ヘッセ『デーミアン』

ヘッセ『デーミアン』酒寄進一訳,2017年,光文社

これだから、この宗教はだめなんだ。旧約と新約に登場する神は素晴らしいけど、それは本来あるべき姿じゃない。神は善なるもので、気高く、父のような存在、美しくかつ崇高、感情に訴えるもの――たしかにそのとおりだ。でも世界は別のものからも成っている。そっちはなにもかも悪魔のせいにされている。そして世界のこっち側では、その半分は隠蔽されていて、黙殺される。神は万物の父として讃えられるけど、命の土台である性については口をつぐみ、ひどいときには、魔性の業(わざ)、罪深い業(ごう)だと言うこともある。神エホバを崇拝することに異議はない。否定はしない。だけど讃えるのなら、この世界まるごとを讃えるべきだ。すべてを神聖なものと見なさなきゃ。意図的に一部を切り離して、公に認められた半分しか崇めないなんておかしいよ。神だけでなく、悪魔も崇拝しなきゃ。そうすべきだと思う。

pp.95-96
  • 善も悪も認める

  • それは若さなのか、理想論なのか

ぼくらの胸中には、すべてを知り、すべてを欲し、ぼくらよりもなんでもうまくやってのける存在がいる。それを知っておいても損はないぞ。

pp.134
  • ヒューリスティック最高

ぼくはふいに鋭い炎のような認識に至った。だれにでも「役割」があるんだ、と。それは選べるものじゃないし、書き換えたり、好き勝手したりしていいものでもない。新しい神々を望むのはまちがいだ。世界になにかを与えようとするなんて、とんでもない独りよがりだ。覚醒した人間にとっての義務は、自己を探求し、自分の形を決め、己の道がどこへ通じていようと敢然と突き進むこと、ただそれだけだったんだ。

pp.198
  • これは仕事の話ではない

    • 自分が社会から与えられたのは、このエリアのこの人数の市場において、この立場でこれを売ることだ、そういうことになった、ということではない

  • 社会から与えられたものというよりは、自分の意志によってどう社会を変えるのか、という話

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