工作を眺めて、思い巡らす作家性。
夏工作で思い出したんだけど、インプットとアウトプットの質と量がものをいうゲーム感があって制限時間制約が残酷だなって思う反面、チャンスだなって思う。
先天的な内在するものを吐き出したくて仕方がない衝動という例外を除いては、大抵経験してきた環境や情報の影響が“作りたいイメージ”を構築しがちだし、作るだけの技術は追いつかない場合は具現化とイメージの差異によって緩慢に着地していく。写実的に描こうとしても「上手く描けない!」と言われる類。
技術点の問題は鍛錬的なドリルの課題がファーストステップなのだろうけれど、「何を作っていいか分からない。」が個人的に頗る興味深い。
ググって出てくるような作家性と、ジピって完結してしまう作品性が根付いてしまったら人間性ありきのクリエイティビティは終焉だと思う。
ところで知人との会話の中で「デートに誘う時、いく意味を毎度考えられると萎える。」という話が出てきたのだけれど、これまたなかなかに興味深いなと思った。その子の言う意味という意味の価値が、数値化できてしまう合理性がメインを含めていそうなのでぜひとも合理的な人間生活という声明文を演説して貰いたい。
無駄のない仕事の中で、無駄しかない遊びを積み重ねていきたいものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?