『魔人執行官(デモーニック・マーシャル)』について

 先に、以前に「研究」として述べた内容を掲載し、そののちに詳細な分析を行います。文字数が多すぎるので、どっちかだけ読むのもぜんぜんアリ。


魔人執行官デモーニック・マーシャル インスタント・ウィッチ』佐島勤2016/12/10 株式会社KADOKAWA(電撃文庫)
・毎度の選民思想いい加減にキツいっす……
・カラーイラストのキャラ紹介が場違いすぎるし、いつもの黒設定集いらん
・ところどころ日本語がおかしい。どうした?
・情報量の調節が下手くそすぎ。目が滑ってまともに読めない
・構成というか流れもうまく作れていない(毎度のことだが)
・物語と世界の枠を大きく作りすぎ

魔人執行官デモーニック・マーシャル2 リベル・エンジェル』佐島勤2017/4/10 株式会社KADOKAWA(電撃文庫)
・展開が遅いの指摘されとんのかいッ!
・もうちょっとわかりやすいあらすじにしてほしい。イタい
・誰に何をさせたいのかわからない
・価値観やセンスがズレすぎ。一瞬で何が起こるか分かるネーミングしかり、「ヒロインはヒーラーでしょ!」しかり、別人を疑うほど
・ペダンティックな語りはもういい加減に要らない

 いつものように視点変更を多めにしたSF×ヒーローものなんですが、まあ選民思想については別にいいですかね、もう知らん。それはともかく、巻頭カラーイラストのキャラ説明がここで知りたい情報じゃないんですよね。「こういうのです」と調整も何もしてないのを渡されて、そのまんま掲載してる感じ。キャラ説明であって装備とか起動キーとか聞きたいんじゃねーのよ、人間の話をしようよ。
 加えて、情報量の調節があまりにも下手です。ヒロインが変身した姿を一巻では三回もフル描写する……ダメだなって感想が素直に出てきました。別に届く感想じゃないから歯に衣着せる必要はかけらもありませんが、これグランドジオウの変身を毎度フルでやるようなもんですよね。作者の思い入れが完全に暴走してます。
 こういうのは短い言い換えを用意して、豆粒サイズが視界に入っただけでも「あの人だ! 来てくれたんだ!」って言われるようにしないとダメなんですよね。講談社キャラクター文庫から出てる仮面ライダーのノベライズを履修すべきかと。ジオウ、鎧武、ダブル、アギトあたりがこのあたりの学習にほどよい資料になると思います。とくにアギトは性癖も出てるし描写の簡素さ・説得力において群を抜いているのでおすすめ。翔一くんのサバ寿司は必見です。
 構成がダメ、という点にも触れないとですね。時間ごとに場所・キャラで分けたプロットづくりでもしてるのかな? ってくらい、キャラひとりひとりの動かされてる感が強いです。敵側がとくに顕著で、複数人いる『天使』が入れ替わりながら物語が進んでいくので感情移入する前に死ぬんですよね。で、ラスボスのぽっと出感も強くなる。
 作者のカラーである「美少女について長文で述べる」と主人公の設定「チア部で、文化祭のライブステージもやった」って融合させたらかなり良くなるんですが、なんでやらないのかなと。これをやったらラスボスの動機づけも充分、主人公と『魔人』の出会いも自然、何よりカメラがなめまわす気持ち悪さも感じなくて済むんですよね。正直言ってカメラの動かし方もアウト。通学路でグラドルとか素人モノを撮影するみたいな見せ方をしなくても、ステージに立つ女の子は誰がどう見ても魅力を感じても不思議じゃないし。「正直、姉よりも……」って思っちゃって「アレどころかこんなのにも!!」ってきっかけのトラブルだったとかもできますし罪悪感の強調もできます。どうせ視点変更多めならラスボス視点で始めるのも面白いやん?
 続ければ上がるはずの文章力や語彙力はむしろ下がり、構成力は初期からの据え置きなのでガッカリですね。プロの五年ってアマチュアのそれとはまるで価値が違うはずなんですが……。のちの『キグナスの乙女たち』もそうですが、表面だけなぞって成功すると思っているようで。特撮もの・ヒーローもの・ヴィランものすべてうまく行ってない現状を把握していなかったこと自体が驚きですが、市場分析がろくにできてないのはすでに知ってるので、こうなるわなとしか言いようがありませんかね。研鑽しないプロは一発屋って言うんですよ、とカミソリを投げつけておきましょう。

 
魔人執行官デモーニック・マーシャル3 スピリチュアル・エッセンス』佐島勤2017/10/7 株式会社KADOKAWA(電撃文庫)
・価値観が古すぎる
・女性に向ける目が気持ち悪い
・ぜんぜんダブルヒーローじゃねーぞ!
・何も解決してない、すっきりしない終わり方
■重要事項
・これで一区切りらしいが、納得がいかない
・動きを書くときに動きを書いてはいけない
・見せ場のセオリーが分かっていない
 
■総括
・出すべきでない思想がコントロールされていない
・ごく基礎的なセオリーを無視している
・構成がガッタガタ
・暴走しすぎ
 
 
 世界規模で大量死が起こる、という最終巻()にふさわしい内容でしたし、二巻からきっちり繋がってるのでそこだけは評価できました。セキュリティあり戦争なしで人が億人単位で死ぬのってどうしたらいいんだろう? とのことですが、設定にも齟齬はないしこれでいいんじゃないですかね。とりあえずベーシックインカム浸透後に「主婦」って言葉が出てくるのはおかしいでしょ……実質的な労働がほぼないなら「夫が家庭を支える」も「共働き」もなさそうですし。
 変なところでお色気挟むのもキモいです。女同士で「わっ、クリーム胸元についちゃった!」とかファザコンがバスローブ一枚で父親と会話するとか。スケベはそういう関係になりそうな間柄でイベント進行するのを目的でやるってことを理解してないんでしょうか。
 二巻で「ようやく第二の男を出せました、これでダブルヒーローです」みたいなこと言ってなかったっけ。並び立って強敵に同時攻撃とか、特撮じゃなくてもやってるのにねえ……分断するわ仲間に死なれるわとどめは取られるわ、考えすぎてバカになれなかったためにかっこよくないんですよ。ちゃんと踊れてるか気になってダンスが下手になる人みたいな感じ。誰の関係も進展しないし、人間関係には見るところナシです。
 で、テロ完遂されとるやん。三巻で一区切りとか言っといてこれですか? だから続刊前提は甘えなんですよ……限界を振り絞っての勝ちもない、どうにか守り切れたヒロインの笑顔もない、敵組織はなんとなく壊滅して終わり。盛り上がりもなにもありません。一巻がこれだったら即打ち切りになりそうなのに、一区切りにすると言っていた三巻がこれなんだから私でも見放しますよこれ。
 これは言うべきかどうかわかりませんが、ダンスの動きを描くのが死ぬほど下手ってのも挙げられます。体の動きだけ書いてダンスが成立するわけではなくて、むしろそれ以外を書いた方がダンスが自然に引き立ちます。照明の照り返しや衣装のひるがえりなびく様子なんかを書くとよりキレイ。現状ではコマ撮りでフィギュアいじってるみてーに躍動感皆無なんで、どう美しいのか・どこが人を惹きつけるのかを描くべきですね。ワイジアンは至急アンスコかドロワを実装しろ、花月ちゃんはチア部だぞ。
 まとめると「好きなものぶち込んだはいいが客受け・セオリーガン無視のとてもお見せできない作品」ってところでしょうか。これがウェブ連載だったら読まないだけだし、面白いところが評価されて書籍化したなら「あそこまでの辛抱やで」になったんですけどね。選民思想や外国嫌いなんかの思想はこれ以上やったら袋叩きにされるやつですし、下ネタとは違うベクトルで性的で気持ち悪いのもねえ。毎度の設定厨っぷりや「ここまで考えたぞ、こんなに知ってるんだぞ!」という自己顕示欲を抑える手段は真面目に考えた方がいいと思う。
 ダブルヒーローなら導入がアイドルオンステージな「敵か味方か!? 紫のネオブレイズ!」を一巻でやってからラストでヒロインも覚醒、二巻でタイプ・オリジナル登場&ヒロイン変身、並び立つ青球と紫翼のダブル攻撃で華麗に撃破! すりゃよかったんじゃないかなあ。二巻ラストあたりで「あの人のためにがんばります!」とか言わせといて三巻でいちゃいちゃさせつつSEBIUNの事実を明かして曇らせ、世良直属のやべーのが出てきて別働妹ちゃんもツンデレ見せとけばオッケーなはず。ヒロインの魅せ方がクッッソ下手なのは初期からなので期待はしていませんでしたが、初期→中間地点→現在と見てもまったく成長なし……まあ構いませんけど。
 まあアレですね、『キグナス』で結果が分かっていたことを再検証しただけになるので、今回ばかりはマジで無駄でしたね。なんで素人がやりがちな凡ミスが放置されてるのかが最大の謎ですが、育ててくれる人がいなかったんでしょうか。さっさと忘れて、次の資料に取り掛かりましょうか。


 
 以上が研究として述べた内容ですね。だいぶ酷評やな。

 私は、佐島勤(以後、敬称略)についてある程度評価はしつつ、それ以外の点には苛烈な痛罵を浴びせています。その理由を先に述べておきます。

 彼はデビュー作『魔法科高校の劣等生』において、魔法というファンタジーをSFに落とし込みました。とくに、発動手順=術式をプログラムと同一視するという発想は、その後の作品に多大な影響を与えています。『ナイツ&マジック』がもっともよい例でしょうか。ウケた理由は、あのあたりの学園モノの流行に新たな切り口を与えたから、つまり時代に乗っただけだとも考えられるのですが、そこはまあ別にいいと思います。

 業界全体に新たな視点を与えた功績は、非常に大きなものです。しかしながら、結局のところ俺TUEEEそのものであったり、選民思想に汚染された貴族ごっこであったり、右翼的思想と外国嫌いの融合などなどの思想面は受け入れがたいものに思えます。描写力の面でも、きわめて現実的な視点とフォーカスの恣意性はひどい嫌悪感を生じますし、陰湿なマウンティングは唾棄すべき悪性として切り捨てるべきでしょう。

 大きな功績があっても、こういったマイナス面があることは否定できません。そして何より、こういった欠点がまったく変わらないまま出した『魔法科』以外の作品は、ほとんど続かず、ファンも獲得することなく終わっています。作家としての実力はそこまで大きくないのだろう、と考えるべきでしょう。今回述べていくのは、このような問題点とその解決策の提案です。

 問題点を箇条書きでまとめましょう。

 
・作者の抱える問題点がいっさい修正されず、最悪レベルで色濃く臭っている
・プロットの完成度があまりに低い
・セオリーを守れていない
・売り方が悪い

 
 最初に、もっとも分かりやすい「売り方」の項から攻めていきましょう。
 
1,「魔法科ライクという売り方」
 
 本作を書いた佐島勤のデビュー作『魔法科高校の劣等生』は、登場人物や設定が緻密に作り込まれています。ただ読むだけでは理解できないと判断されたのか、本編が始まる前に、黒背景に白文字で小さく書き込まれた設定集が存在します。本音で言うと、メインキャラそんなに多くないしゲストキャラもちょこっと出てきて終わりなんで、存在意義はそこまでないと思いますけどね……。

 魔法師の家系である「十師族」も四葉・七草がメインで一条・九島・十文字がゲストキャラになる程度、本編前に何が起きただの血筋でどういう能力があるだのの設定が主人公たちにはほぼ関係ないなど、パッと出てきた設定と物語全体に必要なパーツがまったく違います。はっきり言わせてもらうなら、「これに作者の創作ノート以上の意味はあるのか?」ってところでしょうか。傍点で強調されることばの意味がまるで分からなかったり、セリフで登場するキャラがいっさい出てこなかったりするので、ファンブックとして作ればよかったのでは、というのが素直なところですね。

 このような「冒頭の黒背景設定集」は、以後の電撃文庫作品で時折登場するようになりました。正確にはこれが初出ではないようなのですが、私はページを浪費するスタイルを揶揄して「魔法科ライク」と呼んでいます。佐島勤の後続作品『ドウルマスターズ』『魔人執行官』の両方にこれが組み込まれていますが、とても必要だったとは思えません。理由は上述のものと同じで、書かれていることはほとんど裏設定であり、読んだところで大して意味はないからです。

『魔人執行官』のそれは、文中に異常な密度で詰め込まれるものをさらに追加で述べるという、じつに奇妙な形態になっています。簡素に述べたものを詳細に述べる、あるいはちょろっとだけ出てきた単語をTIPSとしてみっちり説明する、あたりが適切なところではないでしょうか。毎回説明がなっがいねん……むやみに覚えづらいカタカナ造語を作りまくっているので、気合の入れどころを間違えた、という印象です。

 まずもって、創作をしようと志す人間は何かしらに詳しいものです。そういった人びとが調べ物を必要とするような知識なら、一般人はあまり知らないと考えるべきでしょう。その場合、作者は読者よりもはるかにハイレベルな知識を持ち、より伝わりやすい方法を考案する必要があります。この作者はそういった説明が下手で、調子に乗るとすぐにグズグズになります。私事で申し訳ないが、説明下手な人って嫌いなんだよね……。一ページまるまる使ってバイクの説明、その後2ページ使って装備の説明って、必要ありますかね。

 いちばんイヤなのは、冒頭の黒背景設定集はスペックシートで、カラーページにある説明もそれと同じであり、キャラクターの中身がまったくわからないという点です。もっとも分かりやすい一例として、エンジニアの青年「多聞理務」の説明をカラーページ・設定集と並べ、最後に私なりにまとめた情報をこれに準じて述べましょう。
 
 
・カラーページ
多聞理務たもん・おさむ
新人類『ワイジアン(賢人)』。知能が高い代わりに肉体的に脆弱で、賢人の特徴である無毛症だが、すっきりとした目鼻立ちの、貴公子然とした容貌。ワイジアンの中でも特に知能が高い若き天才で、15歳の時に対NEO戦闘装備『イリュージョナル・アーマー』を開発した。暁琉のエンジニア兼参謀を務めている。
 
・設定集
多聞理務
新人類『ワイジアン(賢人)』。その中でも特に知能が高い若き天才で、15歳の時に対NEO戦闘装備『イリュージョナル・アーマー』を開発した。暁琉のエンジニア兼参謀を務めている。
 
■私見
多聞理務
新人類『ワイジアン(賢人)』の若き天才。対NEO戦闘装備『イリュージョナル・アーマー』の開発者にして、執行官たる暁琉のエンジニア兼参謀でもある。ワイジアンらしくおちゃめな一面もあり、暁琉をからかって遊ぶことも。
 
 
 いちばんにツッコミを入れたいのは、種族名と、そこにおいてどのような立ち位置なのかをバラバラに述べている点です。

 ヒトと違う種族を紹介する場合、我々の常識と違う場合があります。このような場合、絵だけで分からない情報を文字として追加することが必要になるでしょう。つまり、「禿頭の青年」というビジュアルだけでは分からない、その他の情報を追加すべきだと考えられます。キャラの概略を短く述べるのが最適だと思いますね。

 加えて、本編内で行われる説明なら、ここになくてもいいのではないか? という疑念もありますし、“キャラクター”ってスペックだけで語れるの? というところも気になります。「どういう人?」って聞かれたとき「○○大卒、商社の部長」って言うでしょうか。それもまた人ではありますが、たぶん「いつもビシッと決めてるけど話してみると穏やか、五十過ぎてんのにモテるけど堅物。独身とかほんともったいない」くらいのが「人っぽさ」ありませんか? “キャラクター”の説明には人間関係に関する項目も含んでほしい、というのは穿ちすぎでしょうか。

 直接会うシーンがあるので、少女らしくみずみずしい感性でもってモノローグでの容姿の評価をしたのち、賢人とは何かを聞き、地の文で賢人についての説明を入れる。これでここにある

「新人類『ワイジアン(賢人)』。知能が高い代わりに肉体的に脆弱で、賢人の特徴である無毛症だが、すっきりとした目鼻立ちの、貴公子然とした容貌。」

 この説明を丸ごとカットできるのでは、と思います。ほとんどの本にこんな設定集が付いていないのは、本編でこのような説明ができているからではないでしょうか。

 つまるところ私が述べたいのは、本編中にこれらを説明できる技量があれば、こんな設定集など必要なかったのではないか、ということです。これを作風とするのは別にいいのですが、説明が多いのに説明を読まされるこの煩雑さは、成長しない文章表現からの逃げから生じたものなのではないか、とも思えてしまいます。

 実際に『魔法科』の続編3巻から冒頭の設定集はなくなっており、いくつかのややこしい箇所だけをキャラたちの掛け合いで解説しています。言うまでもなく、設定集不要説は証明されているわけですね。はぁ……

 
 
2,プロットの完成度について
 
 ことばで「プロットの完成度」などと言うと、なんか難しいことを言っているように思えそうですが、「全体の流れが整っているかどうか」と言い換えると分かりやすいと思います。私はプロではないので、あくまで読書が好きな人としての「ここいる?」とか「これなんだったの?」「話つながってなくね?」みたいな箇所があると評価が下がります。逆に、伏線回収が巧みだったり、要素を活かしたお話づくりをしていたり、といった点が高評価につながります。私は設定がちゃんと考えてある物語にはチョロいぞぉ!

 ……と言ったそばからになるのですが、私は本作の設定をほとんど覚えていません。最初に読んだときから時間が経っているからではなく、あんまりにも複雑怪奇で、かつ設定自体が多すぎるからです。そうなると、設定が活かされているかどうかも思考のうちに発生しなくなり、単に疲れて終わります。

 評価基準としての「全体の流れ」をより具体的に述べると、「何を伝えるために、どのような物語が展開されたか」となるでしょう。この『魔人執行官』が何を伝えたかったのかはいまひとつ分からず、話の流れもグダグダなので、どうしても匂い立つ思想のほうに目が向いてしまい、そちらがメッセージのように見えてしまいます。

 なぜ、この物語が何を伝えたかったのかが分からないかというと、思想のぶつかり合いがないからです。

 設定として、ある種の寄生生物に乗っ取られた新人類NEOは、思考までもがまったく別のものへと変容し、あらゆる手段で人間を虐殺するようになります。しかしながら、それは当人の意識した行動ではありません。作者がここで行うべきは、人間の意識を保ったNEOがその力を悪用し、その背景にあるものを示すことです。そうでない場合、執行官も「新種の災害に対抗する特殊な作業員」といった見方をすることしかできなくなります。

 天使を自称し、人口調整を謳いながら虐殺を行うNEOは、結局のところ寄生生物の操り人形にすぎません。一巻から三巻まで、超能力を使って何かことを為そうとする人物は現れないため、NEOは敵組織ではなく害獣でしかありませんでした。敵の大ボスもこの例にもれないため、この物語をヒーローものとして捉えるのはかなり無理があると言えるでしょう。いいとこ猟友会の親戚、でなければ作業員です。

 百歩譲って人口調整を悪、人々を守ることを善としても、それ以上の言葉が出てこないため、これを作者の意見として捉えてよいものかどうか迷います。ただの一般論というか危険思想ですが、否定するなら代替案を持ってくるべきなんですよね。

 一般論VS一般論という構図は、個人的に大ッ嫌いです。だってそれ、何も言ってないのと同じだし。悪がなにがしかの主張を語るのなら、正義はそれを是正する主張を述べる必要があります。「いい人しかいない世界を作るために、悪人を殺していく」VS「どんな人でもいい人になれるように、社会全体を良くしていく」なんて構図はありがちですね。

 本作の悪役NEOは、よく語られる「人口爆発による人類滅亡」とかそういうやつを語っているだけです。人口調整のために現れた害獣というのは理解できましたが、じゃあ彼らは人として何をするのか、そこんとこは皆無ですね。

 もっともばかばかしいのが、ヒーローである執行官は、賃金を得る以外にとくに目的がないことです。なにこれ、どういうこと? 厳密には、執行官=『魔人』にも寄生生物が取り付いており、NEOに寄生する生物を捕食している、という設定はあります。つまりこの物語は、人類を殺戮する生物VSそれを捕食する生物という、人間置いてけぼりのドキュメンタリーなんですね。はー、あほくさ。

 ここからどうやって作者の考えを読み取ればいいのか、その答えはごく簡単で、「ないところにはない、あるところにある」という方法で読んでいくことにします。メインストーリーからは作者の考えが見えないので、そこ以外に分かりやすく思想が現れているところに着目し、それを作者のメッセージとして捉えます。こんなんでいいんだろうかとは思うのですが、この作者さんに関してはたぶんこれが正解だと思いますね。

 ……で、結局この作者がいったい何を考えているのかというと、「一見負け組な俺だが実は勝ち組」とか、そういうクッソくだらない選民思想くらいしか読み取れません。だってさぁ、進化した人類が高いタワーの上に住んでます! とか、バカじゃねえの? って言いたくなるレベルでそのものなモチーフが出てくるんだぜ? これで選民思想ありませんって言う方が難しいし、小物そのものの価値観をどーん!! ってお出しされてイジるなって方が無理っしょwww

 旧人類のなかでも新人類の力を扱うことができ、もっとも高いタワーに登る権利を持つ少女ってもの自体、“それ”そのものですね。もう一人の主人公である執行官にしても、もともと地位はあるため成り上がりでもありませんし、ジム代くらいしか贅沢をしていませんから、お金を稼ぐ動機はありません。

 何をするためにどのような行動をとるかというところで見ても、ほぼすべてのキャラに目標がないので、彼らの物語にまったく興味を持てません。事態は進行していますが、それも三巻で区切りになりました。ボス枠もいないし対処して終わりだしで、頭から尻まで徹底して害獣駆除以外の何物でもありません。

 そんなものに完成度がどうこうの目を向けられるはずもなく、軸がないのに悪臭だけ漂うこれに対しては、汚物を見るような視線をぶつけてしまうのも致し方ないことかなと考えてしまいます。問題提起が行われない物語って、小説じゃないんだよね。

 
 
3,作者の抱える問題点がいっさい修正されていない
 
 以前に「気持ち悪いお色気シーン」について述べ、「カメラワークが恣意的すぎる」という例を出したことがあります。その実例にして、デビュー作である『魔法科高校の劣等生』からその問題点が変わっていないのがこの佐島勤です。どのようなものなのかを説明するために、主人公のひとり「秋竜胆花月」について、その容姿を描写した文を抜き出してみましょう。
 
 
「一方の花月も負けてはいない。彼女は咲季より頭一つ背が高いのだが、花月の方が可愛い感じだ。少し垂れ目気味のクリッとした目が可愛らしさを強調している。何処と無く二次元美少女的なルックスだ。毛先がほんの少し内巻きになっているストレートの黒髪を今は下ろしているが、むしろポニーテールにでもした方が似合いそうな活発な印象がある。
 身長は百六十センチをわずかに下回る程度だが、すらりとした体型で数字以上に背が高く見える。むらさき花園女子のブレザーはウエストが絞られたデザインで、「可愛いけれども着こなすのが難しい」と専らの評判である。しかしそれがだぶついて見える程、花月のウエストは細い。
 更に特筆すべきは短いスカートからのぞくすんなりした脚だ。細すぎないギリギリのレベルで細く、見るからに柔らかくかつ弾力に富んでいる。スカートの丈を極端に短くしているわけではないが、それでも同性の羨望と嫉妬を、異性の称賛と邪心を引き出さずにはおかない脚線美だった。」(一巻P56)
 
 
 長い。上述したいやなマウント成分もマシマシで、地の文なのにどうしてこんなに対抗意識バリバリなんです? って疑問もありますね。これがなぜこうなっているのかを考えた結果、これは「作者という名のカメラマンが介在しているから」ではないか、と私は考えました。

 わりとマジで分からないのが、「あの子に比べてこの子はこんなにかわいいんです! ほらここ見て、こっちだってアピールポイントなんですよ! あっちの子なんかよりうちの子を見てくださいよほら! ねっ、ねっ? 魅力のあまりクラクラしてくるでしょうほら、どうですか!!?」ってさ……ウザいくらいマウントを取ってくるところ、これですね。なにをこんなにマウンティングすることがあるのか、本気で意味不明です。あの子より背が高い×2、あの子よりかわいい×2、あの子より俺好み×2、あの子よりボディーラインも美しい×4と、ベタベタしつっこくてもうガチでウザい。カメラマンお前ちょっと黙っとけ。つかお前の好みなんて聞いてねーよ。

 これはいち個人の読み方なのですが、私は文字を読むと同時に映像を流す、段落が切り替わるとカット切り替え、といったようにして文章を読んでいます。そのような読み方をする私にとって、本作は「ベタベタ気色悪いカメラワーク」というふうに見えるんですね。それでも段落ひとつで平均160文字、私はこれを5秒程度で読めます。つまり、5秒間まったく同じカットが続いたのち、次の場所を映してまた5秒間映像が硬直すると。放送事故やろこんなもん。私は、非常に強い影響を受けた『仮面ライダー鎧武』を参考にして、ワンカット1.5~2秒を四、五回が登場シーンとして適切だと考えているのですが、どうやったら上記のようになるのでしょうか。

 ……という疑問について、「なんか似たようなカメラワーク知ってるな」と思ってしまうのが男のサガだったりします。具体的に言うと、アイドルのイメージビデオとか、アダルトビデオの導入。とくに、素人モノの街頭ナンパ前、カメラが女優をなめまわすシーンにそっくりですね。ふくらはぎから太ももに登っていくらしい感じもそれっぽい。魅力的な女性を映した映像について、もうちょっと資料を増やした方がいいんじゃないですかね。女性=セクシー女優って映し方、いい加減にやめようね。

 このカメラワークについて、どうして『魔法科』ではあんまり気持ち悪く見えなかったのかですが、これはおそらく、佐島勤の書く文章が川原礫の書く「三人称風の一人称」の真逆、「一人称風の三人称」だからでしょう。そのせいか、さんざっぱらヒロインを他の女性と比較して持ち上げる様子も、重度のシスコンである司波達也の視線として見ることができます。

 そういった視点でこの文章を読むと、三人称では存在しないはずの「主観」がなぜか浮き彫りになってしまい、「シスコン兄貴の妹びいき」が「どこにも映っていない人物による執拗かつ悪質な盗撮」にスライドしてしまいます。三人称視点なのに主観的な書き方を変えられていないところ、これが最大の問題ですね。

 単語だけ見ると三人称に見えるんですが、比較表現が多用されるため主観的な視点がより強くなり、「私から見ると咲季より花月のほうがかわいい」という意見がうっすら透けてきます。そうなると、読者はこの「主観」の正体を探すのですが、どこにもそれらしい人物がいません。本作は執行官である暁流と協力者である花月のダブル主人公なのですが、この主観に誰を代入してもおかしなことになるんですよね。

 第一候補として暁流を代入すると、ろくに知りもしない女子高生を隣の子と比較して持ち上げまくるクソキモストーカーになります。そもそもこの場にいないので、この選択肢を取ること自体が間違いですが。

 第二に花月を視点人物として据えると、筆舌に尽くしがたいレベルでキッショいナルシシズムに溺れていることになります。さすがにないよねー。ちょっとこう、吐き気。隣の子なんて引き立て役、って思ってる女子がラノベで主役張るのは無理やろ。この場にいるのは花月・友人の咲季・その兄である陸久なので、誰を視点人物にしても「私から見ると咲季より花月のほうがかわいい」という思考に違和感が出ます。マジで誰なんだよお前。


 
 この謎の違和感をなくす方法は、思いつく限りだと四つあります。ひとつは「シリーズ全体を通じての主役を一人に絞ること」、もうひとつは「そのシーンは誰の視点なのかをハッキリさせること」、もうひとつは「主観の入った言葉を使わないこと」ですね。実行不可能な提案として「マウンティングをやめること」がありますが、まあこの作者には無理だろうと想定し、放棄します。こんな年齢まで染み付いてる性根が治るわけがないので、小手先のテクニックだけ提案しましょう。思考のクセを治したいならカウンセリングでも行っててください、私は知らん。プロの言うことでも聞かなさそうだけどね。

 この作品でやるべきは「そのシーンは誰の視点なのかをハッキリさせること」ですね。これがもっとも簡単ですし、おそらくこの作者に実行可能な唯一の方法です。こんな素人に言うようなことを十年以上活動してるプロに提案するなんて、笑っちゃいますね。

 やり方はものすごく簡単で、三人称であっても「○○(視点人物)はこう考えた」みたいな書き方をすることですね。そのシーンでは視点人物だけにフォーカスしてほかの人物の思考を描かない、これだけで視点人物が一人に定まります。ものすごく簡単なことなんですが、認知に問題がある人というか、すべてのキャラを自分から切り分けている人だと、こういった問題が起こりがちです。

『魔法科』でこうならなかったのは、たぶん司波達也=「理想の自己像」と、司波美雪=「理想の女性像」に一定の距離があったからでしょう。今回の『魔人執行官』では女性を主人公の一人に据えたため、視点人物になるべき人物をえこひいきしている謎の盗撮魔がいるように見えています。作者にきわめて近い感性を持つ人物を主人公に据え、その人物の目線で物語を描いていく、これがもっともよい方法だと考えます。

 レスバとかするタイプの作者を延々煽り散らかすのもよろしくないので、次に移りましょうか。

 
 
4,ヒーローもののセオリーについて
 
 上述した通り、この作品のプロットはまともに組みあがっていません。要するに害獣駆除ドキュメンタリーなので、まともに語れる中身がないんですよね。熱心な読者はイベントの流れをして「話の中身」とすることがあるのですが、本を読む人のいう「話の中身」というのは作者のメッセージのことです。選民思想がそれだというなら、私個人としては「黙っとけ」の一言で一蹴しますけど。

 それはともかく、作者によるとこの物語は「ダブルヒーローを主役とするヒーローもの」なんだそうです。今までちっとも言及していませんでしたが、二巻から登場する山城という青年が暁流に続くもう一人のヒーロー役らしいです。影は薄い見せ場もない共闘シーンもない、これがダブルヒーロー? どういう冗談で言ってるんでしょうか、理解できませんね。

 読者からの見え方として、単なる捕食者であり金銭目的の業務として害獣駆除を行う暁流は、アンチヒーローに見えます。山城はというと、肝心なところでちゃんと決めないうえに出番も少ないので、主役を張れるような人物ではありません。ま、作者の思い入れがあんまりないからでしょうねー。花月はすさまじい才能を持ち、暁流と並び立てるほどの超能力を操るのですが、前線に出て戦うことはほぼありませんでした。

 出版年である2016年にはすでに女性ヒーローはたくさんいましたし、女性主人公の物語もたくさんあります。仮面ライダーだと……並んで戦えるようなバリつよ女性ライダーはまだいなかった時代ですかね。ファム・沙耶デルタ・朱鬼・キバーラ・なでしこ・メイジ・マリカ、年代的にここ止まりかな。

 仮面ライダーに絞った話をしなくても、スーパー戦隊の女性ヒーローはずっと最前線で活躍し続けてきてるんですよね。「女性は後方支援でしょ」というワイジアンの主張を見ても、じゃあ『魔法科』の美雪は違うのか? って疑問があります。あれほど強いヒロインも珍しいくらい強いと思うのですが、どういう考えの変化があったのか、はなはだ疑問です。戦える力のある人物が戦うのだから、そこに男女の違いはないと思うのですが。

 味方のダサさもそうですが、敵にもちっとも魅力がありません。しつこいほど述べてはいますが、本作における人類の敵NEOは、寄生生物によって思考や行動を誘導されているだけです。ある意味での被害者ともとれますし、操作された思考以上の考えを取ることもなく、超能力を利用して悪事を行おうとしたのは、強くなりたいからと力を求めて同族殺しに走った脳筋だけです。じゃあこいつがボスになるのかと言えばそうでもなく、ゲスト怪人めいた立ち位置から出ませんでした。

 ヒーローもので求められているお話は、これら害獣の発生する原因は何なのかを突き止め、元凶となる人物・現象を止め、虐殺の被害をゼロに近づけていくことでしょう。何巻やる予定だったのかは分かりませんが、物語全体を貫くコンセプトがいっこうに見えませんし、倒すべき敵もゲスト怪人以外にいません。

 私は初代『仮面ライダー』の視聴をけっこう早めに離脱してしまったのですが、その原因は「怪人が出る→倒す」って話を延々とやってたからですね。早い話がワンパターンで話のつながりも希薄、と見えたからです。たぶんラスボスの伏線とかないでしょうし、単発で「実はこんなものもあったんだ!」という設定の回収(洗脳完了したバッタ男=ショッカーライダーとか、自ら改造されたさそり男とか)もあったとは思うのですが、話が進んでいるようには見えなかったんですよね。次に配信されたらがんばって観ます。

 事実上の打ち切りである三巻のラストでは、敵の考えていることもよくわからないまま目的も達成されてしまい、ちっともすっきりしない終わりを迎えました。解決策も提案されていませんし、害獣と猟師以上の見え方も出てこないので、どういった目線で楽しんだらいいのかさっぱりですね。

 
 
5,選民思想とは何なのか&まとめ
 
 単語として使いまくってきた「選民思想」という言葉ですが、言い換えると「謎理論で周りを見下す、はたから見ると意味不明なエリート意識」ですね。じつは私も選民思想を持っています。

 ご存じの方もいるかもしれませんが、私は怪人を自認しており、つねづね人間を捕食したいと考えています。体の方はあまり興味がなくて、もっぱら霊魂のエネルギーやら記憶、認知の味ばかりに興味を惹きつけられています。おいしそうですよね。そういった願望をそのまんま出力したお話も書きましたが、まったくウケませんでした。怪人の数はあまりいないらしいと確認できて、ちょっと安心していたりもします。競争相手がいない、ということでもありますので。

 むろん、これらの考えは九割がた冗談です。自分の悪性から目を背けるのはみっともないと思いますが、反対に、それを認められない弱さ・醜さも心の一部分としてあるだろう、ということは理解できています。そもそも「怪人」という考え自体が逃避のひとつですから、このような考えに至らない人がいるのは当然です。「自分は悪でいいんだ!」って言葉にするとだいぶ狂ってますし、誰だって善に近付きたいでしょうし。

 でもねー、選民思想の生まれる背景ってだいたい理不尽な恨みなのよねー。この人なんでこんなこじらせてんの? って思うくらい、欲張りセットのてんこ盛りをやっています。選民思想とマウンティングの組み合わせなんてやられると、作者煽りが始まるのはもう必定でしょう。「○○よりも上に立ちたい!!!!!!」って考えが抜けないのは、イコールで現実における立場が○○よりも下だったという意識があるからです。そこへ思考が至ってしまうと、もう「○○にあたるものって、現実では何だったんだろう?」という詮索が始まってしまうんですよね。詮索をやりすぎると悪趣味なので、今回は思想の発露と思えるモチーフを取り出し、以後の読書や執筆でクセを隠すための参考としましょう。
 
 
■高い位置に住む(マウンティング)
 物理的に相手を見下すため。点数や身長にこだわるのも同じ。
 
■進化した人類に並ぶ旧人類(選民思想・優生思想)
「お前なんかとは違う」をこじらせすぎた結果でも、かなりガチのやつ。末期。口に出して言うやつがいたら縁を切るべき。
 
■容姿(マウンティング)
(笑)
 
■死すべき人類(優生思想)
 フィクションでも、言っていいことと悪いことがあるよね?
 
 
 かなりの劇物なので、創作活動を行っている方々は、こういったものを物語に出さないよう厳重に気を付けましょう。ルサンチマンが選民思想にまで到達してる人自体そんなにいないので、まあ大丈夫だとは思うのですが……。

 容姿に対して(笑)としか述べていないのは、私にとってはさしたる問題ではないからです。人間性がアレすぎて恋人はおろか友人もほとんどいませんが、顔だけはそこそこいいんですよねー。初見さんなら普通に騙せるし、対応もそこまでイカレてないので「娘を紹介したい」なんて人もいたくらいです。自己評価として「会話が成立しないカスが恋人作れるわけねーだろ!」と思ってるので、誰かにこの犠牲を押し付ける気はありません。

 顔がよければモテてたはず、って発想はね……そういうとこだよって言いたくなりますね。現実じゃバランス型が強いみたいですよ。
 
 
 
 ほかのところですでに述べた結論ではあるのですが、この作者は『魔法科』だけの一発屋です。今回でも「魔法科ではここは問題にならなかったのですが」「作者に感性が似た人物を視点に据えて」「まれに見るほど強いヒロインがいる」という記述があったと思いますし、「のちに影響を与えた」「時流に乗った」などなど、作家性と噛み合ったアピールポイントがいくつもあります。だからウケた、それ以外はウケない、ということかなと。

 成功作がほぼ見当たらないロボットもの、ラノベでやるのは困難を極めるヒーローもの、どちらも挑戦する価値はあると思います。やる能力があるかどうかを問われたら、できる限り言葉を濁しつつノーに近い返答をするでしょうか。『ドウルマスターズ』は5巻出したのでいちおう失敗ではない程度だと思います。こちらはというと、まあね……また怪人の出番が来てしまったようなので、ロールプレイ的に怪人としての言葉で締めてしまいましょうか。わりかしイタいけどしゃーない。
 
 
 
 さて、総評になるわけだけど……あなたの中には正義の芯になるものがない、というのが僕の率直な意見だ。エビデンスやファクトの保証する正しさは、「正しい」わけじゃあなくて、ただ事実そのままってだけだ。事実に依拠することは、自分の意見の正しさを保証するためにふさわしい方法だと思う。ま、論文だとしてもこのままじゃあ落第だろうけどね。

 なぜかというと、この物語にあなたの意見がちっとも反映されてないからだ。補強はしてる、でも芯がない。何を伝えたいのか、何を言いたいのか。まさか「俺たちのようなエリートが、はるか格下のお前らごときを支えてやっているからこの社会が回っているんだ」なんて、そんなくだらないことは言うまいね。つらい仕事を美化するにはちょうどよさそうな、じつに美しい働きアリの妄言だね。そこらのきらきらした石英と同じくらいには価値がありそうじゃあないか? どうだい、いっしょに笑ってくれるかい?

 あなたの持つ知識の中では、本作における悪を否定することはできなかったのだろう。だがそんな知識は必要ない! だって僕はあなたの感情論を聞きたいからだ。人類は人口爆発によるアポトーシスを起こすだろう。そしてどうなる、どうなってほしい? どうすればいいだろう。そこを述べるのがあなたの仕事だろ? 途中で投げ出した仕事でカネを取ろうってんじゃあないだろうな。実現可能な方策だけが「正義」じゃないんだよ。

 私は、人の心に不可逆のゆがみを与えることを悪だと思っている。だからこそ、むやみにトラウマを与えたり、虐待めいた教育を行ったりすることは強く否定したい。あなたの憎むものと愛するものは読み取れるが、だったらそれを正義と悪に据えればよかっただけのことだろう。

 あなたがこれまで信じてきたエビデンスやらファクトやらを捨てきれず、感情のみに任せた意見に自信が持てないのは、人としては慮りたいところだ。けれど、それは絶対に否定されないものにすがっているにすぎない。意見がないなら手を挙げない方がマシじゃないか? なぜ解決できない問題提起をしたのか、理解に苦しむね。

 無私の奉仕をし続ける人間はいない。だから目標が、動機が欲しい。ヒーローが戦い続けた先に何があるか、それがまったく見えてこない。人間味がないから、理解できないしつまらない。何かおかしなことを言っているだろうか。展望もなく仕事をやるだけの毎日、理想の自分に近付くための努力だけちょこっとやる。これは誰の似姿なのかな。

 自分を信じることができないヒーローなんていらない。怪人だって、カッコよく勝ってくれない相手なんぞには負けたくないんだよ。あなたは、相手を否定する言葉をちっとも使わなかった代わりに、自分を糊塗する言葉ばかり使ったな。こんな……戦いに気が入ってない、こちらを見ていない相手となど戦いたいものか。人はゴミじゃない、“処理”などしてくれるな。

 いろいろと述べたけれど、結論は「主張がないなら黙ってろ」かな。

 ヒーローは、何かを語って残さなければならない。いわばあなたは、手を挙げて発表を始めた生徒だ。その結論が「殺人は良くないと思います!」だけで終わったらどうだろう。そんなこと知ってるから、殺人が起こらない方法を提案すべきだ、と言われて終いじゃないだろうか。NPOを作る、殺人を事前に検知するシステムを構築する、なんでもいい。バーチャルな解決こそ「物語」というモノの本分だろう。

 問題提起は、解決策とセットだ……これ小学校で言われなかったか? ともかく、悪=問題があるのなら、正義=解決要員はその主張ごと彼らを打ち倒す必要がある。双方にまともな主張がないのなら、それは「ヒーローもの」じゃない。ドキュメンタリーと表現したけど、まあそんな見かたができるかどうかってところだろうね。結論はすでに言った、これ以上言うことはない。

 日和見主義者の次は、黒くなった蛹か。毎度のように素晴らしいものを押し付けてくれるね、まったく。

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