尊死という言葉を改めて考える.
昨日は親友の娘さんがクマさんを大事にする姿に悶絶して, 今日は幼児さんにダンスを教えたときのお子さんの立ち振る舞い(ポーズ)に驚嘆し, 尊死とやらを2日連続に浴びて明日はもしやハットトリックをかまされそうな予感に身構えている.
小学校低学年でアイドルにハマったせいか, 今思えばオタ活をしたせいなのかあんまり人間には興味がなくなって早20数年の刻はだんだんと環境と道具に興味関心を惹きつけていったのだろう. とはいえ幼い子たちの心に芽生えていく何かに立ち会える瞬間は非常に感慨深いものである.
その人が世界を”何“で構成して”どんな“色メガネで見ているかを見抜くのは小生, この職柄一丁目一番地であるけれども幼い時期に構築されていく模様が垣間見れる機会は命が生まれる瞬間に近しい感動がある. 多分それを僕は尊死と呼んでいるのかも知れない. 生が目の前にある時, 他方その反対側には死があるのか.
なるほど, 我ながら一つ発見だったな.