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業界の発展を願っていると言いつつ、売れなかった作品を分析して問題点を述べていくだけでは、はた目には健全な活動に見えないように思います。以前にこのような活動について司法解剖になぞらえたことがありましたが、解剖医が健康の増進に役立っているか、と聞かれればおおむね「ノーではないか」という答えが返ってくるでしょう。
不健康や傷病の原因は、ほとんどが広く周知されたものです。包丁で刺されて亡くなった方を解剖し、傷が肝臓に届いていて出血性ショックを引き起こしたのだ、と診断されたとしましょう。けれど、一般人は「加害者が被害者を刃物で刺した」くらいにしか考えていません。むろん、刃物で血管を傷つけないように気を付ける、なんて諸注意が頒布されるわけもありません。
私は、これから物語を描く作り手のために、さまざまな注意点を取り出しています。しかし、それが反映されるのは早くて数か月、長ければ数年の期間を要します。そもそも著名でもなく説得力があるともされていないので、まったく誰の助けにもならない可能性もあるでしょう。
ではその場合にやるべきことは、個人的、あるいは小規模な健康増進、つまりふつうのレビューでしょう。死を迎えて運び込まれてくる亡骸がないのなら、生きている人をもっと長く健康に生かす方法を考えればよいのです。
長々とつまらない感傷に浸るのもよくないので、さっそく紹介に移りましょう。今回紹介するのは、こちらです。↓
『男女比1:5の世界でも普通に生きられると思った? ~激重感情な彼女たちが無自覚男子に翻弄されたら~』三藤孝太郎2024/2/10 株式会社KADOKAWA(電撃文庫)
(ウェブ版はこちら:貞操逆転世界で普通に生きられると思い込んでる奴(男女比1:5の世界でも普通に生きられると思った?)(@koutaro1226) - カクヨム (kakuyomu.jp))
実のところ、私はラブコメをあまり読みません。深いところにある怒りと結びついた暴力性がいまだ熱を持ってくすぶっているため、どうしてもバトルを求めてしまうのです。ところがカクヨムでは、注目されている作品がサイトトップ近くに上がってくるので、ログインする前だと自分がまったく注目していないジャンルの作品にも出会うことができます。ここは明確に『小説家になろう』に勝っている点ですね。
レビューから入ったり注目作品から入ったり、いろいろな方法で新しいものを探してみているのですが、そうそう都合よくおもしろい作品に出会うことはありません。書籍化している作品でも面白い方がまれなので、ちゃんと好みに合うものが見つかることはほとんどないと言っていいでしょう。ラブコメジャンルはだいたい地雷なので、二話くらいで面白くなければすぐ読むのをやめます。
まあでも、この作品って面白いんですよね……書籍化されるにあたって「ひとつのイベントを男女それぞれの視点から見る」というお話のつくりがどうなるか心配だったのですが、ちょうどいい感じに収まっていました。さすがやでほんま。
知らぬ間にいわゆる「貞操逆転世界」であるパラレルワールドに転移してしまい、ごくふつうに暮らしているはずがたくさんの女性を引っかけてしまって……というあらすじを見て、まあ“アレ”よな、と最初は思いました。アレというのは、貞操逆転世界にありがちなものすごく気持ち悪いハーレムのことです。結果的にはまったく違ったので、とても面白くて、安心して読めました。そういうわけでおすすめしています。
字義でいう貞操あるいは操とは、「わたくし旦那以外とはセックスいたしませんわの誓い」みたいなもんです。下世話で下品な言い方になりますし性差別めいた要素も加わってくるのですが、生物学的な雌性はより優秀な遺伝子を選んで残す使命を持っています。その事実を考えると、自己の持つそれともっともよい組み合わせの遺伝子を選んだ、ということにでもなるのでしょうか。どうも、これらの作品群では貞操とは上記のような意味ではなく、ジェンダーに近い扱いをされているようです。
男性には貞操はないのか、という意見も出てきそうなのですが、上記のような生物学的な雄性を考えてみると、答えはノーでしょう。より多く子孫を残すことを目指す雄性は、性質上多くの相手と交配することになります。よほどよい組み合わせ、完全なベストオブベストの相手を見つけない限り、特定の雌だけと交配することにメリットはありません。絶対いない。つまり、生物学的な雄性に「特定の相手とだけ交尾する性質」はそもそも存在しません。そのため、「結婚制度を崩壊させないため」以外の理由では、ヒトの男性が特定の女性のみと交配する理由は少ないと言えるでしょう。妾だのハーレムだのが実在したことが、その証拠になると考えます。
よくみられる貞操逆転世界では、女性が「ういーあっちぃー!」と薄着でうろうろしたり、複数で取り囲んで主人公を性的に誘惑したり、といった描写があります。最初はそういうものかなとも思ったのですが、冷静になってくると「これって“貞操”なのか?」という疑問が出てきますし、ただ主人公にとって都合のよい世界というだけなのではないか、とも思えてきます。
そして、異性に対してそのようなふるまいをするのか? というところが疑問として立ちはだかります。男性が女性に対してやや下品に、女性は男性に対してやや上品に、という古臭いステレオタイプを考えてみても、少年が少女の前にパンツ一丁で現れるものでしょうか? そして、ヤリたい盛りの青年が女性を複数人で取り囲む光景は、はたして日常にあって微笑ましく通り過ぎられるものなのでしょうか。どちらについても、そうであるべきでない、と考えます。
結論として出てくるのが「これってエロ漫画なのでは?」という、ものすごく下世話な感想ですね。主人公が女性に囲まれる展開ありきで舞台設定を作るとき、このジャンルならやりやすいと考えたのではないか、というのが私の推測です。結局のところ都合のいい女性がたくさんいるだけ、世界観としてのジェンダーのずれは特になく、そのあたりがこの舞台設定が崩れやすい原因なのだと思われます。
本作における「貞操逆転世界」の面白みがどこにあるかと聞かれれば、まず述べるべき感想は「これ絶対俺らだろ……w」あたりでしょうか。
ジェンダーが逆転した世界では、社会的地位・役割が逆転しています。女性は男性に言い寄り、男性は女性をそでにする……といった描写が、本作にもありました。しかしながら生物学的なところから生じたのであろう女性性はそれほど変化しておらず、舞台設定と地に足のついた納得感を両立できていると思います。
具体的に何が言いたいのかと言いますと、主人公の青年に対してヒロインたちの向ける感情や態度が、女性特有のかわいらしさを保ちつつ、男性の共感しうるものになっている、ということですね。
貞操逆転世界におけるキャラクターたちの行動の説得力は、つまるところ「男/女はこういうことする」が正確に逆転しているか、という点にあると思います。その点で言えば、ふつうの少年は少女を取り囲んでセクハラを連発したりしませんし、女性が男性に混じって活躍するという文脈も、とうの昔に使い古された作劇のやり方です。揶揄に近い言葉として「お仕事モノ」なんて言われたり……していたか、私の記憶違いかもしれませんが。
大学でかなり距離の近い異性にちょっとばかりの独占欲を出してしまう。いつも行く公園で会う年上の異性が、自分をからかいながらもバスケの練習に付き合ってくれる。先輩に教えられたお店で出会ったコを指名するのはほとんど自分だけで、どうしても執着してしまうことに自己嫌悪を覚える。なるほど、どれも男性が女性に抱きがちな感情です。多面的でいくつもの魅力を持つ女性がとても魅力的に見えることも、男性の持つ価値観からみて強い説得力があると思いますし、ひとつの面だけを見た男性が「この女性の魅力を知っているのは自分だけだ」と思い込むことも、少なくない事例であると考えられます。
ごく単純化して……というか言葉としては繰り返すことになりますが、本作の登場人物は正しく“貞操逆転”したふるまいをしている、という点がいちばん面白いところだ、と言えるでしょう。そのため、行動や感情に共感できますし、「貞操観念の違い」というジャンルの面白みがさらに際立ちます。ヒロインの行動に共感できる作品って、ものすごく希少で素晴らしいものだと思いますね。
全体に、現実世界でもきちんと生きている人間が描いた、地に足のついた物語だなという印象を受けました。電撃文庫がカクヨムの作品を取り上げ始めてから、正直なところ「これもうアカンか……?」と思っていたのですが、これが書籍化されるならまだ希望はありますね。ウェブ小説でまともなラブコメがあること自体驚きというか、それ以前にアニメ化されたあれこれがひどすぎたのか……後者を視聴したせいでバイアスがかかっていた、と考えるべきでしょうか。
これからも、よりよい作品がより多く消費者のもとに届くことを祈っておきましょう。