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瞳という人類が持っているレンズは最適なカメラだ。
僕は未だに視力が悪い。というより典型的な乱視だ。でもこの乱視だからこそ視える世界があって。
人の目は本当に不思議だ。
可視光の範囲を絶妙なバランスで捉えて美しいと思えるのだから。彩りの美しさを、犬が知ったらどういう反応をするだろうあるいはコウモリはもう波を発さないかもしれない。
視力は生きてゆく上で必需な感度だ。しかし僕にとってそうでもない。
焦点がずれた世界
ピンとの合わない世界の美しさを考える時
通常見えている状態は緊張していると言える。すると、その絶妙なバランスゆえに世界を視覚しているということになるのだがその反対を考えるとバランスが崩れた世界と言えるわけ。現実:外世界の圧力と人間の認識する意識:五感が琴線の境界線を鬩ぎ合い共存している。
即ち、世界をずらして視覚する時、緊張が崩れて見える世界そのものが妖艶となり暈ける。
暈ける憧憬と情景
光が弾けるように、空間の奥行きも時間の振り幅も広げてくれる。そんな世界が好きだ。