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帰り道に.

茶道の帰りにこれを書いている. 自然言語以外でoutputが追いついているとついつい後回しにしがちだ. そういえば, Kaseiくんとの打ち合わせでinputとoutputのバランスの話をしてたなと思い出した. 

膨大なinputはなくても, AIで物は作れる. それがまた味わい深い生成論な訳だけども, 情報ガチャな喜びとはまた別に体験することでしか味わえない感動があるからダンスは楽しい. ある種の苦痛を伴う先にでしか登れない山があるわけで. それは, 他のどんなアート界隈であっても, それは通づるところだと思う. 

だからこそ, その一方でその“生きる悦び”を置いて生成し続けた生産物をメディアに打つことでインプレッションを稼ぐのがある種の副業として成り立つ気持ち悪さが伝わらないのは後進にとって害悪でしかないと僕は考えてるし, それが淡々と見知らぬ誰かの網膜に映るのを一旦立ち止まれないのだから, 「哀れな人類, 滅びゆく道を自らの手で知能の低下と共に加速させるのはいつの時代も変わらぬものだな」が僕なりの見解である. 

この際はっきり書いておくが, ステートメントも非営利な社会への奉仕もないインフルエンサー嫌悪する. 

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