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かかとを鳴らして――トレミラ
トレミラの街の入り口に設けられたブリキのアーチを、潜る前から既に芳ばしく小麦粉の焼ける匂いがたちこめていて、わたしの両脚は文字通り浮き足立っていた。
トレミラは、ただしく云うとトレミラ・トロワ・トルークという非常にとろとろした名前の街で、むかしの言葉で「天国に向かって、かかとを鳴らして駈け上がる」というような意味らしい。なるほど、浮き足立った両脚はそのまま天国へすらも上っていけそうである。わたしはともするとふわりと浮いてしまいそうになる膝を必死に押さえ、かかとを踏みしめて、アーチを潜り、トレミラの街に足を踏み入れた。わたしにとってはぼんやりと白いばかりの概念でしかない天国よりも、このおいしそうな匂いの出処である地上の街のほうが余程楽園なのだった。
トレミラは、ベーカリーの街である。
大通りの右を見ても左を見ても、小洒落た店構えのベーカリーが並んでいて、わたしは花から花へ目移りするミツバチのように……或いは、へべれけの酔っ払いのように、通りを右往左往することになる。何を隠そう、わたしはパンが大好きなのだ。どれくらい好きかというと、白いお米くらい大好きで、鉄板ナポリタンくらい大好きで、よく晴れた土曜日の朝ごはんやおやすみ前のホット・ティーくらい、それはもう、大好きなのである。
すこし前に滞在していた街のちいさな書店で、トレミラのことを紹介する雑誌の記事を見つけた瞬間、わたしはこの世に生まれてきたことを神様に感謝してしまった。パンの神様、パンの神様ありがとうございます。わたしはこれからも謙虚に誠実に生きて、耳までおいしくいただきます。購入したその雑誌を宿のベッドで広げながら、わたしは世にも幸福な夜を過ごした。あてのない旅をしているが、予習が必要なこともある。数十軒ものベーカリーが連なるトレミラでは、計画を立てて、厳選して買い物をしないと、ひとりでは到底食べきれない量のパンを買ってしまうことになるからだ。
わたしはこの旅路に3つのルールを設けている。街を愛すること、人を愛すること、食事を愛すること。おのこしなんてもってのほかなのである。
雑誌が、いちばんおおきく紙面を割いて「おすすめ」していたお店は、幸いなことに入り口近くにあった。わたしはけっこうミーハーなので、一番人気、だとか、絶対行くべき、だとかのこてこての賛辞に弱い。人知れぬ穴場にすてきな出逢いがあるのも確かだが、だからといって王道をとことん無視するほど斜にも構えられない、わかりやすく日和見な性分なのである。王道も、穴場も、両方をすこしずつ味わえるのがいちばんいい。
現地のことばで「青いくつした」という名のその店は、名前の通り、青を基調としたお洒落な色合いの店であった。
レジスターを挟んでカウンターの向こう側に、青いとんがり帽子を被った小柄な店員さんがいて、「いらっしゃいませ」とわたしにほほえみかける。その見事なとんがりぐあいから、わたしは『オズのまほうつかい』のマンチキンたちを連想した。裕福なマンチキン一家が、ドロシーをもてなした夜のそれはそれはおいしそうな晩餐も。「青いくつした」のショーケースには、おとぎ話にも劣らないおいしそうなパンが並んでいる。
「青いくつした」では、雑誌を読んでぜひいただきたいと思っていた「三日月クロワッサン」、お店の名前の一部を冠した「あしながくつしたパニーニ」、帽子にも劣らない見事なとんがりぐあいにほれぼれした「チョココルネ」、それから焼きたての「クイニーアマン」を購入した。一軒目から既に、「予習」を上回る誘惑にわたしは押され気味である。クロワッサンとクイニーアマンは味も食感も似ているのだから、どちらかひとつにするべきか悩んだが、いちばん重要な目的だったクロワッサンを諦めることも、大好きなクイニーアマンの、しかも焼きたてというお膳立てを拒むことも、わたしにはできなかった。据え膳食わぬは、というやつである。
マンチキン似の店員さんは慣れた手つきでパンを数え、紙に包んでいく。お店と同じ、そしてとんがり帽子と同じ、あざやかな青色のクラフト紙だ。あしながくつしたの形をしたパニーニは、まさしく青いくつしたを履いたかのように、ふくらはぎまですっぽりと包まれている。ハムと、チーズと、黒こしょうのパニーニ。サーモンやオニオンやトマトやアボカドの誘惑を断ち切って、今回はこれを選んだ。
するするとくつしたを履かせていく手元をみつめながら、きれいな青ですね、と思わず声を掛けると、店員さんはにっこりとほほえんで「ありがとうございます。わたしたち、青がいちばん好きなんです」と応えてくれる。やはりマンチキンたちのような、こころやさしいひとだ。紙袋も青。爪もきらきらとひかる青。セミロングの髪を結わえるリボンは、ドロシーのワンピースと同じ、青と白のギンガムチェックであった。
せっかくの焼きたてなので、外のテラスでクイニーアマンをいただく。トレミラは街ぜんたいがベーカリーなので、焼きたてのパンをすぐにいただけるように、通りに面してどのお店のものでもないテラスがずらりと並んでいるのだ。フード・コートのようで面白い。
外はすこし寒かったが、腕の中のパンのぬくもりのおかげか、不思議とさみしくはなかった。流しのコーヒー売りから、ホットコーヒーを買う。スープ売りからはとうもろこしのポタージュ・スープをすすめられ、大層動揺したが、「あとで、ポタージュによく合うパンを買ったときに、いただきます」と泣く泣く断った。人間の胃に容量があることがうらめしい。わたしの表情があまりにも「泣く泣く」だったためか(わたしはポタージュにも目がないのだ)、スープ売りのおじさんも「泣く泣く」の顔になって、そのときは安くしておくからな、と堅く手を握ってくれた。人情深いスープ売りである。
クイニーアマンは、期待を遥かに越えてたいへんおいしかった。カラメルの部分がざくざくと芳ばしく、甘くて、ほろ苦い。デニッシュ生地からは白い湯気とともにバターの香りがふんわりとあふれて、さくさくとも、ふわふわとも、ひらひらともつかない食感で噛み締める度に胸が高鳴る。ほんのりと生地に塩分があるのが、甘さとのバランスがとれていてこれまたおいしい。ひとくち食べて、ふたくち食べて、頬張りながらコーヒーを含むと、こんどはきりりとした苦みがすべてを調和させていく。
わたしはすっかり浮かれてしまっていた。「天国に向かって、かかとを鳴らして駈け上がる」のは、街の入り口のことではない、パンのすばらしさのことだったのだ。幸福とともにわたしは不安になって、トートバッグから件の雑誌を取り出す。予習は完璧だと思っていたが、考えを改めたほうがいいかもしれない。
おいしそうなパンを、食べきれないからと我慢して、あとからやっぱり食べたかったと後悔するか。欲望のままにパンを買って、お腹がいっぱいになってしまっておのこしをしてしまい後悔するか。後者よりは前者のほうがましだ、と思っていたが、このあとも「泣く泣く」の顔をたくさんしてしまう羽目になりそうである。「長期滞在」という最後の切り札を使う前に、お腹を空かせる手段をすこし考えてみよう。トレミラの街に長く居続けてしまえば、きっとわたしはまるまると太って、この両手もクリームパンになってしまうだろう。
2018/12/18