『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』におけるディカプリオの分身たち
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』についての分析記事を『文春オンライン』に寄稿しました。
「スタント・ダブル」の「ダブル(Double)」という単語に着目して、この映画を「二重性」「分身」のテーマから読み解こうとしたものです。
ここでは、記事の中では触れることができなかったモチーフを二つ紹介しておきます。
リック・ダルトン・ダブル・フィーチャー
映画の序盤には、リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)にマカロニ・ウェスタン(イタリア製西部劇映画)への出演を勧めるプロデューサー(アル・パチーノ)と面会するシーンがある。
その際、プロデューサーは前日の夜にリックの出演作品を二本見たことを伝える。英語のセリフではそれが「ダブル・フィーチャー(double feature)」と表現されている。これは映画館での「二本立て上映」を意味する一般的な表現だが、ここでわざわざ「ダブル」という単語を含む言葉を使っている点に注目しておきたい。
なぜ「二本立て」で見る必要があったか。プロデューサーはリック・ダルトンという俳優の実力を確かめるために彼の出演作品を見ている。俳優とは、自分自身とは違う人間を演じる職業である(この意味で、映画に出演している俳優たちは常に誰かの替え玉ということになる)。出演作品を一本だけ見たのでは、俳優が誰かになりきっているかどうかの判断がつきづらい。というのは、それが俳優の素の振る舞いとどれだけ乖離しているか観客にはわからないからである。そこで、出演作品を二本以上見比べる意味が生じる。異なる作品の異なる役柄の演技を比較することで、俳優が作品に合わせてどのように演技を使い分けているかを窺い知ることができるからである。
というのはややこじつけに近い説明で、タランティーノがいわゆる「プログラム・ピクチャー」を愛好していることに由来する設定だと考えた方が筋がいいかもしれない。プログラム・ピクチャーとは、ざっくり言えば映画館の上映スケジュールを埋めるために低予算で製作される作品のことで、二本立てで上映されることが多かった(こうした低予算映画のことを「B級映画」と呼んだりもする)。
タランティーノは、ロバート・ロドリゲスらとともに『グラインドハウス』(2007年)という映画を作っているが、「グラインドハウス」とは低予算映画の複数本立て上映を安価な入場料で行なっていたアメリカの映画館のことである。この形態の映画館は、ビデオやケーブル・テレビの映画チャンネルの拡充に伴い、1980年代までに廃れていき90年代にはほぼ消滅してしまった。『グラインドハウス』はタランティーノが青春時代に親しんだ映画館文化への愛惜を謳った映画なのである。この作品は、タランティーノが監督した『デス・プルーフ』とロドリゲスが監督した『プラネット・テラー』の二本の長編作品と、架空の映画の予告編五本からなる。
『デス・プルーフ』が「スタントマン」の映画であったことも改めて思い起こされる。この作品で変態殺人鬼スタントマン・マイクを演じたカート・ラッセルと、その敵役を演じたゾーイ・ベル(本職も劇中での設定もスタント・ウーマン)は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に夫婦役で出演している(「ブルース・リー」のくだりで出てくる夫婦)。ゾーイ・ベルは『ワンハリ』で「スタント」としてもクレジットされている。
『ワンハリ』では、リックの「スタント・ダブル」兼付き人のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)が「ドライブイン・シアター(drive-in theater)」の裏手にあるトレーラー・ハウスに住んでいる。劇中では、ここでも二本立て上映が行われていた。
「ドライブイン・シアター」とは、その名の通り自動車に乗ったまま映画を見ることができる施設で、いまでは世界的にほとんど消滅してしまった形態の映画館である。
映画館の歴史に興味がある向きには、加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書)という名著があるので、そちらをオススメしておく。
リック・ダルトンの「二重アゴ」
『ワンハリ』のエンディングでは、(ディカプリオ扮する)リック・ダルトン扮するジェイク・ケイヒルが「レッド・アップル」という架空のタバコを宣伝するCM風映像が流れる。「カット」の声がかかるやいなやタバコの悪口を言い始めたリックは、自身の等身大パネルに「二重アゴ(double chin)」の写真が使われていることに憤慨して、パネルを殴り倒してしまうのである。自分の分身(「ダブル」)と言うべきパネルのアゴが二重(「ダブル」)に見えるという設定には、虚構と現実を軽やかに織り交ぜて戯れる『ワンハリ』の姿勢が凝縮されて示されている。
『文春オンライン』の記事では、ブラッド・ピットの役柄にフォーカスしたが、劇中にはディカプリオのリック・ダルトンが鏡に向かって檄を飛ばし、自分を奮い立たせようとしているシーンがある。また、リックの自宅には彼が出演した作品のポスターや似顔絵入りのマグカップなども置いてあり、「鏡像/模像」と「分身」という構図でさらに議論を展開する余地もありそうである。
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昨年発売された『ユリイカ』のタランティーノ特集号で「作品解題」を担当しています。こちらも併せてどうぞ。
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