映画『ドヴラートフ』を俯瞰する #3

(この記事は #2 の続きです)

不屈の作家ドヴラートフの誕生

 第2のポイントとして、彼のバックグラウンドについて述べたい。

 本作品の中で多くは語られていないが、簡単に映画の舞台となる1971年までのドヴラートフについて触れておく。
 彼は1941年に第二次大戦の疎開先で誕生し、幼児期からはその後30余年を過ごすことになるレニングラードへと移り住んだ。レニングラード国立大学に入学するが2年ほどで中退し、軍からの召集を受けてコミ共和国で収容所の看守として徴兵される(†1)。本作品で描かれているのは、この兵役の後の時代である。彼は人生の多くを過ごした故郷に戻り、工場新聞の記者として文字の世界に飛び込んだのだった。

 彼の自伝的小説には虚実が入り混じっているというが、『わが家の人々』の内容を額面通りに解釈すると(第5章 マーラおばさん)60年代から創作活動を開始していたことになる[‡1]。
 ちなみに、彼の叔母はソ連時代に名を馳せた編集者として知られ、多くの文人たちと交流を持っていた。映画の中でドヴラートフを陰日向で見守る母・ノーラと、冒頭では「エゴイスト」と罵りながらも次第に自らの考えを改めていく妻・レーナも出版関連の仕事をしており、こうした家族関係も彼の創作活動に大きな影響を与えていたことが自ずとわかる。

 ドヴラートフは名実ともにロシア文学の作家であるが、彼の民族的出自について触れるシーンが幾度か登場する。母はソ連の構成国であったアルメニア系であったが、彼の父はユダヤ系ということもあって、そのルーツのせいで自分の出版がうまく進まないのでは、と思い巡らすシーンが存在する。
 映画の舞台となった70年代初頭は、東西冷戦を象徴するべトナム戦争や、その代理戦争である中東戦争(ソ連はアラブ連合に武器供与している)とも重なる期間である。そのため、親米、かつ、対アラブであったイスラエルやユダヤ系へのまなざしが厳しかったことはこの物語の時代背景として無視することができない要素となっている。
 『(自分の作品を)本にするには作家協会に入る必要があるんです。でも、これまで100回以上投稿しているというのに一度も選ばれない。それはユダヤ人だからかな…』
 ソ連社会の「目に見えない天井」として存在する民族的差別。かつて収容所の看守として経験した社会主義体制の歪さ。一般市民として経験している不条理な日常。そして、徐々に真綿で締め付けられていくような逼塞(ひっぱく)した状況ーー。それらの経験と事物を独特の皮肉やユーモアで受け流しながら、決して筆を折ることを選ばなかった彼の不屈の精神を、この映画の中から見て取ることができるだろう。

#4 へ続く)

脚注:
†1: この頃の経験は『ゾーン(未邦訳)』で触れられている。本作で彼が見る夢のシーンは、この『ゾーン』の世界が投影されている。

参考文献:『わが家の人々 ドヴラートフ家年代記』/ S・ドヴラートフ(著) / 沼野充義(訳)/ 成文社 / 2000 /
— p.63 [‡1]