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「不幸を解消する偶像」という手段や事物を崇拝させるのが変わらない風習なのだろう。

「子ども達の周りには話を聞いてくれる大人がいる。そんな環境って素敵だよね。」とよく言われる。ほんとその通りだと思う。

「でもその大人は誰に話を聞いてもらうんだろう?」から僕の一歩目が始まり、「内で昇華できるか、あるいは外で発散するか。」というエネルギーの蒸発を横目にそうしてまたセルフケアをオブセッションするコンテンツといいマイナスのマーケティングをし始める世間が蠢いているのを感じている。

人が不幸にならないと儲からない商売とやらは、自分が不幸だからやめられない!止まらない!のだろうと最近ようやく分かってきた気がする。

「不幸を解消する偶像」という手段や事物を崇拝させるのが変わらない風習なのだろう。それこそ偶像礼拝ではないか。

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