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居住空間の糠漬けだ. エクメーネ漬けだ.


茶道の帰り道. 夜の新宿をよく撮ってる. 夜の新宿は, 社会性をない割には独自のルールを適応する社会性があって不思議なゲームで学びが深い. どう考えても一列で通ればすれ違って渋滞しない歩道を2列で全力で正面突破しようとしたり, お店の前で身体バリケードを張っていたりと喜劇としては頗る面白い. 

ところで, まだ10代後半のころは反骨心丸出しだったからストリートのグラフィティーが好きだったし(バンクシーが特に.)落書きが劣化して初めて作品になっていく過程が尊かった. その反面, 嫌がらせや自慰行為なものには吐き気がしたけれど. 一方で, 監視と規制でまみれた公共空間の居心地の悪さは日に日に増していった. 

そんな時間を過ごして, 今日ふと歩いている時に考えが改められた. 規制標識そのものが空間の中で本来の意味を置き去りにして段々と味わいを帯びていくではないか?もはや意味不明になって存在すれば, 公共促進を吹っ飛ばしてバグを蓄積するわけのわからなさが新しいアテンションを産み, 意味空間の大海原を展開していく. 


グラフィティーよりグラフィティー化する標記. 

なるほど, これが現代アート, 国土交通芸術かと. 

考えてみればたまに見かける. しかも何がおもしろいかって, ほんとに誰の手にもよらず意図もなくただ経年劣化によってテクスチャーが寂て合理的に作られたはずのものが機能的価値を失いながら風情を加算していく様である.

そうか, 僕は人類の痕跡を見るのが好きなのだけどこれもまた醗酵でないか.よく考えてみれば,例えばもはや営業していない店舗の看板とか好物なのだ. これは味噌だ. 街味噌だ. 居住空間の糠漬けだ. エクメーネ漬けだ. 


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