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【自己紹介】良くも悪くも「まじめ」な自分から、本心に素直な自分へ
こんにちは!貴大です。自己紹介として、僕の25年分の半生を書いてみたいと思います。かなり長文ですが、暇な時にぜひ読んでみてください。
改めて、植田貴大(うえだたかひろ)と申します!
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僕の簡単な経歴はこちらです。
1999年 長野県宮田村生まれ
保育園生 泣きっぱなしの子
小学生 心が赴くままにいろんなことを体験
中学生 勉強も陸上もいい感じ。一方周囲の期待を背負い始める
高校生 貧血、怪我、うつ…闇の高校陸上
大学生 アカペラに熱中。就活で迷走
社会人 やりたいこと難民になり、精神がすり減る
現在 無職。次のステージへ
保育園生:泣きっぱなしの子
1999年、長野県宮田村という人口1万人以下の田舎に生まれ、育ちました。自然の中でのびのびと遊ぶのが好きで、公園や川で元気よく遊んでいました。
ただ、保育園では毎日泣きっぱなし。友達と泥遊びやドッジボールをするのが怖い、手のかかる子どもでした。生まれながらにして内向型だったんだなぁ、と今では思えます。
内気だった僕は保育園の運動会でも全く動くことなく、母親に
「"げんきおんど"だけは踊らないと家にいれないよ」
と脅されたらしいです。本当にげんきおんどだけ踊ってそれ以外は全く踊らなかったそうです。踊らない方が逆に目立つのに。
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年長さんのときに習い事で和太鼓を始め、和太鼓をきっかけに性格が明るくなっていきました。保育園を卒園する頃には友達と仲良く遊べるようになって、よかった(笑)
小学生:心が赴くままにいろんなことを体験
小学生では和太鼓、ドッジボール、書道、マーチングバンドと、いろんな習い事をさせてもらってました。内気だった保育園生から一気に活動的になりました。
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習い事以外も、曲を作ってみたり、絵を描いてみたり、マンガや小説を書いてみたり、主に創作系の遊びを色々やってました。「タッカー」というマンガキャラクターを作って、テーマソングまで作ってました。クリエイティブ。
なんといっても小学生時代のいちばんの人生転換点はアカペラとの出会いです。偶然TV番組の「ハモネプ」を見て、世界が一変するような衝撃を受けました。
「人の声だけで、こんなに豊かで面白い音楽ができるのか…!」
それ以来ハモネプの放送を毎回永久保存し、何十回と繰り返し食いつくように見ていました。特にボイスパーカッションの魅力にハマり、家でブンツカとボイパするようになりました。
ハモネプで一番好きなグループが「無花果」という名古屋大学のグループで、「将来名古屋大学に入ってアカペラするんだ!!」と決めていました。
中学生:勉強も陸上もいい感じ。一方で…
中学は勉強も陸上部(長距離)も頑張り、バッチリ成果が出せていました。
定期テストでは複数回学年1位、学校行事の10kmマラソン大会では3年連続学年1位と、今考えればイケイケな時代でした。まぁ当時は思春期真っ只中で思い悩むことも多かったですが、時間が経てば思い出は美化されるようです。
陸上では「1,500mで県大会に出場したい!」という目標があり、部活に加えて隣町のランニングクラブにも所属して練習するようになりました。クラブ入会初日、監督に
「何県大会出場なんて小さいこと言ってんだ。全国大会出場だろ」
と言われ、衝撃を受けたことを今でも覚えています。壮大な夢を掲げることで視野が一気に広がり、セルフイメージが一新され、現状の自分から大きく成長できることを教えてくれました。
全国大会出場とはいきませんでしたが、県大会決勝まで進むことができました。思い出に残る、本当に良い経験ができました。
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一方で、中学生の頃から周りからの期待が膨らみ、「しっかりしなきゃ」という思想が形成されたようにも思えます。
期待を背負わされたエピソードで一番印象に残っているのは、クラスの人たちに無理やり生徒会長候補をさせられたことです。クラスから1名必ず生徒会長候補を出さなければいけないという謎のルールがあり、僕は全く生徒会長になりたいと思っていないのにクラスの総意で仕立て上げられました。
強い意志を持って断れば良かったものの、当時はそこまでの強さを持っておらず、やりたくもないのに会長公約を作成し、立会演説までやりました。
この経験が全てではないですが、他にも諸々の出来事があり「しっかり生きなきゃ」の枷が徐々に、徐々に、重くなっていきました。のちにこの枷が、自分を苦しめることになります。
高校生:貧血、怪我、うつ…闇の高校陸上
確か中学から高校に上がる頃、高校陸上で全く結果が出せず地獄の生活を送る悪夢を見ました。この夢だけは、なぜかずっと覚えています。
中学とは打って変わって、高校陸上は最悪でした。県大会出場は当たり前、毎年全国大会出場者も輩出する強い陸上部に所属していましたが、3年間で1度も中学の自己ベストを更新することはできませんでした。
貧血と怪我が続き、ろくに練習を積めていませんでした。
「中学で良い結果が出せたんだから、高校ではそれ以上の結果を出さなきゃ」
「部長なんだから、皆の手本になるような強い選手にならなきゃ」
「皆つらい練習を乗り越えてどんどん強くなっているのに、自分は…」
もうそこには、あの頃の陸上を純粋に楽しむ心はありませんでした。
焦り、不安、絶望、焦り、不安、絶望…
うつ状態になりました。
2,3日に一度はパニックを起こしたように号泣し、地獄のような自己否定を繰り返しました。家族と外食に行った時、涙が止められなくなって一人トイレで泣き、戻ってきてから食べたうなぎの味が全くせず、ただチクチクとした感触が口の中に残ったことを今でも覚えています。
あんなにつらかったのに、陸上をやめるという選択はできませんでした。最後の大会を走り終えた後、「もう苦しまなくていいんだ」と思えて涙が溢れてきました。
完全に本心がわからなくなって、腐っていました。
今自分の価値観として「本心に素直になって生きる」があるのは、この経験が根強く結びついています。
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陸上部を引退して2ヶ月ほどのんびりし、心の回復とともに目指す目標が見えてきました。
それは、名古屋大学合格。
いけそうな大学でもなく、東大でもなく、名古屋大学。小学生の時にハモネプを見て憧れた名古屋大学に入って、アカペラをする。これが自分の至上命題であり、本心からエネルギーが湧き上がる目標でした。
本番直前まで模試E判定が続いたものの、目標に向かってワクワクと、健全に勉強を進められました。それも根詰めて馬鹿みたいに頑張るのではなく、ある日は友達と楽しく喋りながら勉強したり、ある日はちょっとサボってみたりと、本心に素直になれていました。
結果、2,400点満点中、合格最低点+20点で名古屋大学に合格しました。
いやぁ、よかった。。
大学生:アカペラに熱中。就活で迷走
念願の名古屋アカペラサークルに入ることができ、今までで最高に楽しい、充実した経験ができました。
ボイスパーカッションの探究、楽しいことを凝縮した合宿、自身がリーダーとしてやりたいアカペラを体現した「キミトオレンジ」というバンド。キミトオレンジの解散ライブは自分も、メンバーも、お客さんも感動の、一生の思い出に残るライブになりました。
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中でも一番充実していた経験は、アカペラサークル代表の経験です。ちょうどコロナ禍が始まった年に、160人規模のサークルを1年間まとめ上げました。
「大好きなサークルを、コロナで衰退させるわけにはいかない!」
本心から無限に溢れ出る熱い思いを原動力として、前例のないオンラインでの新歓活動、対面活動時のコロナ感染対策の立案と実行、夢中になってやり遂げました。
たくさんの人から「ありがとう」と言われました。
自分のやりたいことで人に貢献できる、自己中心的利他を全身で実感できました。
さて、困ったのは就活。将来何がやりたいのか全く見えてきませんでした。
自己分析をルーズリーフ50枚分やっても、説明会に出まくって企業分析しても、本心から湧き上がるやりたいことが分からない…。
結果、幅広い業務経験と市場価値の向上ができる総合コンサルファームの就職に決めました。
「働いたこともないのに、どう働きたいかなんて分からない。実際に働く中でやりたいことを見つけよう」
そう思いました。
社会人:やりたいこと難民になり、精神がすり減る
コンサルは厳しい世界だと覚悟していましたが、やっぱり大変でした。新人研修では毎日課題の点数が1~160位までの順位で貼り出される、競争促進環境でした。
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自分の個性や将来のワクワクするビジョンが全く見えないまま、ただ必死に目の前のハードな業務に食らいついていました。
しんどいことの詰め合わせみたいな状態でしたが、
「しんどいのは自分の能力が足りていないからだ。少なくとも昇格するまでは耐え抜く。耐え抜いた先に、何か見えるかもしれない」
と、自己犠牲の精神で頑張り続けました。全く仕事が楽しくないのに、「仕事楽しい?」と上司に聞かれたらバキバキ表情筋の笑顔で「楽しいです!」と嘘をつき、自分の心にも「仕事は楽しい、仕事は楽しい」と自己暗示(洗脳?)をかけていました。
入社1年目の最初の評価はC(期待を下回る)でしたが、死に物狂いで改善し、評価をC→B→A→Sと上げていきました。
入社2年目の年度末評価で昇格が決まった時、嬉しさは1ミリもなく、どうしようもない絶望感が襲ってきました。
「昇格してもさらにしんどい仕事が待っているだけ。自分は一体何のために頑張っているんだ…?バカなのか??」
何事も全力で頑張れば楽しく、充実する→嘘。
考え方次第で何でも楽しくなる→嘘。
しんどいことをやった分だけ、報われる→嘘。
本心を殺し、会社や社会が気に入るような働き方を続けた結果、何が本心が分からなくなり、心身が壊れていきました。気づけば死んだ目をして電車に乗るつまらない大人になっていました。
やりたいことは、やるべきことをやった先に自然と見つかるものだと思っていました。でも違いました。
やりたいことは、自分から主体的に見つけるものだったのです。
八木仁平さんが開発・運営している自己理解プログラムを受講し、3ヶ月間かけて本当にやりたいことを探しました。3ヶ月間かけて、「しっかり生きなきゃ」の分厚い枷を少しずつ、溶かしていきました。
自己理解プログラムが終了する頃には仕事でかなり疲弊が限界まで来ていて、休日は15時間寝るような状態が続いていました。
これからはやりたいことで生きる。
そのけじめをつけるために、入社2年4ヶ月でコンサルファームを退職しました。
現在:無職。次のステージへ
「しっかり生きなきゃ」の枷は思っていたより何倍も厚く、重くなっており、自己理解プログラムの3ヶ月間では溶かし切ることはできませんでした。
退職後、すぐに次の就職先を決めなきゃとプレッシャーを背負ってしまい、仕事で積み重なったストレスが抜けきっていないのに更なるストレスを自分自身に与えてしまいました。
ストレスという空気がパンパンに膨らみ、はち切れそうになった風船が、ある日「パン」と割れました。
気分の乱高下、不眠、ひどい倦怠感が襲ってきて、心療内科に行ったところ中等度うつ状態と診断されました。
「いいから、お前は、休め。本心に素直になれ」
体がそう教えてくれました。
「しっかりって何だよ。好きに生きればいいじゃん」
やっとそう思うことができて、自らに休養を与えることができました。
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休養1ヶ月目は、ただのんびりと過ごしました。動画を見たり、本を読んだり、川遊びをして過ごしました。
休養2ヶ月目はちょっと元気が出てきて、本当にやりたいことを再構築しました。
まず、人生で大事なのは「本心に素直になって生きること」だと実感しました。
2回のうつ状態を経験して、「本心を殺して頑張り続けても、いつかは擦り切れる」ことがわかりました。
本心に素直だった小学生時代、アカペラに夢中になった大学時代を経験して、「やりたいことを楽しんで、夢中になってやることが何よりも大切で、自分にも、周りにも、最大の価値を与えることができる」ことがわかりました。
そして、得意なことは「思考・感情を言語化すること」、好きなことは「日記・ジャーナリング」だと認識しました。コンサル時代、日記に文章を書いていくことで、わずかながら本心に帰ることができました。
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僕はこれから、
「日記・ジャーナリングを継続的に書くサポートをして、本心に素直になって生きられる人を増やす」
ことをしていきます。実現手段は明確には見えていませんが、25年間で感じたことを価値にして提供していきます。
貴大25年目。次のステージへ。
ここまで読んでくれたの!?ありがとう!!
5,000文字以上も語りました。ここまで読んでくれた皆さん、すごすぎです。本当にありがとうございます。
僕が言いたいのは一つだけ、
「本心に素直になって生きよう!」です。
広い宇宙にぽっと生まれてぽっと死んでいく命。どうせなら楽しみ尽くして使い果たしましょう。良い意味で、テキトーに。
今後とも、よろしくお願いいたします!!
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