その人が選んだモノには、その人の価値観が現れてしまう
こちらのnote宛に、逸見さんからコメントをいただきました。
占星術では「所有物や財産」と「自分の価値(自信や才能)」は表裏一体というか、同一の象徴が当てはめられています。そして、自分の所有物と他人から受け取る所有物は向かい合わせで、この二つは深く関係しています。この記事を読みながらこの事を思い出し、改めてものすごく興味深いなぁと。
ちょうど書きたいと思っていた事柄とリンクすると思い、引用させていただきました!
■その人が選ぶもの=その人自身
人が何かを選択するとき、そこには自分自身の価値観や意思が強く働きます。…ってそれくらい当たり前ですよね。
ですが、整理収納アドバイザーとして、いろんなお宅の片付けに立ち会う中で、「人が何を選択するか」という場面にたくさん居合わせてきた私です。
「AとBの2つ、どちらを選んでどちらを手放すか」という、たったそれだけのことがらで、その人の歩んできた過去とか、いま置かれている現状とか、そういった諸々のことが少し見えてしまいます。
すごく記憶にある例をひとつ。
とあるお宅で、結婚式の引き出物で頂いたような高価な塗り箸のセットと、コンビニで無料で貰える大量の割り箸が出てきました。
「お箸なんてそんなに必要なものではないから、減らしませんか」とご提案した時の話です。
■豪華な商品は捨てられるに、無料で貰った割り箸は捨てられない人
私としては、「無料で貰える割りばしなんて取っておく価値はない。潔く捨ててください」というつもりで提案したわけです。ところが。
そのお客様、「分かりました!」といって、なんと高価なお箸の方を手放すことにしたのです。
もちろん価値観は人それぞれですし、豪華であっても使い勝手が悪そうなものは「使わない」、ゆえに「手放す」という判断も、全然かまわないと思うんです。けどね。
面白いことに、そのお客様、無料の割り箸は「絶対に捨てられない」と仰ったわけです。しかも大量にあるから、破れてたり古くなってたりするものもたくさん。でも、「絶対に捨てない」。
これにはちょっと考えさせられます。
持ち物は自分を映す、という話、どこかで聞いたことはありませんか。
そのほかにも、言動は自分を映す、とか、食べたもので自分はできている、とか。
とにかく、自分で選んだものって、すべて自分を表わすものなんですよね。
豪華な箸は「不要」だけど、使い捨て大量生産のコンビニ箸は「要」
つまり、自分自身のことを、使い捨て出来るいい加減なものとして扱っている…可能性が…あるかも…?
■知らずに自分の価値を低く見積もっていないか
いやいや、毎日仕事で忙しいから、使い捨て出来る割りばしの方が便利なんだよ! という反論もあるでしょう。塗り箸はつるつる滑るから嫌い! 木箸の方が好きなの! という方もいるはず。
ですが、一度使ったら捨ててしまうものは、大量に置いておかねばならなくなります。その分、家の中で場所を取ります。大量にあるから、ぐちゃっと崩れやすくもなります。ゴミも増えます。ゴミ出しすごく面倒になります。
かけがえのないはずの自分も、「使い捨てられるモノ」「すぐに代わりが見つかるもの」として考えている世の中と似ている気がするのです。
こんな私はいくらでも誰にでも代用が利く。企業は私をいつでも使い捨てにするつもりだ。だから、十把ひとからげ。個性なんて必要ない。大量に集められて、大量に捨てられるだけ。
豪華な一点物のお箸を捨てて、無料で貰える割りばしを選ぶその背景に、自己肯定感の低さが隠れているような気がするのは私だけでしょうか。
前述の逸見さんは占い師として活動なさってらっしゃる方。
生憎と私はそっち方面には疎いのですが、占星術でも似たような概念があると聞いて、片付けともリンクする何かがあるのかもなぁ、と思った次第です。
別段、「高価なものを使え」というわけではないのです。事実、私も子供が小さい頃は、落として割れないプラスチックの皿を多用していましたし。
ですが、今では普通に陶器のお皿を使って食事をし、子供も「割れないように丁寧に扱う」ということを覚えていきます。
「モノを丁寧に扱う」ことって、結局「自分を丁寧に扱う」ことと同じなんですよね。そして、自分を丁寧に扱えないと、自己肯定感って育たない。
本来は親が子供に自己肯定感を与えて上げられればいいのですけど、それが叶わなかったのなら、もう「過去は変えられない」と振り切って、一膳のお箸を丁寧に扱うところから始めてみるのもいいのかも。そう思いました。
もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)