呟き.
書きたいことが溢れていて, 整理が追いついてないのが現状.
アメリカで起きている情勢を, やっぱりただの関心範囲で眺めることはできないしとはいえ権利を静かに略奪されているような自国のことも重ねてしまう.
いずれデジタルとAIの発達による管理社会が完膚なきまでに作られ(もう今や逃げようがない)優しいディストピアの足音がすぐそこまで迫ってはきているけれど, それ以前に統制され一方的な正義で奪われるている現場が訝しい.
一方で, 今日例えば児童館で思ったことで思わず子どもに口にしてしまったのだけど雨で室内しか遊べない環境下. 自前のゲーム機か, ボール遊びかの2択しかないこの遊びの狭さに気持ち悪さと憤りが湧いてくるわけ. なぜなら選択肢が最初から2つしかないように“思わされている”環境と“気づけない”環境であるから.
恐ろしいのは選択肢を思うことさえままならないこと, 悲しいのは自分はここまでだと決めつけられてしまうこと.
映画のような世界を生きたいと願ってる. だからなおのこと, 変えられると願いmoveできるのは自分が主役で(時に脇役であろうとエクストラであろうと)この脚本を作っているのだという確信.
この確信をどこに置いているかは別だが…
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