っているのを聞くと、何だか不思議な思いがするのだ。私たちが普通に聞いている歴史と、彼らが語っている歴史が、まるきり違うもののように思える。
ロシアでは、第二次世界大戦とは言わず、大祖国戦争と言う。ロシアは、ナチが攻めてきたから、国を守るために戦っていたので、それ以外の野心があったわけではなかった。祖国を守るための戦争だから、大祖国戦争だ。ロシアにとっては、第二次世界大戦はそれ以外のものではなかった。その戦勝記念日が毎年5月9日にあって、ロシアのあらゆる都市で、人々がその戦争で戦った家族の写真を掲げてパレードする。その行事を「不滅の連帯」と呼んでいる。それは、戦勝記念という言葉から連想するようなものとは、まったく違うものだ。
普通、戦勝記念と言ったら、戦車が出て、制服を着た軍隊が行進して、軍楽隊の音楽とか、政治家のスピーチとか、敬礼とかそういう感じのものを考える。そういうパレードもあるけれど、しかし何よりも「不滅の連帯」のパレードが、ロシアの戦勝記念日の中で最も大きな重要なものらしい。モスクワでもサンクトペテルブルクでも、大通りを埋め尽くす人々が、延々と写真を掲げて歩いていく。何百万人の人が参加しているのかわからない。そこには、軍国主義的なものも敵対意識みたいなものもまったく感じられない。犠牲者意識のようなものでもない。愛国心というようなものでさえなく、愛郷心としか言いようのないものだ。粛々とした平和の祈りと、それを守り抜いた人々への感謝と誇り。そうとしか言いようのないような雰囲気がある。
その映像を見ていると、普通に聞いているような独裁的な国だとか残虐な民族だとかいうイメージとは、まるで結びつかない。ただただナチの暴虐から人々を守り、平和な国を取り戻すために、命を賭けて戦った人たちの子孫なのだろうという風にしか思えない。
西側メディアでは、ロシアの戦勝記念のニュースでは、この不滅の連帯の映像はほとんど見せていないようだ。戦車のパレードだとか、軍隊の行進だとかが出てきて、プーチン大統領が権力に利用しているというようなことを言っている。それだけ見たら、やっぱりロシアは独裁者スターリンの国だとか思うのかもしれない。そのような印象を与えようとして、不自然な歩き方をする軍隊の行進みたいなものばかり見せるのだ。だけど、不滅の連帯の映像はほとんど出さない。あの映像は、ロシアにとって第二次世界大戦に勝つということが、権力や支配欲のようなものとはまったく関係のない何かだったことを、否応もなく示してしまうからなのだと思う。
ウクライナの内戦にロシアが軍事介入を始めてから、西側メディアがまったく事実とは正反対の報道をするということがよくわかった。ロシア軍が市街を爆撃したり、市民を虐殺しているとメディアでは報道し続けていたけれど、実際にドンバスの市民を攻撃していたのはウクライナ軍だった。それを見ていたから、第二次世界大戦のことでも、まったく逆のことを報道していたとしても不思議はない。アメリカ中央情報局は、仮想敵国を恐ろしい国であるような印象を与えるための印象操作も戦略として行っていて、そのためのいくつかのNGOが、ロシアや中国が民族を弾圧しているというようなデマを意図的に流していたりもする。
ソ連がポーランドに侵攻したから第二次世界大戦が始まったとか、ウクライナやポーランドで虐殺を行っていたとか、そういうことが言われていたけれど、それも調べてみたら、違う話だった。ウクライナやポーランドでの虐殺というのは、ソ連軍ではなくて、ナチの占領下でナチ化したウクライナ人のSS部隊が行ったことだった。そして、ポーランド侵攻というのは、ポーランドと軍事同盟を結んでいたイギリスとフランスが、ナチス・ドイツが侵攻していくのを一向に妨げようとしないでいたからだった。このまま放っておいたら、ナチと国境を接することになってしまう。それで、やむを得ずポーランドを占領したということだった。どうも今回のドンバスの話と似たような話だ。
第二次世界大戦がどのように始まったのかについても、隠されていたことがたくさんあった。外交上の理由から、ロシアは第二次世界大戦についての多くの資料を機密扱いにしてきた。しかし今、次の大戦を防ぐために、真実を公開するべきだという考えから、機密解除して、資料を公開し始めている。そうした資料から、プーチン大統領が2020年に第二次世界大戦について記事を書いていた。それは、第二次世界大戦がどのように起こったのかについて、本当に起こったことを明かしている記事なのだけれど、その内容は驚くべきものだ。
内容は驚くべきものなのだけれど、しかしそれを知ることで、あの戦勝記念日の粛々とした行列の理由が完全に理解できる。その内容は、あの行列の伝える歴史の重さと、まったく一致するのだ。この人たちの祖先が、一体どれだけのことを経験したのか、一体どれだけのことを成し遂げたのか、そのことがよくわかる。それがわかってこそ、あの誇り高く、愛に満ちた粛々とした行列の意味を、本当に理解できるように思うのだ。
ナチスは、ドイツにソ連を攻撃させるために、イギリスが手を回して作ったというような話は、これまでにもあった。洗脳法を研究していたタビストック心理研究所が関わっているという話もあった。ロシアが持っている資料からプーチン大統領が書いた論文は、そうしたことを裏づけるようなものだった。まず、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約が、ドイツ経済を破壊し、国境についてあとあとまで摩擦が生じるようにできていて、まるで次の大戦を用意するための時限爆弾のようなものだった。イギリスとフランスが、ドイツを追い詰めて軍国主義化させるためにやったと言ってもいいようなものだったのだ。しかもその上、イギリス、フランス、アメリカが、ドイツの軍事産業に莫大な投資をしていた。ナチス・ドイツは、当時、世界で最高の軍事技術を持っていたというのは、実のところ、そういうことがあったらしい。
それから1938年に、ミュンヘンの国際会談で、チェコ・スロヴァキアが分割されて消滅するという奇妙なできごとがあった。イギリス、フランス、イタリア、ドイツの4ヶ国で話し合って、勝手に分割してしまったのだ。チェコ・スロヴァキアは、ドイツとポーランドとハンガリーの領土になった。チェコは、イギリスとフランスと同盟を結んでいたというのだけれど、チェコの主権を守ろうとはしなかったのだ。ドイツをなだめるためにというようなことだったらしいのだけれど、ソ連を攻撃させる下心があったのなら、むしろドイツを東へ行かせるためだったと考えられる。実際、ドイツはその翌年、さらにポーランドへ侵攻していった。そして、また奇妙なことが起こった。ポーランドもイギリスとフランスと軍事同盟を結んでいたのに、ほとんど介入しないでドイツが侵攻するままにしていたのだ。
軍事同盟を結ぶのも、イギリスやフランスにとっては、騙して破るための策略であるかのようだ。ウクライナのことでも、ミンスク合意でロシア軍を撤退させておいて、ウクライナを軍備増強させていた。あれと同じなのだ。第二次世界大戦の前から、イギリスやフランスは同じ手を使っていたので、ロシアにとっては、新しいことでもなかったのかもしれない。
チェコ・スロヴァキアの分割やポーランド侵攻の頃にも、イギリスとフランスはドイツといろんな秘密会談や密約を交わしていたらしい。ソ連の諜報部もそうした情報を得ていて、それを機密解除したわけだ。
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻してきたので、当時ポーランドだったウクライナ西部まで占領してしまわないうちに、ソ連が占領することになったのだ。国境までナチスに来られては安全が保てないというのもあったし、ナチスの占領の目的が、スラブ人を排除してドイツ人のための土地を増やすというようなことだったから、ウクライナ西部の人たちをナチから守るという意味もあった。ソ連は支配欲に取り憑かれて、領土が欲しくて侵攻したわけではなかったのだ。英米仏が後ろについて、ソ連が侵攻してくるまで、ドイツに挑発させていたようなものだった。
ポーランド侵攻のあとで、ソ連はドイツとの戦争を避けるために、独ソ不可侵条約を結んだ。しかしこれがまた裏切られることになる。英米仏が後ろについているナチス・ドイツは、ソ連領内に侵攻しないつもりなどなかったのだ。バルバロッサ作戦という侵攻計画を進めていて、1941年に当時ソ連領になっていたウクライナ西部に侵攻してきた。独ソ不可侵条約を結んでいたので、ソ連はぎりぎりまで戦いを避けようとしていた。そのため不利な形勢になり、モスクワの手前まで侵攻されてしまうことになった。
ナチス・ドイツの方が、英米仏の支援で最強の軍備を持っていた一方で、戦争を避けようとしてきたソ連は大した準備などしていなかったのだ。住民を東部に避難させ、産業を東部に移転させて、軍備を十分に供給できるまでに時間がかかった。バルバロッサ作戦に応戦する形で開戦してから半年ほどの間に、不可能を可能にするような勢いで産業の移転を成し遂げ、モスクワの手前まで来ていたナチス軍を押し戻すことができた。
ソ連は多民族国家なので、戦争になればすぐに分裂が起きて、崩壊するだろうとドイツは踏んでいたらしい。ところが、分裂しなかったのだ。最初の戦闘となったブレストの砦では、30以上の異なる民族の人たちが、最後まで協力して戦っていたそうだ。
何故、分裂しなかったのだろう? ロシアは多民族国家なのに、民族差別がないと言われている。ロシア帝国の頃から、それぞれの民族にそれぞれの生活スタイルで生きるようにさせるという伝統があり、だからこそあれだけの大国をまとめることができていたのだという。それは、ソ連の時代にも基本的には変わらなかったのだろう。だからこそ、戦争になっても、民族がたがいに分裂して争うという事態にはならず、協力して国を守るということになったのだと思う。
ポーランド侵攻でウクライナを領土に加えたあとに、ラトビア、リトアニア、エストニアを併合したというのだけれど、これは占領したのではなく、それぞれの政権と話し合って合意した上での併合だった。それぞれのあり方で生きていけるのなら、大国の一部になることで、いろいろな利点もある。どの民族にも公正であれば、軍事侵攻する必要などなく、領土は自ずと増えていくことになる。そのようにして多民族国家になっていった国ならば、ナチに侵略されたとなったら、どの民族も協力して、国を守ろうと必死で戦うのにちがいない。ナチは、民族差別を根底としていて、他民族を排除し、あるいは下級民として支配するために侵攻してくるのだから、ロシアの伝統的に多極的なあり方とは真逆のものなのだ。
ソ連は共産国だから、全体主義で自由などなくて、という風に思われているのだけれど、この戦い方を見ていると、どうもそうとばかりも言えないように思える。政府のために強制されて戦っていた人の戦い方ではないように思えるのだ。スターリンの時代には、いろいろ弾圧もあったはずなのだけれど、それでも皆で共に生きているのだという共生感覚のようなものあったのかもしれない。とにかく、ソ連は参戦国の中で飛び抜けて大きな犠牲を払いながらも、決して降伏しないで国を守り抜いたのだ。何百万人もが志願して戦い、市街戦では市民も戦ったそうだ。だからこそ、今でも人々は5月9日に家族の写真を持って何時間も街を練り歩くのだ。
まさにロシアのこの多極的な多民族社会のあり方こそが、イギリスにとって何としてでも倒したいものだったのかもしれない。大英帝国は、まさにその反対を世界中でやってきた。アメリカでもカナダでもオーストラリアでもニュージーランドでも、イギリスは原住民を虐殺して、植民していったのだ。アングロサクソン人を最上級とする階級社会を作り、英語だけが公用語で、イギリスの生活スタイルで生活するのが上級であるということになっている。ナチス・ドイツは、ポーランドやウクライナの人々を虐殺してドイツ人に植民させようとしたけれど、これはもともとドイツのやり方ではない。ヨーロッパはそれまでも国境はずいぶん変わってきたけれど、そこに住む人々を排除したり、文化を強制したりはしていなかった。これは、大英帝国が植民地でやってきたやり方だ。
イギリス人たちが船で世界中を侵略し始めて、大帝国を築いていった頃から、数百年にわたって、世界はピラミッド型階級社会による一極支配の構造を拡大していったのだ。だからこそ、多極的な構造を持つロシアを何とかしてつぶそうとしていたのだろうけれど、その試みは失敗したようだ。その理由は、まさに第二次世界大戦で、最高の軍備を整えながらもソ連を降伏させることができなかったのと同じなのだと思う。多極的な構造で成り立っている社会では、強制されなくても、皆が協力して戦い、守り抜こうとするし、侵略しなくても他の国が加わろうとするからなのだ。(転載は以上)
2020年にプーチン大統領の書いた記事の翻訳は以下。
本当の歴史が次々と明らかにされていきますね!😊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?