「人は楽には死ねないんだな」と痛感した1週間でした(※片付けの話です)
不穏なタイトルで申し訳ありません。
実は昨年末からずっと、主人の身内(というには遠すぎるし他人というには近すぎる、微妙な距離の親戚)の介護問題に翻弄されておりました。
その親戚(A氏とします)、団地にひとり暮らしの高齢者。
年齢的に身体も弱り、痴呆も入り始めており、部屋で倒れているところをお隣さんが発見してくれて、一命をとりとめ入院しました。
そうなると団地に帰すわけにもいかず、施設入居…となったのですが。
A氏には近所に住んでいる直接の息子夫婦も孫たち(就職済み)も沢山いるのに、誰も何もしてくれないのです。
入院手続き、退院手続き、施設選定、今後の治療計画、そして団地を引き払う手続き…何もかも本人もしくは直接の身内でなければできませんよね。
なのに、そのほとんどすべてがなぜか我々に(許可もなく)投げられたのです…。
A氏は、息子たちと絶縁しているわけでもないのです。
折につけ交流はあり、特に孫たちはイベントごとのたびに(たとえばひ孫の誕生とか成人式とか)小遣いをたかりにそのAの家に行っていました。
なのになぜ我々が…?(特に私なんて完全に赤の他人ですからね?)
まぁそんな愚痴をここに書いても仕方ないので(書いちゃったけど)
それらを必死にこなし、ようやく自宅の団地を撤去することになったのがこの3月の話。
…ところで、実は私、このA氏に10年くらい前から
「家の中が散らかってて怪我しそうだし掃除しようか?」
「そろそろお片付けも考えようねぇ」
「私がいつでも手伝うからね、何なら今すぐでもいいよ」
と伝え続けていたのです。
しかしその時、A氏は大笑いして
「うちには何も金目のものはないから! 私が死んだらぜーんぶすててくれていいの!」と言っていたのです。
自分の家の片付けよりも難易度が高いのがこの「親世代の家の片付け」なのですが、その教科書に載りそうなくらい典型的なことを言われて、内心で私は「ちゃんと言質は取ったぞ…ほんとに全部捨ててやるからな覚悟しとけ」と思ったものですが(もちろん本には言いませんよ?笑)
確かに、死んだら全部捨てるしかないんですが。
あいにく、人は簡単には死なないんですよ。
これは私が身内に言われて胸に刺さった言葉です。
適当に生きてる人は、死ぬこともいい加減にしか考えない。ましてや「死ぬまで苦しむ時間」のことなんかこれっぽっちも考えずに生きてる。
その結果、自分自身が一番苦しく哀しい思いをするだけだ、だから毎日きちんと考えて生きてかなきゃいけないんだよ、と。
「死んだら全部捨てていいよ」といって家の中の惨状に見向きもせず片付けようともしなかったA氏は、今回、半ばボケた頭で施設に持っていく品を考えなければならなくなりました。しかも自分の身体は動かすこともできず、他人である我々に頼むしかないのです。
「確かタンスの中にアレがあったはず」
「洋服は…」
「家族の遺影は…」
「仏壇は…」
最低限の希望は訊き、我々(=赤の他人)が必死にその物品を探しますが、すでに記憶もあやふやなA氏の言動をどれだけ拾っても希望の物品は出てこず。
自分がこんな状況になると分かっていて不摂生を続けたA氏にも問題があるし、そんな時にまさか身内が何もしてくれないとも思わなかったはず。
泣く泣く我々を頼ってきたわけですが、恐らく意気消沈して施設に入居する羽目になったでしょうね。
もちろん、表面的には我々に感謝してくれていますが、本当なら自分で必要なものを探したかったでしょう。
死んだならいっそ諦めもつくのでしょうが、重ね重ね、人は「楽に死ねるわけじゃない」んだよなあ…。
ただ、高齢者に片づけを迫る難しさはもちろん課題として残っています。
(だからこそ10年前から言っていたのですけど!)
ごり押しすると高齢の方は機嫌を損ねますし誰だって無理やり「やらされる」のは嫌なものですからね。そこは慎重に。
とにかく。毎回片付けから自宅に帰る道中、主人とは「自分の持ち物は最低限にしようね…」「マメに片付けるようにしよう…」と言い合いながら疲れを労いました(笑)
次回は「急に身に降りかかってきた他人の家の片付け」についてちょこっと語ろうと思います。
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