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『モバイル・ソウル』について

※「種としての怪人」について考えるため、『仮面ライダーファイズ』のネタバレと考察を含みます。

『モバイル・ソウル phase-1 覚醒:unveil』新田周右2018/12/7 株式会社KADOKAWA(電撃文庫)
・続刊の広告が入っているのに刊行されない。何があった?
・巨大売れない要素「怪人」「人体実験」を堂々とぶち込む人間魚雷
・自己満足で戦う敵たち。大規模テロを阻止しているのにカタルシスは薄い
・組織がいくつもあるのに、どれもまったく協調しないし規模も不明。世界を牛耳った企業も登場するが、正直言ってまるで出した意味がない
・バトルのテンポが異常に悪く、セリフを挟みすぎ。能力やビジュアルの変化自体もさして見栄えがしないので、立ち姿の衛宮士郎の方がかっこいい
・怪人を期待して読んだが、期待外れ。「人型の廃材アート」という微妙に想像しづらいビジュアルや、初見でも対処できるほど能力がショボいのも問題。まだしもバトルレイダーがゲスト怪人やった方が面白そうなレベルだし怪人性も薄め
・魔法科ライクの売り方をしたいのだろうが、設定や登場人物の数があそこまで多くないため巻頭の資料集は不要。歴史的背景も述べていないため、明らかに数段劣る
・佐島勤先生が推薦文を書いている……が、明らかに尺不足・能力不足で省かれている部分について言及したり、無駄に意味深な煽りをしたり、ごく小さい部分について延々述べたりとグダグダ。弱点を暴いちゃダメでしょうが……
・編集部にどういったノウハウが蓄積されているのか不安になった一作。もう二度と、絶対にこんな失敗しないでください
 
 
 以前から何度も言っているように『モバイル・ソウル』はうん……アカン。カタルシスが薄いためカジュアルな読者を引き込めず、売りの部分こそがいちばんの欠点であるという凄まじい作品でした。斜に構えた主人公にアツさはないし、文章の温度も低めなので「魂を焦がす物語」ではないかなと。怪人は(しっかり説明すると本編一話分以上かかるので中略)売れない要素なので、ゴリ押しで無理やりか異形種()にするかの二択か……。結局ニッチなんですけどね。
 ラノベの本体「キャラ」、売りである「バトル」「SF」、要素としての「怪人」「人体実験」そして「売り出し方」がぜんぶアウトというのはなかなか珍しいと思います。だからこそ貴重なのですが、私は業界の発展を望んでいるので……。CMまでやったらしいものが売れなかったし広告を入れている二巻が出ない、推薦文を書いた佐島勤先生の株まで下げるというのは凄まじいくらいの損益なんじゃないでしょうか。
 嫌いではないんですが、話の規模はもっと小さくできたし、ところどころ意味不明な造語が出てきていたり言い回しがスベっていたりするので、加点はされないけど減点を食らいまくって順当に売れなかったんでしょうか。あまり言いたくはなかったんですが、パクリ疑惑もあるんですよね……私はあまりゲームやらないで育ってきたので知りませんでしたが、それ以上に売れない要素が多すぎるので関係ないかなと思います。演出見たら確かに似てましたけど。
ひとまずは「怪人=売れない」の方程式を証明した人柱のひとつとして、怪人大好きな私から涙ながらの感謝の言葉を送っておきましょう。
 
 
 
 以上が研究として述べた内容です。

 いきなり説明に入りますと、「怪人」という要素が意味するところは所属コミュニティにおける強い疎外感、あるいは肉体的な違和感・不調が持続する状態を表している、と考えられます。現在、半分ほどこれに相当する人間が暴れまわっているそうですが、まあ、あまり深く触れないようにしておきましょう。誰しも、怪人でいたいと思うほど思考が捻じ曲がるには時間がかかるものですから。

 私本人がこの要素を好む理由は、軽い発達障害で保育園時代から現在までひどく浮いており、また読書バカとして心身の不調を感じ続けてきたからだ、と考えています。一種の変身願望を含んでいるようにも感じるのですが、これはヒーロー願望から枝分かれしたもののようにも思えますね。怪人にヒーロー願望がないかと言われればそうとも言えないので、このふたつが混じることはある程度仕方がないようにも思えます。

 というのも、怪人が登場する物語にはヒーローが登場するからです。『仮面ライダー』シリーズには必ず怪人が登場しますし、『スーパー戦隊』シリーズにおいても同じです。戦う相手として演出する以上、ときたま「カッコいい怪人」が登場することはあります。そして、ヒーローに憧れるように怪人に憧れる子供も生まれてきます。「力を振るうことでカタルシスを得る」という文脈を誤読すると、ヒーローと怪人が同じに見えることはあるでしょう。じっさい、仮面ライダーのテーマのひとつとして「同族殺し」があるため、ここについて同じだとする意見にはひとまずうなずけます。

 では、怪人とヒーローの違いはいったいどこにあるのでしょうか。いろいろと答えがあるとは思うのですが、間違いないところとして「人間社会の倫理・道徳の基準に合わせようとするか否か」、これがひとつの分水嶺であると考えられます。怪人たちは平然と法律を破り、いやがる声を無視して加害を行い、大切な思いや人命をためらうことなく傷つけ、奪います。人間やヒーローはこういったことをしないか、極力しないよう心がけていることでしょう。

 ところが「所属コミュニティのために力を振るい、それを誇りにしている」というキャラクターがいた場合、それをどう解釈するかは組織がどちら側であるかによって変わってしまいます。たとえ「仲間を守り、忠義に篤く、皆から慕われる人物」だったとしても、悪の組織に属していればそれは怪人です。怪人を物語の中心に据える際は、どうしてもこのような人物像になってしまいがちです。これこそが「ヒーロー願望の変形としての怪人」であり、怪人願望の中心にもっとも近いものだと考えられます。怪人願望とは、要するに「自分が悪いことは分かっているが、それも加味して受け入れてくれるコミュニティが欲しい」という、すさまじく身勝手なものなのです。


 
 長々と説明しておいて言うのもなんですが……悲しいかな、そういったことは読まずとも知れています。怪人とは何かなんて説明しなくても、たいがいの人は「悪役」と答えてくれるでしょうし、じっさいそれ以上でもそれ以下でもありません。反社会的な欲求を肯定しよう、という発想はとても危険ですし、賛成する人は少ないでしょう。

 まったくナンセンスなやり方として「ゲスなヒーロー/優しい怪人」という形で物語が作られることがあります。自分が力を振るう正当性を持たせるために世間様を貶めるのは、醜さが透けて見えるだけなので、やめたほうがいいでしょう。怪人でありつつ人間でいたいと考えるのは、強欲に過ぎるというものです。

 そういえば、究極的に大きな問題として立ちはだかる事実を述べるのを忘れていました。怪人を主軸にした作品を読もうとするのはニチアサ視聴者層(おそらくはライダーファン)のみ、加えて逆張りをするようになった好みのうるさい連中だけです。そもそも取り込める人数が少ないうえにどんどん先鋭化していくので、市場としてはレッドオーシャンどころか、元の面積からしてビニールプール程度と考えるのが妥当でしょう。こんなものを手間暇かけて作ったところでウケる余地はまったくないので、挑むだけ無駄です。

 と、ここまでの超絶長い説明を経て、ようやく『モバイル・ソウル』の説明に入ることができますね……。怪人が出てくる作品は、連綿と続くニチアサの文脈によって、すばやく特撮あるいはヒーローものに分類されてしまいます。ここで、私のように怪人大好きな読者は、大きな期待を持って読み始め、怪人の情報を細かく評価します。私見と私情が強く含まれているため、あくまで灯村秋夜の基準であることをご理解いただければと思います。
 
 
・変身コールすんのは幹部だけじゃボゲェ!!!(-10点)
・ビジュアルが分かりづらい(仕方ないので±ゼロ)
・弱い(-80点)
・目的が単なる自己満足(どうでもいいので±ゼロ)
・変身演出が凝っている(+100点)
 
 
 はい、トータル10点ね。

 本作に出てくる怪人は、魂の一部が欠落する病に罹患し、その間隙にほかの生物の魂が入り込むことで怪人態に変化します。「人型の廃材アートのような」ビジュアルは、おそらく『剣』のアンデッドにラスターカラーの色彩を加えたようなものだと思われます。実際のイラストだと『W』のドーパントからディティールを少々取り除いたような感じで、クリーチャーデザインとしてはうん……まあ、うん。

 本編中の活躍を見るに、平均的な戦力はクッソ弱くて、固有の超能力や驚異的な防御力・再生能力は持っていません。一般人を襲うシーンがほぼないので、分かりやすく怪人の基準となる「警官隊に勝てるか」も不明です。マジかよ。

 私がなぜこの「警官隊基準」を重視するのかというと、ヒーローの出番があるのかないのかを判断する材料になるからです。私は、ミステリをいっぱい読んでいたせいか、わりかし結果論にこだわっています。プロットの完成度うんぬんを言うのも、ミステリはすべてがきれいに組み合わさったものだからですね。不要な部品はいらない、って考え。

 怪人や怪物が一般人の手で倒せてしまうと、きわめて特異な能力や専門の装備を揃えたヒーローの出る幕がなくなります。そして、彼らに対する恐怖も薄れてしまいます。そういったつまらなさを防ぐため、ヒーローものでは「現実的な対応だけでは追い付かない、より強い力=ヒーローが必要である」という演出が必要になります。それが「拳銃が効かない、警官隊の包囲網があっさり突破される」展開ですね。

 仮面ライダーシリーズの怪人はアホほど強いやつ揃いで、駆け付けた警官たちを単独で全滅させることができます。拳銃の弾丸を弾き返す皮膚、ビンタしたら警官が即死、パトカーはひっくり返すとやりたい放題。こんなもん人間じゃどうにもならん、と視聴者が理解することで、よりヒーローの存在の説得力が増し、彼らの登場が待ち望まれるんですね。

 そこでもう一度クランケを見ると、そもそも一般人には知られておらず、専門の対処要員はすでにおり、まったく脅威になっていません。『カブト』のワームみたいな感じでしょうか。本作の一巻はイントロダクションとしての意味合いが大きい、と思ってはいるのですが、脅威としての度合いが分かりづらい点、ごっこ遊び感は否めません。

 怪人には生態や目的があり、それらに基づく行動で人間に被害を与えます。そのような設定として見ると、この怪人のもっとも大きな脅威は「染礼(=感染)」でしょう。クランケは、相手がそれを受け入れることで魂の欠落を伝染させることができます。受け入れるハードルは少しばかり高いのですが、一巻ラスボスは人の意思を希薄にする薬剤を広範囲に散布し、クランケのパンデミックを起こそうとしていました。

 ここで問題になってくるのが、クランケの脅威とは具体的に何なのか、という点です。さっき言ったじゃんと思うかもしれませんが、パンデミックが起きたのち、大量発生したクランケはどうなるのかが不透明でした。むろん対処要員の数は少なく、クランケの存在を隠匿することもできなくなりますから、たいへん危険であることは間違いありません。しかし脅威度が分からないとなると、数が増えることの危険もよく分からなくなってきます。

 単なる反社会的勢力なのか、人智を超えた人間大の災害なのか。このあたりがはっきりしないと、大仰な対処がとたんに馬鹿らしく見えてきます。イノシシ一匹を狩るために戦車が出てきても「なんで?」って思いますけど、見上げるような巨体の大怪獣が出てきたら、イージス艦でも足りなさそうに思えるのではないでしょうか。「人型の化け物」には、これら以上に分かりやすい基準を付け加えなくてはなりません。それがつまり、私が述べた「警官隊基準」です。

 人型・人間大でありつつ、すさまじい膂力や対処不能の超能力を持ち、現実的にかれらに対抗できそうな戦力をたやすく蹴散らす。しかし特殊な対抗手段が存在し、それらには為す術もなく倒される。これがヒーローものに登場する怪人です。描写を見る限り「対処不能の超能力」を持つものは上位のみ、かれらに対抗する戦力はごくわずか、社会に対する脅威としてやや弱いと考えざるを得ません。


 
 黎明期から、ヒーローものにおける悪役=ヴィランには、こいつを放っておいてはいけないと思えるはっきりした根拠が存在します。例えば初代『仮面ライダー』におけるショッカーは大量誘拐や大規模破壊を何度も計画・実行しており、ほとんど手遅れのレベルまで事態が進行しても、それらの事件が発覚していません。仮面ライダーがいなければ、間違いなく世界はショッカーのものとなっていたことでしょう。毎度のようにばったばったと倒される戦闘員も誘拐された一般市民の成れの果てだ、と言えばその恐ろしさは伝わるでしょうか。

 ではCASクランケを放置した場合、いったい何が起こるか。答えは「特に何も起こらない」です。本編開始よりも前からクランケは存在し、潜伏して社会活動に勤しみ、人間と交配してもいます。まあ人間の発展形だし……と考えても、仮面ライダーシリーズにはすでに「人間の進化系」がいるんですよね。ご存じ、オルフェノクです。

 死亡した人間の細胞が変異を起こしてある種のエネルギーを扱う素質を獲得し、死の間際に思い浮かべた生き物に似た姿に変身するのが、『ファイズ』に登場するオルフェノクです。オルフェノクに進化した人間の情報は巨大企業スマートブレインになぜか把握されており、企業の扇動やそれによる殺人への慣れで、彼らの精神はどんどん怪物化していきます。

 小説版だけの設定か、と思っていたら二十周年記念作品『パラダイス・リゲインド』で正式な設定になったのが、彼らは本能的な殺人衝動を持つ、というものでした。扇動を拒否するものたちはそれなりにおり、彼らを処刑して恐怖政治を行うことがスマートブレインの方針だったため、この設定って正式やったんか……とやや困惑しました。しかし、オルフェノクを生物として考えた場合、この設定には深くうなずけるところがあります。

 というのも、オルフェノクの体質は非常に不安定で、変身したり超能力を使ったりすると体に大きな負担がかかってしまいます。許容値を超えると細胞が灰状に崩壊して死亡するため、生物種としての数を保つことができません。彼らはすべて、「使徒再生」と呼ばれる特殊なエネルギーを用いた殺人を行い、殺した相手を一定確率でオルフェノクに変える能力を持ちます。これがオルフェノクの繁殖なのではないか、とファンの間では推測されています。私も同意。

 続く『剣』ではすでに「ヘイフリック限界」(細胞が分裂できる限界の数)という単語が使われているため、この年代にはすでに「細胞分裂が一定に達するとそれ以上分裂できなくなり、それが人間の寿命のひとつである」という事実が知られていたようです。つまり、オルフェノクは個体数が非常に不安定な生物群であるため、無意識のうちに繁殖を強く求めているのではないか。そうなれば、彼らの殺人衝動は生ではなく死に基づいた性欲なのではないか、と考えられます。二十年あるしぜったい誰か同じような考察してるだろうなー……今さら言うのクッソ恥ずかしい。


 
 そこで本題に戻ってみると、クランケの種として・個体群としての習性はとくにありません。欲求が肥大化して社会活動に支障をきたす、思考が変容して心まで怪物になる、交雑種を生み出して破滅的な被害をもたらすなど、人間社会に対する害がとくに描かれていないんですよね。それどころか、ヒロインの母親は人間の男性と交際してヒロインを産み落とし、人間に敗れて死亡したらしいことが描かれています。

 では人間として暮らしていける、バレることもなく人生を終えられるのではないか、これは怪人たりうる存在なのか、という疑問がどうしても出てきます。個人的に、怪人の定義を広くとると「超常の力を持つ反社会的存在」だと思っています。そうすると、やくざは超能力がありませんから怪人ではないし、独自の社会を築いている亜人種も怪人ではない、と考えられるんですね。

 超常の力を持っていても社会になじむことができ、それゆえに何ら問題を起こさずに過ごすことができるのなら、それは怪人ではないと思います。ここんとこは私自身が変わり者すぎて「まあ、そういう人もいるし……」でだいたい受け入れられるからですかね。とはいえ、心も体も常人と変わらないのなら、それは人間扱いしてもよいと思います。

 本作のラスボスは、副作用の強い薬剤を開発したことにより、ある少女を死なせてしまったことを心に抱え続けています。自罰と贖罪のため、彼はその精神弛緩剤「ビター・トランキライザー」を散布してクランケの染礼テロを行いました。これって怪人かなぁ……啓蒙とか警鐘のような意味合いが大きいので、あまりに個人的すぎる理由ですが、怪人というよりとても哀しい悪に見えました。

 ここについて、なんとあの佐島勤先生が推薦文を寄せています。設定を微妙に誤読していますが、「怪人となったことを嘆くわけではなく、その力を少女のために振るう。ここにひとつの正義を見た(意訳)」という点については同意ですね。

 指向性があるぶん笛木の方がマシやんけ何見とんねんというツッコミは別として、主人公もラスボスも秩序を乱す側にいるのだ、という視点は深くうなずけるところでした。そのわりに、上記のように考えるとディティールを彫り込んでいなかったのであろう部分、クランケの社会的立ち位置やその他テクノロジーがどのような社会を築いているのかについて言及しています。いや、えっと……そこはその、作者の能力不足だと思いますが。

 スラムで育ったヒロインは母親であるクランケの庇護下にあった、と明言されているため、クランケが一般社会に知られていないとするにはやや無理があります。スラム街での怪物騒ぎは何度か起きているでしょうし、暴力を行使する大人たちがクランケを仲間に引き入れない理由もありません。たった一人の女性が少女を思春期まで保護することができたわけですから、クランケの戦力はそれなり以上にあるでしょうし。

 結局「ヒーローと怪人」という構図だけ考えて、それ以外のところをちっとも煮詰めていないから、読者によってあれこれと妙な解釈が生まれてしまっているんですね。佐島勤先生は「クランケ差別は起きていないのだろうか?」と述べていますし、私は「これ怪人なの?」と例示を交えつつクソ長文で問いかけています。

 現状「異形の姿になれる」以上の異常は見当たりませんし、そうなったからと社会での立ち位置が変化するとも描かれておらず、判別方法はたった一人の視覚に頼っています。佐島勤先生が指摘したような、そのうち起きるであろう問題がいっさい扱われていないので、指先にこだわるわりに体幹グラッグラみたいな印象を受けますね。細部の設定はぽんぽん出てくるのに、こういう根幹を成すところが甘いので、ここは弱点なんでしょうね。弱点つんつんするのやめたげて……いや、私もやってたわ。じゃあいいか!
 
 
 
 作者の伝えたいメッセージは明確にされているので、そこのところはよく理解できますし、素直にいいなと思っています。「自分への赦し」が微妙に主人公にかかっていないような気もしますが、ラスボスの心が折れるシーンはなかなかよかった……まあ、そこまで読んだらね。どいつもこいつもキャラクター性が見えづらいので、素直に楽しむのが難しいなと思いました。

 もと孤児で、子供たちを孤児院に収容する強制措置からさんざん逃げまくり、結局捕まるも反抗的な態度を貫く主人公は、クソガキ感満載で一周回って笑えます。なんやこれ。そりゃそういう感情はあるでしょうけど、設定として付与された情報をそのまんま守っているようで、あまり人間味を感じません。

 露悪的なのは大人を恨んでいるからであって、同じ境遇にいた子供たちにとっては頼れるお兄ちゃんをやっていたはずなんですよね。彼らが院の職員さんに絆されていくのを見てイラついているとしたらあんまりにもガキすぎますし、結局大人の世話になってるし学校にも通わせてもらってるのに「安い給料でがんばっちゃってんじゃねーよ、偽善者ども。二度と構うなクソッタレ」(P30)などと悪態の嵐。冒頭から30ページでこれなので、好きになれる余地はありませんね。

 どうしてこんな性格になったのかは、明確には描かれていません。どうやら、助け合って暮らしていたとある少女が、その優しさから利用され尽くし、惨めに死んでいったようだとセリフから推測できます。これを言うのは終盤も終盤、事態が手遅れ確定の状態でこれから人としての人生を終えようとしているヒロインに当たり散らす、という形で暴露されるので、真相がわかったところで好感度につながりません。

 物語全体において終始こんな感じで、必要な説明が必要なところに置かれていないんですよね……。冒頭で捕縛用ネットを撃ちまくるヒロインとチェイスするシーン、いったい何だったのかと思い返してみれば、「能力者なので身体能力がずば抜けている」ことを示す布石のようです。未覚醒とはいえ能力者に食らいつくこの女子、クランケだったかなとあちこち見てみたのですが、そういった描写はありません。じゃあこれ意味なくない?

 全体に、話の内容と扱っている話題がやや食い違っていることが多く、上述したようにヒーロー・怪人双方にとくに戦う理由付けがなかったり、SF要素が死んでいたりします。舞台は未来都市……なのにスラム生まれ孤児院育ちの高校生、魂を観測する装置がある……のに超能力は才能依存で完全にオカルト、などなど。『呪術廻戦』の真人は魂を変形させることで自身や他者を変形・変身できますし、『SAO』に登場したSTLは魂を観測・編集できます。オカルトでもSFでもネタで負けていますね。

 何を伝えるために・何を描くのか、という二点で「プロットの完成度=全体の流れ」を評価しているのですが、見る限り、この作品で伝えたいメッセージは「自分への赦し」、そのために描かれているものは「自己満おじさんVSクソガキ」です。いや、そうはならんやろ(冷静)。

 主人公とラスボスの行動原理はどちらも八つ当たりであり、どちらも既存の社会にとって良いものをもたらそうとしていない。この構図だけを見れば、面白くなりそうな予感がします。考えることをやめたものが悪になり、ここからまだ変われるものが正義になると考えると、さまざまな人との出会いが主人公を立ち直らせることでしょう。

 ところが、主人公のガキ臭さはヒロインとの出会いや戦いを経ても大して変わっておらず、自分よりはるかにヤバいやつがいたから目が覚めた、みたいなノリで正義の道へと進みます。そういう道の見つけ方ってアリなの? 現実で考えると説得力はありますが、物語の主人公がそれでいいんでしょうか……自己満おじさんとの出会いでやんちゃなクソガキだった自分を見直した、って後年語ったらぜったい苦笑されますよ。

 物語として面白いというか心に響くというか、エンタメとしてやるべきは「善に交われば善となる」だと思うんですよね。侵略宇宙人が現地で愛を見つけて母星を裏切るとか、そういうやつ。そういう意味でも、一般ウケのツボを外しているなと感じます。
 
 先ほど「テーマの主旨が、主人公には微妙にかかっていない」と述べました。それもまた、面白さの歯抜けを起こしてしまっているように思えます。というのも、主人公の中に残り続けている「優しいだけの少女を見殺しにした」という事実は何一つ解決せず、関連する孤児について厳しく詰問されても「知らない、分からない」で通しています。お前ほんとは責任取る気ないな?

 主人公にもラスボスにもつらい過去があり、そこからの行動の違いで善悪に分かれているのは事実です。しかし、自罰と八つ当たりを混同して大事件を起こしたラスボスに対して、主人公は過去を克服できたようには見えないんですよね。セリフだけを見れば「どれだけ辛くても、前に進もうとすることが肝要だ」と言っていますが、最終盤でまた“見殺し”をしてしまっており、奮起したヒロインと流れで協力してラスボスを倒します。主人公は何も決断していませんし、ラスボスを糾弾する資格があるようにも思えません。なんでこんなにカッコ悪いんでしょうね。
 
 
 
 この作品は、私が過去に厳選したクソムリエのおすすめ八選に入っている作品です。これ八つさえ押さえておけばクソムリエの入門は問題なし! ってくらいキツい……のですが、これはいちばんマシですね。

 ジャンルを見ればやや期待感があるものの、要素がちゃんと組み合わさっていませんし、ストーリーも世界観もあまり見どころがありません。ま、クソとかゴミって言葉を使いたくない主義の私でも「はーカッス!!!」と台パンするような作品だと、期待感ゼロ要素ストーリー世界観ぜんぶガッタガタのボロッボロ、キャラもクソッタレで文章も支離滅裂なんてのが当たり前なんで。聞いてますかこれより前に取り扱った先生方。

 私は「変身」というワードに過剰反応して「怪人=特撮」という文脈で読んだのですが、どうやら『ペルソナ』シリーズを下敷きに考えた設定のようです。私はメガテン系列いっさい知らないんですが、ざっと調べた限り、仮面を付けて変身するヒーローサイド=ペルソナ、体が割れて変身する怪人サイド=仮面ライダーからのインスパイアに見えますね。なんで混ぜたの。

 世界観ものちのち描いていくつもりだったのでしょうし、メッセージを描くための構図も嫌いではありません。どうしようもなく稚拙ではあっても、話の中身があるし日本語として成立しているしで、加点要素があるんですよね……

 ……いや、前言撤回。余計な造語はいくらでも出てくるのに本筋は煮詰められていませんし、ほとんどのキャラクターがストーリーに関係していません。佐島勤先生よりはきちんと小説を書けているように思いますが、ほかの能力は大して変わりません。推薦文に「これにはハマった」と言ってるのも納得で、共鳴していそうだなと思います。メイン能力はこちらの方が上なので、近付いても読んでも意味ないけどね。

 結論として言うなら「なろうかな?」ってとこでしょうか。なんかちょっと期待しちゃった分だけガッカリ感が大幅増量し、個性が出ているようで書きたいものしか書けてないあたり、才能のある素人って感じ。ウェブ小説だとよく見るタイプの、ウェブ基準だとまあまあ読める作品ですね。テーマがちゃんとあるだけで評価爆上げ、そのわりにキャラにはぜんぜん共感できないから全体的にはマイナス。

 ではウェブ連載なら読んだのかと聞かれたら、間違いなくノーですね。プロローグはなんか意味深でちょっと引き込まれますが、冒頭の謎チェイスと罵詈雑言の嵐が一話~三話に収録されると考えると、「どの立場からもの言うとんねんこのカス黙っとけや」と主人公を大嫌いになり、そこまでかわいくないヒロイン登場まで読めるかどうかも怪しいです。はっきり言って掴みになる面白さ皆無なので、さっとタブ消してなんか動画見ます。無料でちびっと読んだだけのものに感想送ったりしない。

 自分が主催した企画だとちゃんと読んで感想送るべきかな? とか考えてた時期もあったのですが、「処女作です」って書いてた作品に「レベル低いけど処女作ならしょうがないッスね」って言ったらバチギレ論すり人格否定と三連コンボかましてきた人がいたので、今ではそんなにちゃんと読んでいません。こちらも失礼なことを言ったとは思いますが、ガチ評価は欲しいけど批判は絶対イヤで評価ポイントはあるだけ寄越せ♡ってね……これだから駄サイクル嫌いなのよね。初動ブーストばっかし考えてた人が「今! 今ポイント付けて! これでのし上がれるんだ!!」とばかりに評価付けてきたこともあったので、ふつうに切りました。あなたじゃなくて作品が好きなんだよ私は、質落とすな。

 基本的にクオリティ以外には興味がないのですが、例えばゲロイン好きな作家がいたとして「まあ面白いけど、これやったら読んでもらえないんじゃない?」って感想は言っていいと思っています。そういうところで、この作品が読者を惹きつけそうな要素ってなんにもないんですよね。推薦文のたぐいも、ラノベだとなんの価値もありませんし。こないだふつうのSF買ったとき、選評が的を射ていてびっくりしてしまいました。それだけ、私の中で「この作品を読んだ感想」ってやつの信憑性が下がりまくってたんですね。

 カクヨムかpixivあたりで読みたいジャンル・要素のタグを入れれば、これよりはるかに面白いものが見つかると思います。書籍だからウェブより面白いとかいうのは幻想ですね。書籍化作品も出てきてるので、品質はそういう意味でも平均化、あるいは下がっているのではないかと思います。出版社がクオリティコントロールできてないことを嘆くべきなのか、在野の才能がいくらでも出てくることを喜ぶべきなのか、どっちなんでしょうか。いい時代になりましたね(白目)。
 
 
 
 今回かなり怪人の話をしましたが、今回は怪人の出番はありません。怪人候補に対して「お前は人間だろ? 人間のくせに何を怪人みたいなことやってるんだ?」と警鐘を鳴らすのがあれの役割なので、人間には必要ないんですよね。「あなたは人間です」って言われたという事実は、私には何の信頼性もないことを除けば、ある程度喜んでいいことだと思います。開花してないだけの怪人が多すぎる。

 クソムリエとしては、これは前哨戦にすぎません。もっと不愉快でおぞましい、人の書いたものとは思われないような書籍がたくさんあります。嘘みたいな話ですが、アレ全部大手ブランドから出版された書物なんだよね。あれが稟議とか通ってるってマ? 要約した人が超絶技巧だったんでしょうか。

 一発屋ならまだマシで、一冊出してその後いっさい消息不明の作家もいるので、今後はそういう人も紹介していきたいなと思っています。数人しか知らない……何人もいたら困りますけどね。

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