秘密の配偶者選択 cryptic mate choiceとは何か?
進化論の用語に「共進化 coevolution」というのがあります。狙う側と狙われる側など、関わり合っている動物たちの片方が進化すると、それに合わせてもう片方も進化するというものです。例えば狙われる側がより有利になるべく進化すると、それに合わせて、さらにその一枚上手を行こうと、狙う側も進化する。すると、それに合わせて、さらにその一枚上手を行こうと、狙われる側はさらに進化する。すると、…。こうして終わりなき軍拡競争 arms raceが延々と続いていく、というものです。
さて、動物たちには普通の意味での配偶者選択 mate choice、つまり交尾をする相手を選ぶことに加えて、さらに先があることもわかっています。これが「秘密の配偶者選択 cryptic mate choice」と呼ばれるもので、メスが複数のオスと交尾をする動物たちに見られるものです。
いったい、どういうことか?
例えば、コオロギのメスは、複数のオスと交尾します。そんな何人ものオスと交尾してどうするの?という気もしますが、メスは身体の中にオスから受け取った精子を保存する器官があります。ここに何人ものオスからもらった精子を溜め込んでおくわけです。
ここからが不思議です。
メスはこうして溜め込んだたくさんのオスからの精子の中から、自分と遺伝子的に近いオスではなく、遺伝子的に遠いオス(つまり、自分の遺伝子を掛け合わせる相手としては、より好ましい相手)の精子を、選び出して自分の卵に受精させることをするのです。
つまり、オスのコオロギからしたら、交尾をする相手として選んでもらったところでハッピーエンドではなかったのです。その先の段階で、その精子はメスの身体の中で選んでもらえない、ということが起こり得るのです。
こういうのをメスによるオスの(というか、オスの精子の)「秘密の配偶者選択」と言います。
では、私たち人間でも似たようなことがあるのか? と気になってきます。
どうやら、あるようなのです。その鍵となるのが女性のオルガスムです。
長い間、男性のオルガスム(射精に直結する)と違って、女性のオルガスムは生殖的な意味では、あまり役に立っていないと思われていました。
ところが…。女性の子宮内の圧を測定しながら、セックスをしてもらう実験をしてみます。(しかし、実験とはいえ、よくやります…)
すると、女性がオルガスムに達したところで、子宮内圧がぐっと上がった後で、急激に下がります。子宮内が陰圧になることで、ちょうどスポイトで吸い取るような要領で、膣内にあるものを子宮内に吸い取ることができるわけです。
当然、女性がオルガスムに達する前に、男性の方がオルガスムに達していたら(=射精していたら)、女性は膣内にあるその男性の精子を子宮内にうまいこと吸い上げることができるわけです。
逆に、せっかく男性が膣内に射精したところで、女性がその後でオルガスムに達しなければ、せっかくの精子が効率よく子宮内に運ばれないことになります。
どうやら、人間の女性も、このメカニズムを使って複数の男性と関係を持ちながら「秘密の配偶者選択」をしているのだろうと見られるのです。
実際、これまでの研究で、
(1)女性は、セックスの相手の男性の子どもを妊娠したいと思っているほど、男性がオルガスムに達してから、その後で自分がオルガスムに達する傾向がある。
(2)女性は、自分と遺伝子的に離れており、MHC的に離れている男性(=自分の遺伝子と掛け合わせる相手として好ましい男性)が相手の方が、近い男性よりも、オルガスムに達しやすい。
(3)女性は、セックスの相手の男性の「短期的な魅力」が高い方がオルガスムに達しやすい。
(4)普段一緒にいるパートナーの男性が性的魅力に欠けているほど、女性は排卵日近くになると浮気行動を起こし、より遺伝子的に好ましい男性の遺伝子(精子)を取り込もうとする。
などの事実が示されているのです。まさに「秘密の配偶者選択」です。
ただ、パートナーである女性にこんなことをされてしまっては、性的魅力に欠ける(それゆえに、秘密裏に配偶者選択で拒絶されている)男性は困るわけです。「カッコウの托卵」の良い餌食です。
そこで、男性は男性で、女性のこうした傾向に対抗すべく、以下のような行動パターンを進化してきました。
(1)パートナーの女性が排卵日近くなると、パートナーの浮気を心配し、束縛的になる。特に性的な魅力に乏しい男性ほど、こうなる傾向が高い。
(2)お互いに会えない時間が長いほど、会った時のセックスの時間を長くすることと挿入の深さも深くすることによって、(ポンプのように)パートナーの女性の膣内に残っているかもしれない他の男性の精子を掻き出して排除しようとする。
(3)なんとか頑張ってパートナーの女性をいかせようとする。
…なんとも涙ぐましい努力です。ブルースです。
だけど、女性もそれに負けてはいられません。女性は女性で対抗策を講じます。その一つが「いったふりをする」です。(こうして、パートナーの男性を「秘密の配偶者選択」で選んでもらえたと勘違いさせて油断させる作戦です。)
まったく、冷戦時代の米ソの軍拡競争 arms raceのごとく、きりがないのです。
いずににしろ、実はこのへんの事情に、「なぜ男性はああも一所懸命になって女性をいかせようとするのか?」という疑問の答えも、「なぜ女性は割と普通にいったふりをするのか?」という疑問に対する答えも、あるのかもしれません。
ただし、いずれも遺伝子の働きによる無意識的な行動パターンですから、決して男も女もいやらしい計算が働いてのことではないのですが。