
大和神社と桧原神社③
玄賓庵を出て、角を右に曲がってすぐに元伊勢である、桧原(=檜原)神社がありました。
御祭神は天照大神様。
天照大神をお祀りする神社に訪れるのは初めてかもです。
天照様のご神気、いかばかり??





あくまで個人の感想です。
ワタシの感度が低いだけです、ごめんなさい。
まったくどこにもご神気、感じなかったぁぁぁ。
日本の最高神だというのに、天照様とご縁がなさすぎ??
そもそも「元伊勢」ってなんなの?っていう単純な疑問とともにここにやってきました。
そして、ここに来る前に行った大和神社とは、何の知識もなく偶然同じ日に行っただけなんですが、この桧原神社と大和神社は、とあるキーパーソンで深く繋がっていました。
そのキーパーソンとは崇神天皇。
大和神社が祀っている神の一柱である日本大国魂大神は天照大神と共に10代天皇の崇神天皇によって瑞籬宮に祀られていたが、あまりの神威に二柱を自身の住まいのそばに揃って祀ることに不安を覚え、天照大神を笠縫邑、日本大国魂大神を市磯邑に移した。
前者が伊勢神宮、後者が大和神社の始まりと伝えられている。
まず、大和神社の御祭神、日本大国魂大神って誰のこと?
そして、崇神天皇はなぜ二柱を同時に祀ることになったのか?
なぜ祖先である天照大神を、皇居から離すようなことをしたのか?
崇神天皇さ〜日本史の闇!
深堀れば深掘るほど沼っちゃうやつ。
日本皇室のアンタッチャブルゾーンにうっかり手出してもた!
ぺーぺーの素人が調べたなりのことを書きます。
多分色々間違ってます、ごめんなさい。
まず、崇神天皇は、第10代天皇とのことですが、実は初代天皇である「神武天皇」と名前が同じ=同一人物なのでは説。
え?初代と10代が同一人物って、時系列めちゃくちゃやん。
初代神武天皇って、天孫降臨のイワレビコだよね?それが崇神天皇??
年代が全然合ってない!
それに伴い、初代と10代の間の8人は実は日本の歴史を長く見せるために創り上げられた実在しない架空の人物説。
そして、崇神天皇、韓国からやってきた侵略者だった説!
朝鮮半島南部を支配していた東北アジア系の遊牧民族が4世紀から5世紀にかけ、北部九州に侵入して第一次の征服を開始し、その後畿内に進出してヤマト王権を確立したとする説
「明仁天皇が平成13年12月の68歳のお誕生日に際して述べられたおことばに、関連する内容がありましたのであわせてご紹介します。「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」
ものすごい専門的なnoterさんも見つけてしまい、ますます沼る。
ずぶずぶずぶ・・・
崇神天皇のルーツはさておき。
歴史の勝者が語る「正史」、日本書紀に書かれた、史実通りの話をしますと。
第10代崇神天皇が、瑞籬宮に都を移し、統治を始めた5年目に、大和ではかつてない「疫病」が蔓延して、何と人口の半分が死んでしまうという大惨事が起こりました。
さらに翌6年には農民が流離したり、反逆したりで、社会情勢は悪化する一方でした。
当時は、こういう社会情勢の悪化はすべて天皇の統治が悪いせいだとされていて、このとき崇神天皇が打った手が、皇居内で祀ってきた天照大神を、皇女・豊鍬入姫の手によって、皇居の外に出すことだったんだそうな。
日本書紀には「その神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった」とのことですが、それ以前200年間、ずっと皇居で祀られていたご先祖様を、皇居の外に出すとは??
これが「元伊勢」の始まりであり、その後、豊鍬入姫から第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命に代をうつしながら、より良い宮処を求めておよそ90年をかけて各地を旅し、今から約2千年前、天照大御神は、現在の伊勢の地にお鎮まりになったんだそうな。
この間、各地で天照大神をお祀りしていた所を「元伊勢」と呼んでいるんだって。
なるほど、それでもう桧原神社にはご神気なくて当然だったのかも?
ここからは、いろんな人のいろんな説を参考にさせてもらった上で、やはり先ほどのnoterさんの説が一番しっくり来るという直観のもとに、本当の「元伊勢」とはこういうことだったんではないでしょうか?
「神皇紀」によれば、崇神天皇は富士山麓で祭祀されていた三品の神宝を近畿地方に奉遷した事で神々の怒りを買い、祟たたりにあったのです。
この時に、最も毅然きぜんとした態度を取られた富士王朝(瑞穂の国)の皇祖神・天照大御神は、崇神王朝の守護神に祭り上げられることを嫌って笠縫の里を出奔され、京都府福知山市大江町の元伊勢内宮皇大神社を皮切りに各地を巡行され、90年後に伊勢地方にお鎮まりになられました。
富士王朝に祀られていた天照大神の鏡を勝手に近畿地方に持ってきちゃった崇神天皇。そら祟られちゃうわ。
子孫でもない外国人であるお前に祀られたくないわ!と天照大神に逃げられちゃったってこと??
崇神天皇という贈り名は、「神に祟たたられた天皇」という暗号であります!
・・・🤣🤣🤣大 爆 笑!
で。
この時に同時に、天照大神とともに皇居から外に出された神が、日本大国魂大神という神様。
こちらにも自分の皇女である、渟名城入姫をおつけして外に出されたのですが、かわいそうに、渟名城入姫は痩せ細り、髪が抜け落ちてしまい、祭祀の続行が困難になってしまったそうな。
神様にお仕えする皇女とは、清い独身であり、命がけで祭祀を行うそうで、きっと想像もつかないほど大変な孤高のお役目なのでしょう。
この「渟名城入姫は痩せ細り、髪が抜け落ちてしまい・・・」の部分は、崇神天皇が九州征伐に再度乗り出したが失敗した、ということを暗喩しているという説もありました。
崇神、ピーンチ!
疫病治らねぇ、めっちゃやべぇじゃん。
次は占いによって疫病の原因を探ろうと試みます。
すると「大物主神」が神がかりして現れて、疫病は自分が起こした祟りだと言うんだそうです!
え!日本大国魂大神=大物主神ですって。
ということは、崇神天皇は天照大神と大物主神を同時に皇居内に祀っていたということ・・・?
大物主神は、どうやら自分が自分の子孫に祀られていないことが不満だったようで、大物主の言う「わが子」大田田根子と、市磯長尾市なる人物を探しだして祭主として祀るよう命じられ、その通りにすると疫病はあっさり収まってしまったんだそうです。
つまり、崇神天皇は、祀った二柱の神、両方から「お前に祀られるのは嫌だ、正しい子孫に祀らせよ。」とお叱りをうけたわけですよ。
めっちゃ嫌われてるやん、崇神天皇!
しかも、この崇神天皇すら、架空の人物説まで出てきて・・・
もう、沼沼ずぶずぶ、ずぶぶぶぶ・・・
いろんな人が、いろんなことを言っててとても面白いです。
日本では、古事記と日本書紀が正史とされていて、それぞれを編纂した者の思惑、自分の祖先を良く残しておきたい気持ち。
それらが正しい史実を伝えてはいないんだそうな。
今回、偶然にもこの崇神天皇を嫌ってる(笑)ふたつの神社を、たまたま同じ日に参拝することとなり、崇神天皇について、初めてこんなにも学ばせてもらうことができました。
これは、天照大神様のお導きか??
「正しい史実を学びなさい」と言われている気がします。
このシリーズ、実はあとちょっとだけ続きます。
この後、「みんな大好き♡素戔嗚さん」ご神気びんびんの素晴らしい神社をご紹介します。
今日はまたまた長文になってしまったけれど、最後まで読んでくれて本当にありがとうございます♡
ワタシの下手な文章で、意味が伝わってるといいのですが♡