Laboの男32
Labの男32
ルネ・マグリットの絵が好きである点は
ウソを言っていない明智。
スナックママにとって
思い出の品だと言っていたが
まだ思い出になっていない話をしている
印象があり頭に妙に引っかかっている。
明智にとってもマグリットは
片時も忘れることの無い思い出でもあるからだ。
まだエージェント明智 小五郎になる前
橘 了【たちばな りょう】だった
世の中は設定で出来ているなんて
知るよしもない
アイアン来栖メイデン京子に
修行と称して毎日しごかれていた頃の話になる。
「コレなんだか分かる?」
デスクの上に置いてあるペーパーウェイトを
つまんで聞いてきたのがきっかけだった。
橘【明智】のデスク
ちょうど後ろに座っている女性が
振り返りざまにご機嫌に話しかけてきた。
ウェービーヘアーの愛嬌のある笑顔
華奢【きゃしゃ】で小柄。一見
オトコなら誰でも構いたくなるような可愛らしい
印象だが男まさり。物腰は柔らかいが、
しっかりとした意見があり芯の強い女性だ。
エージェントを支えるオペレーターの仕事に
携わることが大半だと彼女は言う。
小比類巻 アンは
橘よりも3年ほど先輩にあたる。
ちょこんと
ペーパーウェイトなる文鎮【ぶんちん】を
指先で持って微笑んでいる。
橘は神妙な表情で考える。
マーメイドなかわいい文鎮ならまだ分かるが
文鎮にしては歪な形をしている。
人魚ってのは、上半身がヒト下半身がサカナ
文鎮はその真逆で上半身がサカナ下半身がヒト
サカナ部分はウエストの辺りまであり
しかも下半身はヒップラインからして
肉の盛り具合からも
女性の下部分でとても異様だ。
半身でこちらを向いて寝転がっており
その佇まいからも女性である事が分かる。
橘「う〜ん、魚人【ぎょにん】?なんだこれ?」
アン「教養が無いわねぇ。橘〜ぁ
コケティッシュで可愛くな〜ぁい?」
橘「どちらかというと卑猥なんですけど?」
アン
「アートとか興味ないの?う〜んとね
ルネ・マグリットってひとの作品なんだけど
作品初の立体化よ。
絵だと背面が見えないんだけどほらっ!
お尻があるのよ〜ぉ!かわいいっ!
ちょうどいいわ。
今度の土曜日、空いてる?」
橘「空いてるけど」
アン「近くの美術館で回顧展やってるのよ。
ちょっと付き合ってよ。
色々教えてあげるからさ〜」
橘「それはデートのお誘いを受けてるの?」
アン「別にデートでもいいよ。
私の魅力に圧倒されるなよ!あははっ」
アイアン来栖師匠からの
鬼気迫る軍隊さながらなトレーニング
ファイトぉ一発〜っな
肉体派の日々から解放されるような
日常を堪能するのもたまにはいいだろう。
しかしなぁ〜小比類巻さんねぇ〜
気が強くなかったらなぁ〜。
ちょっとヘンな所が可愛いんだけど
調子が狂うんだよな。
橘をプレイボーイ扱いしない所に
好感を持っていた。
営業色が強い橘は話しやすかったアンに
頼みごとをしたり
気安く分からないことを聞けたり
事務的なことは全て教わった。
まず、橘には縁がないような八方美人
みんなにウケがいい明るいタイプの女性
ガタンゴトン ガタンゴトン
一定のリズムで2人仲良くゆられている。
車でなく電車で行こうってのは彼女の提案。
2人並んで座り
足を組んでアンの方に身体を傾け眺めている橘。
アン
「ビートルズが自ら立ち上げたレコードレーベル
アップル・レコードのデザインあるでしょ?」
橘
「あの青いリンゴのヤツは見たことがあるね」
「ポール・マッカートニーがマグリットの絵を
所有していて、その絵が使われたのよ。
あのリンゴは紛れもなく
マグリットアップルよ」
「へぇ〜なんでそんなの知ってるの?」
「ファンだからよ」
「でも小比類巻の人生には関係ないじゃん?
そんなことってさ」
「そんな事言っちゃって!大体人生自体が
暇つぶしなんだから何でもいいのよ!そんなの
そもそも印象に残るって
なんて事ないモノが集まって
勝手に思い出になるんだからね。
意味を付けるのは人間だけなんだから」
「すごい哲学的ね!びっくりしたよ。
発想が男っぽいのにもね」
「よく言われるんだよね。
見た目が柔らかくて、ちっこくて
可愛らしいのに中身は
オジさんだなって。う〜〜ん」
「自分で可愛らしいって言っちゃってるね。
はははははっ」
「橘は私のこと
カワイイって思ってるんでしょ?」
「うん、思ってるけどね〜ぇ?
でもそれ以上にヘンだからね小比類巻はさ」
「もぉ〜なんだかなぁ〜。
ちゃんと言ってよ最初の部分だけ」
適当にカラ返事の橘
「うん、うん、カワイイって小比類巻は」
「いゃ〜ん
いいだろう、チケット代おごってやる!」
ガタンゴトン ガタンゴトン
美術館に到着
意気揚々と先導して歩く彼女について行く橘
軽く飛び跳ねる様に歩く後ろ姿を横目に
小比類巻の高まる胸が
アクションに漏れ出している。
【う〜んこういう所はカワイイんだけどなぁ〜】
振り返ってピカピカの瞳をまっすぐに向ける
小比類巻
「今回の回顧展は
コイツが観れるから来たかったのよ」
ごそごそ
「ジャン!」
ポケットから取り出した魚人ペーパーウェイト。
「なんで持ってきてるのよ、こんな所まで?」
「手のひらに乗せて絵画の前で
写真撮らないといけないからね。
その時は、橘!
ステキに撮るんだからね!
チケット分、働いてもらう!」
橘はアンに連れられるまま後をついていく。
目の前には魚人の絵があり
タイトルは『共同発明』
浜辺に打ち上げられた魚人が横たわっている。
橘は
【なんでこのタイトルなの?】
と思いつつもアンの行動に目がいく。
まだ、少し絵との距離があるにも関わらず
棒立ちのアン
小刻みに興奮して震えている。
「うおおおっ、高まっちゃうっ」
それを目の当たりにして少し笑っちゃう橘。
「大丈夫?クスリ切れてるんじゃない?
早く注射しないと
おかしくなるんじゃないの?」
アン
「何言ってんのよ!ナチュラルハイよっ
あれっ?すごくない?シビレないの?」
「ちょっと距離が遠くない?
面白い絵だけど、そこまで来ないね」
「題して!人魚を想像してたら
魚頭の女性でした!って事よ」
橘の手を強く握り締め
入り口付近まで誘導するアン
「まず最初の方にパイプの絵があったでしょ?
コレを観てね」
「マグリットの象徴的な作品が
このパイプの絵よ」
タイトル『イメージの裏切り』
画角いっぱいにパイプの絵
その下にフランス語で「これはパイプではない」
って文字が表記されている。
まず自身の作品に
絵書きが文字を入れるところがおかしい。
作家によればビジュアルだけの表現に
重きを置いているなら文字の記入は
蛇足中の蛇足。
文字の説明は邪道となるはずよ。
「そこがいいでしょ?」
マグリットによればパイプは単に
イメージを描いているだけで絵の中のパイプに
タバコを詰めても吸えないじゃないかと
言っている。
だからパイプではないと記述している。
「面白くないっ?」
橘は関心している。
いつも冷静なオペレーター小比類巻としか
認識していなかった
橘にとって情熱的な一面。
「はははっ絵より小比類巻の方が面白いよ〜」
アンは、まだ強く橘の手を握っている。
「何言ってるのよ!これからよ」
煮詰めれば「共同幻想」はありえない
マグリットは共同幻想って言葉を嫌う。
ヒトは、勝手なイメージを個々に抱いてるから
一致することはないはずだと。
その代わり「共同発明」という言葉を使う。
共同で個人の幻想を超えた普遍的な
新しいイメージを作ることは可能だという。
「角度を変えれば
だから我々のイメージは誰かさんに
植え付けられたモノよって言ってる」
マグリットは発明家 思索家 哲学の画家
っていわれる所ね。
「それじゃ〜コッチよ」
さっきの魚人の絵の前に誘導される橘
興奮してまだ手を握ったままのアン
「美しい人魚は破滅をいざなう魔物だ」
そのむかし
一般的に船乗りの間では人魚は
その美貌と美しい歌声で難破させ
海底へと沈めてしまう海の魔物とされていた。
マーメイドは良い印象で描かれることはない。
なので漁師の間では人魚を見たら
嵐などの不穏の前兆とされる。
「ディズニー帝国のイメージで
上書きされてるでしょ?そうなのよね!」
異様な絵とは一変
船乗り達を誘惑する魅力は、まったくない
マグリットの描くマーメイドは
不穏な見た目に惑わされることもなく
無事、安全に航海することができる
座礁された姿。
「イメージ」と「言葉」の
意図を分離することによって鑑賞者に
文字や記号のでたらめさを突きつける。
「どう?シビれるでしょ〜よ。橘ぁ〜」
それとは別に
海にうちひしげられた魚人の切なさ
すごく好きなのよね。
大いなる海原から
ほり出された悲哀がたまらないのよね。
「実は小比類巻は、明るい性格ではないのね」
「そうなのよね。
勝手なイメージが付いちゃってるからね。
独り枕を濡らす夜も、あるのよワタシ……」
「なぁ〜んてね」
気がつくと周りは人だかりとなって
アンの解説に拍手を送っていた。
「そういう所なのよ私」恥ずかしがっているアン
橘は、握られていた手を握り返し
そのままリードして
階段の踊り場まで小走りで連れてゆく。
「熱がこもった解説だったね。
ちょっと好きになってきたよ小比類巻!」
「ずっと手を握ったままだったけど
小比類巻は、情熱的だね」
あらやだ!と素早く手を払いのけ
「おっ恐ろしい!マグリットの魔力ねっ!」
と、手をおでこにあて汗を拭うジェスチャーを
大袈裟にするアン。
テレ隠しに可愛さを感じる橘だった。
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