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みんな、いい子パート2 -あるいは仮想敵が仮想と知るための、二つ目の考察-

こんにちは!
きちんとした、あるいは、きっぱりとした春を感じる今日、皆さま如何お過ごしでしょうか?
花粉症の方はお辛い季節になったかと思います。
どうぞご自愛くださいませ。

今回は昨年10月にアップしたこちらの記事のパート2となっております。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、さてさて
早速ですが、何度が書いている通り、丁稚は司書です。
現在は事情により現場を離れておりますが、司書ったら司書です。
丁稚is司書 Are you OK?
そして司書の中でも学校図書館司書としての経歴が一番長く、自負として、丁稚is学校図書館司書 としてあります。
奇しくも「今、話題の」と言わざるを得ないこの学校図書館司書というお仕事、今までほとんど注目されることが無かったのですが、今回、某自治体の件絡みで突如として注目されることになった職業です。
まぁ、きっかけとなった件につきましては色々と言いたいことがあるのですが、そこらへんは丁稚のTwitterアカウントを知っている方は覗いて頂くとして(知らない方も学校図書館司書のワードで検索すれば、わりとすぐ特定できます)
今回、丁稚が思ったことは「知らないことは分断の元になり得る」ということ。思ったというよりも、確信を持った、と言うほうが近いけれど…
こちらの記事の中でも書いたことなのですが、「知らない」ことは「偏見」や「分断」に繋がってしまう。今回の学校図書館(における資料廃棄)の件でも、現場を「知っている」人と「知らない」人の激しい言い争いをネット上で目にすることになりました。
「知らない」人からすれば、まず、公共予算で購入した資料を古いからと廃棄することが納得できない。
長い目でみれば貴重な資料となり得る可能性を秘めた資料をなぜ捨ててしまうのか?ということ
そして、「知っている」人からすれば、学校図書館は公共図書館と異なり資料保存の役目は薄く、それよりもまず、学習支援や読書支援など「目の前の今の子どもたち」に「今使える最新の、正確な情報」を届けることが大きな役割であること、同時に多くの学校では図書館に割ける面積がさほどなく、既存資料を廃棄しない限り新しい資料が入らないこと、また、事務的な面では学校図書館司書が配置されて日が浅い、ないし、一校専任(毎日学校に司書がいる)ではないところも多く、結果的にある年にまとめて資料を廃棄するという形にならざる得ない自治体が多い(その多くは司書が配属された初年度ないし次年度に集中せざる得ない)
以上のような理由から、
①資料の廃棄はしなければいけないこと、で、かつ、
②それがある年に集中して行われることは十分にあり得ること なのです
それらが上手く伝わらないもどかしさのようなものを感じました。
なぜ伝わらないか?
その主な原因はこの話題に対してコメントしている多くの方が学校図書館司書が制度として採用される前に義務教育を終えられていることにあるような気が、丁稚は勝手にしています。

『見たことない、なんか新しいジャンルの人が学校の本を大量に捨てた』
これだけ読んだら確かに由々しき事態です。
そして、由々しき事態だと感じてくれている方、基本的には皆さん本が好きで真面目な方なのだと思います。だから不安になるのだと、勝手に思いました。いち学校図書館司書として、今回の件では広報不足の面もあるかな?と感じました。
だからこそ、何かできないかな?なんて思っていたり。

同じことは、我々たべるばを含む「子ども食堂」についてもいえるかと思います。

「子ども食堂」は貧困支援なのか?子ども支援なのか?家庭支援なのか?
「子ども食堂」には、どういう子が来ているのか、もしくは来る資格があるのはどんな子なのか?
突き詰めれば「子ども食堂」の存在自体が貧困の再生産になっているのではないか?
もちろん、各団体のスタンスによって、回答が異なる場面も多いので一律の答えがある訳ではもちろん無いのですが、知って貰っておいたほうがお互い安心できるかな?ということは、やはり沢山あります。2012年に日本で最初の子ども食堂が出来てから、早くも10年の月日が経ちました。今の子ども食堂について、おもに、たべるば目線で、になってはしまいますが、これからも明るくポップにお伝えしていくことができるよう、精進して参ります。

うららかな春、これからも「たべるば」をどうぞよろしくお願い致します。

よろしければサポートお願いします。頂いたサポートは子ども食堂の活動資金として、食事の提供のほか学習支援やパントリー運営、遠足等こども達とのイベント費用に使わせていただきます。