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『時には懺悔を』打海文三

ネットでこの書名を目にしてハッとした。映画化されるらしい。
打海文三は好きな作家の一人だった、ことを思い出した。
最初に読んだのがこの『時には懺悔を』だった。映画化されるのかと思いながらどんなストーリーだったかを思い出そうとしたが出てこない。本当に好きな作家だったのかと自問して愕然とする。
でもこの作家の本はすべて読んでいたので新作を待つ作家の一人だった。最後の三部作は読みごたえがあったのだが作家の急死で未完となったのが残念だ。
話は『時には懺悔を』だった。図書館で借りだして読み始めるとさっと記憶が蘇ってきた。ただし、特定の場面が蘇ってくるけれど全体のストーリーは荒っぽくしか残っていなかった。2度目あるいは3度目となる今回は丁寧に読んだ。

かつて大手の事務所につとめ独立した同業者の個人営業の探偵が殺されるところから始まる。主人公もやはり独立したベテランの域に達しているが、かつての事務所とは持ちつ持たれつの関係で、新人の、といっても若いわけではないが女性のトレーナーの役を引き受けさせられる。

さて話は重度の障害を持つ子どもの話が中心に置かれる。

ストーリーには触れないが、重度の障害を持って生まれた子ども、その家族、周りに突き付けられる「お前はどうするのだ」ということが主題となる。濃度は違うがそれぞれの家庭の10代半ばの子どもたちを持つ親子の葛藤が立体感を持たせる。
簡単なヒューマニズムでは片づけさせないが、それでも光は見せる読後感だった。
調べてみるとこの作家の46歳の時の作品となる。
東京都その近辺が舞台となる。90年代の話となるとポケベルが主流の時代で公衆電話がまだまだ活躍していた時だ。そういったものもストーリーの中にふんだんに出てくるがなぜか古さを感じさせない。
最後の重要な場面で、「岐阜屋」にキーパーソンが飲んでいて探偵二人が合流するシーンがある。新宿駅のかつてのしょんべん横丁と言われていた一角にある飲み屋だ。ああ、間違いなくその時代私も岐阜屋で時々飲んでいたよと小説に関係ないところで気持ちが持っていかれる。
映画が楽しみだ。

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