星の光はあしたの光――カルタ
硝子のドアを押して外に出れば、火照った身体を夜風が冷やした。瑠璃色にひかる南天は孤独な海のように広く、わたしはしばらくのあいだ、名前もしらない一等星をみつめていた。
カルタは温泉街である。けれど、温泉街、という言葉が、この街にはあまりそぐわない。几帳面に整備された街並みは、なめらかに削られた石と硝子といくつかの間接照明の灯りでできていて、研究都市のような風体だ。
「温泉」ということばが持つ、どこか素朴な、いい意味で鄙びた印象とは違うけれど、この街の独特なつめたさのことがわたしは割と好きだった。身体は熱を帯び、爪先は無機質な大地にやわらかく触れる。わたし自身が、なにか透明なものにうまれ変わっていくような、そんな心地がするのだ。
内湯をたのしんだあと、白いサムエに着替えて、わたしは石づくりのテラスへと足を踏み入れた。
とろりと透き通る薬湯も、さわやかに香るゆず湯も、森を包む深い霧のようなシルク・ソーダの湯も、長旅で硬くとざされたわたしのかかとを蒸したてのお餅のようにやわらかくしてくれた。ぺたぺたとそれを搗きながら薄墨いろの石の上を歩く。夕刻過ぎのテラスはわたしのほかに人の姿もなく、白木のベンチにはいくつかのまるいクッションだけがこぢんまりと収まっている。ひとつを持ち上げて、よいしょとその場に腰をおろした。清潔になった肌に、クッションのやわらかな手触りが心地好い。
白いメッシュのサウナ・バッグには湯冷ましをしながら読むための文庫本が入っていたが、わたしの双眸は引き寄せられるようにまた夕刻の空に見惚れた。ごうと遠くでかすかに風が鳴って、星座線をなぞるように飛行機が飛ぶ。
あの明滅する航行灯にも、几帳面な窓のかたちを浮かび上がらせる街明かりにも、あるいは銀河の果てにも、そこに無数の生活があるということをなんだか不思議に思った。ゆっくりと目を瞑る。身体が夜の温度に馴染んできて、わたしと惑星の境界線は、波に抱かれるように曖昧になっていく。夜が色を深くする。
サンタ・クルスをたずねる旅は、もう随分と長くなった。わたしは時折、生活のことを考える。家族がいた頃の生活。旅に出るまえの生活。これからさきの、未来の生活。そのすべてが瞼の裏で、星のように燃えている。瞬いては消えていく。
旅は、生活とは相反するもので、だからわたしはいま生活から逃げているのかもしれない。逃避行の果てに、さいごに辿り着く場所が、きっと、わたしのサンタ・クルスだ。そんな消極的でうしろめたい旅を、それでも、わたしはめいっぱい楽しみたかった。街を愛して、人を愛して、おいしい食べ物と、すてきな本をいくつだって見つけたかった。
考えるとすこしさみしくなって、鼻の奥がつんと痛くなる。薄く息を吐いて、目をひらいた。柄でもないのに、こんな感傷に浸ってしまうのも、きっとカルタの空がきれいだからだ。透明でつめたい街明かりのひとつになって、わたしも、何光年も遠く離れただれかのまなざしに融けていくのだ。そんな宇宙を空想して、気持ちも透明になる。
また夜の空気を吸い込めば、つんとしていた肺の奥の奥まで、温泉のやわらかな匂いが満ちていった。湯冷ましを終えたら、また内湯に戻ろう。ゆず湯のつぎは、マルメロの湯に浸かろう。瑞々しい香りが肺に満ちたら、つめたい紅茶を飲んで、本を読もう。旅路を計画するように、カルタの街を思い浮かべて、ベンチに身体を預けた。
旅と生活は相反するもの、とは言ったけれど、いまのわたしにとっては旅も生活だ。まだ知らない、目覚めたあとの、あしたのことを考えて、今日を終えよう。
2023/9/16