【私について:宗教と親と】やわらかくいうと「反抗期は終わらない」である。

以前と比べて、宗教2世に関するトピックが収まったように思う。
宗教2世で盛り上がっていたその当時は、私の宗教についてばれないように身を潜めて引きこもりに近い生活を送っていた。改めて自分の持つルーツをたどれたことに、少し冷静になれる自分がいる。


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生まれた時から、近くに神様と教祖様がいた。
母は熱心な旧統一教会信者だった。中学二年生くらいからの信者らしい。
父も同じ宗教に属して結婚したが、途中で別の思想に走ったみたいだった。
1つの家庭で、2つの思想が入り混じる異様な状況だった。お互いが信じる思想に子供たちを引き込もうと、あれこれと策を立てていた。2つの信仰対象がいることに子供ながら変だなァと思っていた。


母の方がよく世話をしてくれたので、母に連れられて次第に子供たちは旧統一教会の信者になっていった。
中学2年生くらいまでは、結構本気で信じていて、毎週の教会にも通っていたし、韓国にある清平(総本山的な)での儀式的なものにも定期的に行っていた。教会の人たちはそれはとてもとても優しくて、人が良かった。小学生の時にいじめにあっていたので、教会は唯一安らげる場所でもあった。時には救われることもあった。
今思い出してみても、決して直接的にひどい目には合っていない。

家は貧困だった。父が定職につかなかったし、母はあまり頭が回らないひとだったので、なかなか家にお金が入ってこなかった。狭い部屋に一家が暮らし、たくさんのゴキブリが出る家だった。寝てるときに、ゴキブリが足を嚙んでくるらしいと父にからかわれてから、足には毛布を掛けないと寝れないタチになってしまった。小学生の時はお風呂は一週間に一回だった。
きつかった。

小学生の時に、友達の家に遊びに行くと、家がきれいで白くて明るくて、机の上には、お菓子が置いてあってゲームで遊べたりして、なんでこんなに違うのかなとほんとうに不思議でうらやましくて、歩いて家に帰ると現実が待っていた。

父が定職についていないこと&母が献金でお金を使ってしまうことのダブルコンボで家計は火の車だったようだ。ほんとバカだなーと思う。


いまだ、両親とのわだかまりは消えていない。
小学3年生から私は強い反抗期に入った。程度は収まっても、今でもそれは変わらない。反抗期とかいう生易しい言葉じゃなかった人もいるだろう。
私はそれでも親に対するわずかながらの情があるからこそ、この思いを反抗期と呼びたい。



続きは気が向いたら書こうと思う。







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