noteで公開している小説(など)をひとつのページにまとめました。ここからとんでね👉 サンタ・クルスをたずねて 夜とパプリカ
この世界に生まれてくるずっと前、わたしは海の音に満たされていた。 たとえば、そんな書き出しならどうだろう。手帳にたなびく走り書きの文字を、束の間眺めて、首を傾げて、はんたいに捻って、やがて「おてあげ」のポーズとともに万年筆を放り投げる。 とりとめのない旅行記の、余白を埋めるように、わたしは小説を書いていた。読むほうに関しては飽きるということを知らないが、書くほうに関してはてんで才能がない。それでも短い首をあちこちに曲げながら、言葉を綴ることは楽しかった。永遠を薄くのばし
架空の町を旅する妄想旅行記 もともとはツイッターの「ふぁぼの数だけ行ったことがあるように架空の町の魅力を紹介する」というハッシュタグが発端 新社会人になり、仕事が忙しくてどこにも遊びに行けないときにワーッ(大回転)となって書きはじめたものです 登場人物 ・わたし 旅と読書と三度の飯が好き
ブラン・リリー急行は、25階の停車場に停まった。長旅をともに歩いたショート・ブーツでゆっくりとステップを降りて、すり減った靴底を労るように、かかとを揃えて立つ。臙脂色の車体が遠ざかっていくのを、どこまでも見送った。この駅は高度があるから、過ごし慣れたあの愛しい急行列車が、ちいさなちいさなあずきの粒になるまで遠く下っていくのがよく見える。この街を離れて、また次の街をめざすまで、しばしのお別れだ。 視線と、トランク・ケースの車輪とを90度回転させて、わたしはキュースの街を見上
硝子のドアを押して外に出れば、火照った身体を夜風が冷やした。瑠璃色にひかる南天は孤独な海のように広く、わたしはしばらくのあいだ、名前もしらない一等星をみつめていた。 カルタは温泉街である。けれど、温泉街、という言葉が、この街にはあまりそぐわない。几帳面に整備された街並みは、なめらかに削られた石と硝子といくつかの間接照明の灯りでできていて、研究都市のような風体だ。 「温泉」ということばが持つ、どこか素朴な、いい意味で鄙びた印象とは違うけれど、この街の独特なつめたさのこと
くらげを見に行こうと彼は言った。「フローリングの床板を外すと地下はみずうみになっていて、そこに光るくらげがいるんだ」それはこのまえ一緒に観た映画じゃあないですか、と呆れた顔をしてみせて、けれど掴まれた左手があたたかいので文句も皮肉も彼の前ではことばにならないのだ。呼吸が淡水に馴染むように、すこし高い体温に絆されていく。三歩前をかろやかに歩く、短い影を追い掛けている。彼の隣は心地好く、穏やかで、同時にひどく淋しかった。 「ねえ、八坂さん」 「んー?」 「僕、あの、たまにほんと
映画好きの大学生の男の子ふたりの話 800字以上の文章を書くリハビリと、ずっと苦手だった特定のキャラクターの人格をちゃんと描く練習をしたい!という試みで書き始めた作品です 好きな映画のワンシーンをモチーフにしながら同じ人間のやりとりを書きたい 登場人物 ・八坂さん(先輩)明るくて人懐っこくて面倒見がいいけど喜怒哀楽のツボが狂ってるので拷問シーンで爆笑したりする ・立貴くん(後輩)真面目系ポンコツ社会不適合者、名作見る前に論理的な目できっちり批判しようと思ってるのに普通に泣い
街へ出て、久方振りにシネマを観たら年甲斐もなく涙が止まらなくなる。神様にまつわる映画であった。 幼い時分、私は酷く涙腺の弱い子供で、まあ涙腺だけではなく腕っぷしも口喧嘩も弱かったのだが、それでよく友人や友人ですらない子供や姉や動物に泣かされていたのだ。もうすっかり人生で流す涙の総量に達してしまったと思っていたのに、感傷は草臥れた成人をいとも簡単に渦中へ飲み込んでしまう。喫茶でしばらく泣いて、それから帰路の電車に乗った。各駅停車はゆるやかに夏を掻き分けて進み、その青と緑のあ
花見をしようと神様は言った。三寒四温もゆるやかに均されていく三月のことである。 ブナの樹でできたスプーンは間宮が仕事の合間に彫ったものだ。やたらとそれを気に入った彼は実にカレーに丁度いい、神饌にしたまえ、と半ばくすねるようにそれを私物化した。愛用してもらえるのはありがたいのだが、神様に捧げる供物がスプーンでいいのだろうか。思いあぐねて鍋をかき混ぜるけれと、カレーの神様なのだからまあこれが妥当なのであろう。樵面ではカレーは食えない。 「花見って、花見ですか」 「そう花見だ
最近見かけないと思ってはいたが、どうやら神様にも繁忙期というものがあるらしい。「てんてこまいだ、全く」と深く息を吐いていたのが、確か十月の終わりのこと。てんてこまい、という些か珍しい語彙も、神様が口にするとなんだか幼児語のように響いて耳に馴染む。これも言霊というやつだろうか。 「やっぱり年末に向けて忙しいんですか? 初詣対策、とか」「それもある」「……あるんだ」カレーの神様にも詣でる民がいるらしい。「この時期はとにかく出張が多いのだ。わたしはさらりいまんか」悩ましげに目を伏
縁側には神様が居た。斜陽を透かしてひかる白髪が、晩秋のつめたい夕風に揺られていた。「間宮か」色素の薄い瞳で流れるような一瞥をくれて、口角を上げる。彼のまなざしは琥珀のようだ。相も変わらず仏頂面の私を、密葬される遺体のように、その飴色の中に捕らえて離さない。呪われているな、と胸のなかだけで呟いた。或いは、彼は神様なのだから。それは祝福と云うのかもしれない。どちらでも大差ない。 「吸うんですか」 左手に支えられた煙管をさしてそう問うた。浮かべる表情によって少年のようにも成人の
フォロワーの春日野さんと喋っているときに虚無から生えてきた概念です 彫刻家の男の家にカレーの神様がやってきてカレーを召し上がる話 長野県松本市が舞台です 登場人物 ・神様 カレーの神様。慈しみ深い ・間宮※ 彫刻家。カレーを作る度に神様が来るので困っている ※彫刻家の名前は便宜上つけているだけなので公式ではないです
やけに夜風が強いなと思えば戸を叩くのは神様であった。「間宮、大変だ」老人の如き霜髪と少年の如き瞳を持った彼の男は、いつもの通りの傲岸さでずけずけと室内に踏み込んでくる。下駄履きにアロハシャツ、前髪を結わえる般若のヘアピン。この傍迷惑な神様は、降臨する度奇天烈なお色直しで間宮の神経をすり減らす。端整な顔立ちはそれなりの格好をすればいかにも神様らしく見えそうだというのに、頭の中が三歳児なのだかららしくないのは仕方ない。 「なんですか」「おまえに貰った湯をかけて育てるカレーのこと
古いやつの……抜粋! はるさめのはるははらはら落ちること天国旅行はまたはれた日に 窓際で攪拌されて目を覚ますがらがらどんは夜のいきもの 明滅する右折ウィンカ、信号機、充電残量、巡礼のうた 黄昏のスープに融けてねむたくてけむりを纏った春のキッチン 午前4時始発電車は信濃町でまた夜になる水中遠泳 東京がミラーハウスになる朝に拡散されゆく、熟れたオレンジ クリームはおひげ 喫煙席はここ カーネルさんになりたい秋の日 滝壷に落ちる 推理もしなくなる 途中で段差が二度変
「グレゴール・ザムザが毒虫になるなら」矢継ぎ早に言葉を吐いた。「ある朝、先輩が気がかりな夢からめざめたとき、あたしがベッドの上で一匹の巨大な毛虫に変わってしまっているのに気づくこともあるでしょう」 そうでもなければぴったり閉じた毛布の隙間から、いまにも先輩の冷たい声や冷たいまなざしや冷たい「どつきまわし」が侵入してしまいそうだったのだ。息を潜める。呼吸はやわらかな繭をふやかして、心地好い温度と湿度であたしの身体を包み込む。暗闇の向こうで先輩の気配が動いた。残り香はこんなにも
ツイッターでやったワードパレットからSSを書くやつです 古びた戸建の屋根をぴしぴしと軋ませる、その台風の名前をわたしは知らない。だいたいたかが気象現象の、そのひとつひとつに律儀に名前をつけるのもどうかと思うのだけれど、能天気なかの男は「いいんじゃない? 名前があったほうが親しみやすいでしょ」などと宣って十二分の一の梨のかけらをしゃくりと齧る。 男は、隣人である。「感じのいい、誠実そうな眼鏡の青年」と、「馴れ馴れしい、やたらと口のまわる眼鏡のクソガキ」を砂糖と卵白のように